Category: お知らせ

AME

2017年6月28日 at 5:52 PMCategory:お知らせ

窓の外斜め見上げ「AME」と喜び顔半々で野海さん。大事をとって送迎ヘルパーを手配したのがあたったのだから。
さて、施設という言葉の響きフィナキラシーというと不道徳だが、付き合う上で野海さんは顕著だが、脱施設主義を押し通すマイノリティ群へのまなざしを持つことは、我が生活を老後の終活の道筋でもある。通常、介護保険制度に準ずる形で10年早まる障害のある人の老後。かって措置という保障を得て活かされてきた近年。北欧並みにという構想共通理想は独自のプランへと進んだようだ。自立という公用語も定着しつつ施設優先の政策をニーズ対応へはシフトできないでいる社会。誰もが投資して益を生み、あらゆる選択肢に対応できる穏やかな福祉社会体系へは宇宙へ飛び出すくらいの困難さを打倒できるのだろうか。
花を送る会後のアイスブレイクで「笑われた」と野海さん。佐土原のアトリエまで画伯を連れ出しに同乗したせいで、昼食にありつけず、いつもは口にしない菓子類を食べたい!と申し出たのが「笑われた」という。「入っても良い」ともまた、言う。肝心なところは社会から隔離されないことのようだ。社会参加を生活の一部にしていく生き方。そうそのことを彼も一緒にワークショップやらの講座・勉強会でさんざんしてきたのだから。社会をもっとおもしろくする使命感が自己実現と同じくらい難しいことを思い知らされた上での、施設内的人生非肯定なのであろう。社会というハーを常に引き寄せて居たい。さあ、野海さんの社会への恋しさは酉年にどれくらい報われるだろう。酉年から戌年へちょうど半年ではある。

上京して 昼飯ぬいて 笑われた

さて、花を送る会の帰路、私と斎藤泉画伯は野海さん同様昼飯抜きにたえること及ばず、うどんどなんに飛び込んだ。画伯の労いでごちであった。県美展に入選した構図の面白さが締切ギリギリだったという話を交わしながらうどんをすすった。話の端々からうかがわれるのは、画業を成すくらいだから社会性にはうとい、画業三昧の受注作成の日々のようだ。あたかもアトリエという施設に猫との暮らしといったところか。個と社会という世界観とは違う、絵の中のぼくの村のような創造生活もあるのだと狭い考えに風を感じた。こもる生活に耐えられる力と飛び立つ翼を両方持つに越したことは無い。そんな風な生き方を菊永恵子さんからも教えてもらった。

♪ ともよ

2017年6月28日 at 3:31 PMCategory:お知らせ

還暦後の手習いでBAND MM(男4女3)に加わって一年が過ぎた。LIVE前の練習後、最若手のギターマンがケースに戻しながら「岡林信康ってすごいんですってね」と若手には初耳のレジェンドについて呟いてきた。他の男性陣はアフター還暦なので物知り顔で「うちがなんぼはよー♪」などすぐに反応した。県ボラでもコンサート誘致したのではなかった?と誤情報もでた。ディランが世界一の評価を受ける現代、国内での岡林は同等であろうから、県ボラコンサート説は光栄なことである。まだまだロックフォークが若者たちの宝であった80年代、福祉職員のバンドが関西系のレジェンドを呼んだりして我々も高石友也、坂庭省吾などに馴染んだ。もんだった。

庭園「みんなの家ともしび」


さて、福祉を包み込むようなコンサートとしても延岡、宮崎二週連続開催コンサートのハートツーハートも近づいてきた。サプライズの地元由来のゲスト等話題も先行しつつ、テャリティならではの大いに期待できる内容だろう。
時代は繰り返すとも、進化するとも、退化するとも考えられる。音楽ラバーが遭遇するかってのフィーバー。社会が相手だあ!体制!大政奉還ではなく体制ハンターイ!言葉も運動もプレスされんぞー!が市民権を得ていた。宮崎でも金曜の草の根デモが現在形で存在する。市民力は絶えていないのかもしれない。
個人的にはミーハーな中高時代だったので、ザ・タイガースの廃墟の鳩に感銘をうけた。宮崎市街地以外は何も知らなかった頃。廃墟の空に一羽の鳩がというキリスト教的教訓に納得した。同時期岡林は反体制の神様と目された。10年後ようやく私も実社会の構成員となりボランティア活動を宗旨とするように進化し、20年後にはリーダーのみこしに乗ってはしゃいだ。社会は同年の教祖が国家を震撼させた。そして、やはり同年の総理大臣が平成から次の世継ぎへバトンする。夜明けは近い~リフレイン。誰もが不必要な収束は避けて、世はダイバーシティ。好みが並列し、争わず、はしごを外さずして、廃墟には一機ドローンが良い知らせを運ぶ。そんな未来を迎えたようだ。【追加話題】 7/1のSaturdayNightLive(若草アーケード街@ライブハウスガーラム)での共演者は盲導犬とやって来るらしい。SANK5Gフロム牟田町。もう一つのバンドTAOUは日南から。我らMountainMouthは大塚台より。

