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アザミの唄・納宏子

2014年8月28日 アザミの唄・納宏子 はコメントを受け付けていません

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ボランティア協会は倉庫を自前で持つ。婦人の消費者団体が牛乳パックリサイクルの整理棚、あと半分は北海道~韓国へのふれあいの翼事業の遺産。その中からシャワーチェアー2台を引っ張り出した。なーんだ田野の学校にご面倒をお掛けした分、解散する頃には、寄附できるほど痛んで無いのである。ただ、歯付座金1枚がソウルのホテルの隅に転がっているはずだが。
いよいよ佐賀の旅も近い。組み立てて、最大の難関である温泉シーンをシュミレーションできるではないか!7日の事前交流会で使用してもらおう。もちろん着衣で。
さて、ここからは、回顧録で「アザミの唄.納宏子」を紹介する。
協会理事で月曜日事務局ボランティア担当の菊永恵子さんの受賞結果発表を待たず楽屋を後にした34回わたぼうしコンサートだったという。
協会とわたぼうしの連携を今も繋ぐ役割を果たしてくださっている納さん。協会初動期、彼女がかけた一本の電話がバタフライ効果となり、数多くの障害のある仲間とボランティア、家族、社会へとふれあいのさざなみが拡散していった。ぼっけもんの条件として人をビックリさせたい精神が必要だが、彼女のちょっといたずら少女感覚はスマートで、永遠のアンなのである。戦中派で長女として生を受けてから、伏しての障害生活はちょうど中年期に差し掛かる折り返し時点で第二の生に胎動をはじめる。もう一度、今度は社会という世界に生まれ落ちるために、握りしめた受話器は、たらい回しの末、29-2949に遂に繋がった。木曜教室を立ち上げたばかりの事務局関係者一同は、俄かに産院のナース体制で彼女の到着を待った。長机に毛布を掛けて寝た姿勢で教室に参加できるように。生後間もない40代の赤子は、それから20、30代くらいの家庭教師ボランティアにも囲まれ、もちろん同世代のおかあちゃん友達もできてドリームカムツルーのお姫様状態に。そんな解放感の躍動をかぼちゃ姫とステージで発表したわたぼうしコンサート。この楽しい家出感覚は共有化せねばと作詞投稿者の集合を呼び掛け、呼応も中途視覚障害の男性、松浦哲也氏らとつるんで開花した。その初回の組織内で得票が多かったのが「つくしんぼうの会」本人の心情からいえば、当然「アザミ」だったのだが。
当時の市民福祉文化シーンは、局アナの東治男氏をわたぼうし会会長に据えダイレクトに波及する勢いがあった。
具体的に新生、納宏子ただ目立ちたがりの夢は、ステージのみにとどまらず実生活にも改革は進んだ。バリアフリー化は、今となっては定年も近いが、バリバリの新人公務員岩浦厚信氏のアフター5の働きで排泄自立の改造、そしてイマセン号上下式電動車椅子の到着にいたった。
月日は流れ、一足先に後期高齢者になり、介護保険法との折り合いも新たな経験、賢母の他界で完全自立。
流石の猛者も、姉妹同居生活の今は、半分はひきこもり半分解放の数奇な人生を振り返り、にんまりと過ごす日々のようだ。
しかし、あざみの野に生きる精神性は彼女の紛れもない望んだとおりの生活。さだまさしや小椋佳の王子の歌に安らぐ静かな生活。
シャワーチェアーのエピソードに戻るが、あざみ姫も海を飛び越えた。
一緒に漢江やらの散策にはつきあえなかったが、まだこの先、何が待ち受けるか?とりあえずは12月7日に関係者大集合の還暦祝い倍返しは目論んでいらっしゃる。そうアザミ姫の白馬の王子様たちも、前髪薄く還暦となった。とほほ

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