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ザ・ボランティア笑・夜明けは地球の笑顔と供に

2014年8月20日 ザ・ボランティア笑・夜明けは地球の笑顔と供に はコメントを受け付けていません

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市街地から海岸線4、5㌔に平行して走る道路に建つ病院に、精神しょうがい手帳を持つT.M氏と同行で野海靖治さんを見舞った。317号室は手前にご老人が臥しておられた。椅子と車椅子を広げ漫談を始めたふたりに眼を細めてくれた入院患者としての実行委員長は、電動という銀翼を失った喪失感写メされた2枚に映った憔悴は抜けたようで、会話中に咳き込む事もない。
気になっていた事にも、スラスラと応答してくれ、イ行の凸音が苦手なところを繰り返して理解させる技も取り戻していた。ラジオ出演前夜に異変の自覚があったので、サンシャインFMへは行けない、欠場をメールで知らせたとのこと。優香のコンサートには代わりに行こうかと意地悪言うと、絢香には絶対行くと打ち消した。この正確なリターンが、勘が戻っている証拠。行動力で蓄えた引き出しの中味もキチンと整理されていて相手に好感をリターンできる。ドクターの回診と、痰の吸入にナースが訪れたが、我々同様自由な応対をされていてストレスを目立たせない病院のポリシーも垣間みた。
お盆入りから俎板の鯉状態であったろうに、今回が自立生活での初入院ではなかったことも幸いしたのだろう。
ブラインド越しには、南の市街地が広がっているが燃える太陽の時間にははばかられる。YAH!DO自立室跡青葉町54番地方面へも視線が届く。その当初、T.M氏が夜の尿意解消のため近いアパートから駆けつけるという場面もあった。そう、初心者マーク同士の路地での激突流血騒ぎなんていうのもYAH!DO時代。二十歳の若い女性と三十路の自立開始男子は自動車と電動で見事に激しすぎる出会いを、一度だけのをやっちゃった。
そんな風に伝説を作ってきた男が45歳の余裕を病室で展開している。
笑顔のドクターの退院の目処の良かったの弾む声に、臨月らしいナースの優しい仕事ぶりに、笑顔で応対する余裕。その余裕が醸し出す笑顔。笑顔が産む更なる余裕。
(写真:横になったままで、眺める夜明けはこんな感じだろう)
我が宮崎では毎朝、太平洋に向かい夜が開け、上機嫌のときは、笑顔の如く空が海空をピンクに染めて笑うしばし。
街へ出る電動が、ボランティア交流で笑顔を運ぶ日々の再開も近い。
60名の笑顔が塊になって佐賀に出かける10月。その予行ももうすぐ9月になれば。
下見の様子の次回実行委員会には復帰してるだろう実行委員長。笑顔をあびたい人は是非。

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