HANAWO OKURUKAI 2017 0625 SUN

2017年6月26日 at 1:33 PMCategory:お知らせ

花山手にて、鶴を捧げる偲ぶ会。宮崎市&県ボランティア協会とが友人、ヘルパー、他・多団体へ呼び掛けたまれな試みは、遺された菊永ファミリーを力づける思わぬ成果を得たイベントとして見事にクリアした。
ソフトウェアは県の事務所から発信、収集しストーリーの大枠を建て、静寂と盛り上がりを兼ね備えた会場の雰囲気づくりは市ボラのホーム同階の視聴覚室と両グループを使いつくした故人にぴったしのロケーション。
市・県混合の実行委員会で固められたアイデアは折鶴を折って献花とする。献杯は桟敷に待機して頂いた主賓ともいえる納宏子さんにお願いする。スクリーンにはわたぼうしコンサートステージをお借りして上映する。3時間もの時間のふれあいは、市社協を退職されたばかりの坂本智子課長に締めていただく。そして同行者も含めると60名超の参加からの一言で個人を偲び、歌で彼女らしさに迫る。台本はこうだった。
私は司会進行に専念したが、野海氏と佐土原のアトリエから画伯・斉藤泉氏をお迎えする送迎をやった。こんな風にスタッフ、参加者も自分のいつものやり方で通し意外性に満ち満ちた菊永恵子追想という体験をしたのだった。
そして、思いを新たにし、力づけられ、何よりも絆の意味にさらにこころが開かれた体験を持ち帰ることができた。体験はおっくう、面倒、しがらみに巻かれる、用心用心といくらでも避けることが簡単。でも動き、出会いと体験なくしては人生は成り立たない。ぼんやり空想のままの境地は、永遠という並行する世界であって、多分この会場に彼女はいるという感覚を述べた人が多数のように、やはり、体験の場を作って、参加して良かったと深く明るい心が軽くなる思いが刻まれた。なお、オープニングに口火を切ったのはあわいやを名乗る最新の場を展開する生駒新一郎さん。

セプテンバー

2017年6月21日 at 4:05 PMCategory:お知らせ

9月日向市お倉が浜で開催されるジュニアサーフィン世界大会のニュースで、連盟の視察者が「センプテンバー!」字幕には9月に戻ってくるのが待ち遠しい。
さて、予告できる資料が机にない。そこで温故知古(温故知新ではなく故事を検証しつくす郷田綾町長のフレーズとことん)とばかり、事務所の書架からふれあいの旅のファイルを取り出す。運命のページは第24回ふれあいの旅の書類。当時の上條秀元会長はお礼の言葉をこう記されている。2日間にわたる旅を共にして、助け合い、励まし合い、協力し合って過ごす姿は誠に美しく、このような営みを進める中から、障がい者にとって住みよい社会(それはとりもなおさず、すべての県民にとって住みよい社会であると思います。)が形成されていくことを実感いたしました。

8月にもやって都井の火祭りを観る


また、今回、初めてふれあいの旅の実行委員長として参加して、みんなが協力しながら、和気アイアイと旅ができて、嬉しかった。来年は、もっとみんなが楽しめる旅を創りたいです。と和田祥吾さん。続いて、実行委員 野海靖治 として辛口のコメントを寄せている。私が初めて、ふれあいの旅に参加したのは今から11年前のことでした。長い間、参加したかった「ふれあいの旅」でしたが、思ったよりも楽しくはなかったことと、「アレッ」と思うようなことがありました。それは、「赤い羽根・共同募金」というところからお金をもらっているけど、参加している人たちは、いつも、参加している人たちだったので、「なかなか、外には出れない障がいがある人たちがたくさん居るのに」ということもあって、「ふれあいの旅をやる意味があるのかな?」と疑問に思いました。でも、実行委員として関わるようになると、ふれあいの旅を楽しみにしている人たちがたくさん居るので、「やっぱり、ふれあいの旅があったほうがいいのかな?」ということも思ったのです。そして、物部聖子さんは、私はボランティアというよりも、障がいを持つため、なかなか、旅が出来ない方々のサポートをしながら、自分自身も存分に旅を楽しめる、このふれあいの旅が大好きです。人間関係が希薄になりがちなこの世の中、ふれあいの旅には、いつも、笑顔と温かいふれあいがあります。来年はもっともっと魅力のあるふれあいの旅を、みんなで盛り上げながら創り上げていこうと思います。と記録している。
H20.8.24の日付のアンケート集計には、〇21歳~30歳 〇ボランティアとして 〇物心ついた時から 〇5回以上? 〇よく分からないけど参加していた 〇普通 〇1万~2万円 〇良かった 普通 普通 普通 火星というわけもんの記録も。
概要として、8月3日に事前交流会をして8月の都井の火祭り、花火を観て、南郷プリンスホテルで昼食後帰るコースだった。

野海ロス

2017年6月21日 at 2:04 PMCategory:お知らせ

宮崎ダルク事務所に掛けてあったミラーをお借りした。日曜日の花を送る会でお披露目する故菊永恵子さんの作品。
水曜なのにあなたは来ない(雪が降る・アダモの調子で)。本日まで上京中のため来ないのはわかっているが・・・。ニュースの舞台の近辺を電動を走らせている酉年男。ボランティア協会事務所は場が形成されているのでランダムに相談がやって来る普遍性そのまんま。広域リージョンとしてのひなた県ともあいまってニーズ対応力を育むテリトリー。野海さんはあらたな経験を旅から持ち帰り、多分、日曜の花を送る会で予告をもらし、28日には問題として対話ができるあんばい。障がいのあるという難問だらけの結論に経験をぶつけて火花を散らすことでエネルギー自給するかのような生活。

鏡よ、未来を見せて!

社会がニーズ対応力を磨かないで済ませていることに自戒を込めたシンポジュウムも開催される。進歩をもたらす困難、人類は勘を磨き、人材を育て上げ社会を永続可能なエコパークへとユートピアを具現化するミッションを共有している。次の水曜にどんな困難にぶち当たって来たかを対話するだろう。彼とともに困難に向かい合った首都圏の誰か、おまけとして瞬間的に恋に匹敵しそうな好人物との接遇など。砕け散るばかりではない上京へと進化を遂げた姿に会いたい。
ミラーに映り込ませたのは野海靖治フェースブック・渾身のパフォーマンスでローリング中をカバー写真に使っている。

みんなの学校 校庭に東風吹いて

2017年6月14日 at 5:08 PMCategory:お知らせ

大野城市に行った際、ひょうたん島再訪を仮約束した。JVCCの会場でもあったホールで映画「みんなの学校」の校長講演会を10月22日に主催するので是非という事だった。まだまだ先ではあるが。そんなインクルーシブな予想を抱いているうちに本日らいふのパン店頭で目に入ったのが 沢口靖子主演の「校庭に東風吹いて」これはネタに使えると勇んで野菜や果実と一緒に持ち帰った。イートインキッチンでいそがしく鶏肉を若者と一緒にさばく女店主のマリ子さんに声をかけると、「環境仲間」とまわりに紹介され長い立ち話となった。帰宅後その「環境仲間」に奥さんは異を唱えたが、平成を少し越す「環境仲間」グループらいふの道のりのたまーに首を突っ込んだ事でカウントしてもらえ、子育て中のまつぼっくり保育園の親たちの一家族としても二重に身体形成でお世話になった。最近のアコーディオンへのこだわり、卓球での体調管理、南九大ソーセージ教室など話題は多岐に渡った。購入の柑橘をだしにして原稿依頼にPAみやざきに永山昌彦代表を昼時に訪ねる。そもそも、ピアルームがサテライト宮崎市ボランティアセンターとして若草通に開館していた当時にコーディネートを受けた放浪の青年がらいふのパンに雇ってもらえるというストーリー、そんな奇跡があった。そこで充分手腕をふるい今の市民プラザ開設に至ったのが昌彦さん、人間関係キラキラの辰身氏らコーディネーター群。
みんなの学校は宮崎キネマ館での上映続行の内に観た。講演会にも大野城市を再訪するつもり。教育に特化したNPOと同一事務所に在ることで従前より教育問題を身近に感じる県ボラ協である。フライヤーには場面緘黙児の場合を描いたフィクションです。とあり、えびの出身とある原作者、みんなの学校と同じロケーション大阪、京都府下の南山城村と興味深い。ちなみに緘黙(かんもく)の説明は「家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、学校や幼稚園といったある特定の場面、状況では話すことができなくなる現象をいいます。」
8月26日(土)市民プラザ 原作者えびの出身・柴垣文子さん舞台挨拶①10時②12時15分③14時35分(16時37分終了予定)
ラストに灯る子どもたちの奇跡!とフライヤーのコピーにはある。また、子どもの生きる力を信じ、私たちはどう生き、教育にどう取り組むのか!遂に、子どもたちの未来を切り拓く映画の誕生!ともある。映画には不思議な力が秘められている。たしかに再生の力を湧き立たせてくれる。

子どもたちに未来を

咳きこむ

2017年6月14日 at 3:37 PMCategory:お知らせ

来週の上京なるもその前に


ふれあい紙を発行する。付録のゲラを読むうちに疲れたともらしていた野海さんは静かに眼を閉じておられる。思えば、医療機関での治癒の間には相当なストレスを障がいのある人たちは受けている。自身をよく援助者に分かってもらうまでのプロセス、人間関係を構築した後でも、療養に係わる医療の技術は激しい反応を平穏に導く困難さははかりしれない。事務所には菊永恵子さんを偲ぶ「花をおくる会」実行委員会宛のFAXが届きだした。中には『ボランティア各位のお心のこもったよい企画だと思いますので、参加できないことが残念です。実行委員のみな様には、ご協力できないことをお詫び申し上げます。』という丁寧なお返事も。もちろんメッツセージとして取り上げますので、我らが聖母なる森冨貴子さま。
さて、偲ぶ会をご主人の基次氏に了解をいただきにご霊前に向かったおりに、誤嚥性肺炎の悪化という末期の様子を話して下すった。運良く集中治療室までご子息に連れ立って面会する機会に恵まれたが、同行した永山昌彦さんと私のコンビに向けられた眼差しは、気迫のこもったように見て取れた。無念さ、不条理さ、と戦い続けた64年間の末を表現する気持ちの真実を訴えむと懸命であった。その瞬間の懸命さが楽しくてたまらない時と同じだったことが彼女らしさだ。
さてさて、本日の「咳きこむ」と、「疲れた」の野海さんだが、いきなり恋は恋で良いと明るい顔に変わった。

ふれあい(情報紙)予告

2017年6月7日 at 3:25 PMCategory:お知らせ

次号(No.414)は、6/15発行予定。辻利則会長もご出演ということで、障がい者差別解消法シンポジュウムをフォローする。関連原稿執筆の依頼に行き、PAみやざき事務所にて永山昌彦氏からうかがった。講演者、中村元氏は水族館プロデュースで鳥羽で大活躍され、今回はバリアフリー観光の実績で以前講演に招いた事務局に続き、宮崎の障がい者ツアー問題を深化するヒントを吸収すべく招かれる模様。ふれあい紙上では、ふれあいの旅初代実行委員長で、数々のアクションを仕掛け続ける永山氏に紙幅の限り我々への視点・論点を書いていただきたい。また、別刷りでは野海現実行委員長が私生活を振り返り、明日への提言ともとれる旅日記(ほぼ2年前の様子)を発行。今年酉年男の野海さんが、仕事として目指す劇作家として動き出したきっかけがふりかえられる。観客として電動車椅子で座していたはずの重い男が立ち上がった背景には、県立芸術劇場演劇プロデューサー永山智行さんの声掛けや、田原工業高校を名乗る同様の演劇志向の若き女性との邂逅があった。
毎週水曜日、半日定点観測させてもらっているが、一週お休みだった原因は「悩み熱」だったという。だが心を整理してそれを辞めると決め、普段のさわやか系で、県ボラ桟敷に座して、しゅくしゅくと2年前の記録の上を今へと走り続けている。今日も又。なお、慣例化している東京旅行のため実行委員会の方が日時を譲ってくれてふれあいの旅実行委員会は次回は27日(火)となった。

PAみやざき事務所、スマイル池ちゃん

もがく

2017年6月7日 at 1:27 PMCategory:お知らせ

正論さまにお近づきなれたらと想っておりましたが、こう順調にまいりますとは。
架空の筋立てを立ててみた。縁故社会の法則を見てきたようにでっち上げようと無粋なことはせずに。
ただ、我々がかってより夢想してきた知縁社会が実を結ばぬままなしくずし社会に飲み込まれ様とする悪夢はいつでもござれと差し出されてきた。だからこそ、軽やかに飛んで飛んで回って回った。飛べた、飛ぶ力だけは湧いてきた。若者たちはそれを得意として生きた。疲れを知らない子供のよう。年功序列でみても最後尾あたり平賀錠二さんなんぞも還暦峠の頂上まで懸命にはい上がって来ている。あの「エゴイストの夜」の造作者、大西章広さんも還暦酉年男として登頂の旗をひるがえしそこに山があるからだの如く場をいつも開いておらるる。

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さて、異世界のルートを登る群れもまた存在感を発信してくれ、みんな違ってみんないい調和を維持する世界に貢献なされている。そして文化というのは異世界の太陽として照らしている。同じ空の下だか、異世界の太陽に比べ我々は黄金の矢に魅せられ、もがかず恍惚の時にたらされ続ける。

こうゆうふうに頭の中だけではもがくものだ。身体がもがけば憑き物も落ちる!そんな想像力を湧き立たせる好イベントが舞い戻って来た。
昨日のふれあいの旅実行委員会に飛び入り大歓迎された大村なつみさんもフライヤーを持参され、主催のMJからも封筒で送られてきた。

集金の巻

2017年5月31日 at 5:58 PMCategory:お知らせ

午後から雨の予報に備えた姿で進んでいると、携帯が鳴り出ると野海さん。「休む」、「ふれあい」と会話を交わしながらの路地侵入の車に驚くとドライバーの婦人が笑った。滅多にない生電話、かっては周囲の人の手を借りて連絡が急用であることも1回はあった。本日のは体調管理のためのお休みなのだと明るい雰囲気で互いに切った。干支ではプラス4つ一回り上の私も顔面内部空間がすぐれず、一緒に休んぢゃえとなしくずしの気も起らぬではなかったが、凛としたメールで納宏子さんから会費を取りに来てとあっていたので、野海シフトを納シフトに変更して集金に伺うことにした。高松橋を渡り、小戸神社を抜けお住まいに近づいた角で、理容一番のネオンが回転しているのに遭遇した。復活したようだ聾者の竹下さんのお仕事。あつらえたように外でメダカの水槽なぞ眺めてらっしゃるではないか。とっさの手話もどきで2時に戻ってくるので調髪をお願いしておいた。結果、爽快な集金旅行となったのだった。

原町の高木・夾竹桃


 さて、納宅に上がりこむと、女史もたった今京美容室の出張カットでさっぱりされ元気がみなぎっておられた。菊永基次さん、故恵子さんご主人から先に花をおくる会の連絡があり、ろんぶるコーラスの岩切政利さんには伝えたとのことだったが、先ずは新機種に換えた携帯電話の使い勝手にことのほか喜んでおられた。お札を取り出すしぐさも滑らかで恐縮しながら頂戴した。今期、ケアマネージャーが交替したという事で明日が顔合わせらしい、早合点ではあるがこの左頬を下に横臥する初老の婦人がただものではないことをアピールするチャンスだと、明日も来ますと宣言した。ボランティアとあいまいに呼ばず「かつぎて」と福岡NPOセンターではプロジエクトを推進している。エコマップで描く納宏子を中心とした生活圏にはわれわれおせっかい連中が加担した系図が重なり合い、彼女から順に友井絹子、菊永恵子へと波及した力の循環は、ようやく彼女へと戻ってきている。介護分野はヘルパーにお願いし、本日でた課題「自分史」印刷などは社会的テキストになりうると承諾した。