佐賀旅の印象
佐賀旅の印象
以下敬称略。
車中がほとんどの二日間。51名の旅人各人の個性が否が応でも際立つ。
たとえば、試飲から昼食会にやって来た武智ハンペイタ!真っ赤な顔に照れて曰く。
中村幸広の分まで呑んだ。ここでニヤリな人は、ふれ旅wikiにリーチ!
大中バス2台のそれぞれのシーンを同時に愉しめるのは神のみぞ知るであるが、長年の勘もまじえ総括の杖とし振り返ってみる。
女性ボランティアが千手観音の働きをしても参加者数が超カワイイ流れの増加傾向の近年ふれあいの旅。
私が座った中程の席も通路を挟み、まほろば系ヤングレディが窓際に三連つらなり、チラチラと視線を浴びても上品に微笑み返ししてくれる。
去年の湯布院では、王思那さんという留学生も前方実行委員側に混じり座って千夏、夏美そして由夏ゾーンが一際華やいで昇降が実に楽しかった。
今年は、仲間の家・どこドア系からの牧野裕子がポイントとなった。原則先乗り、後降り、リフト車では位置配置順と車椅子の展開収納の小気味よさは
楽しげなリズムを毎年刻んでくれる。この点は、グッドパフォーマンスアワード連続受賞クラスのチームワーク真骨頂。
実行委員長は、貴君の不徳のせいと一刀両断だが、吉野ヶ里への移動が始まった昼前の時点でリフト車の要メンテナンスの事態となり、早急の高速上の
修理が繰り広げられるも大事には到らなかった。ただ、だだっ広い邪馬台国の炎天下に待つ先乗りの私達は、暇だった。山崎守ペアの身としては、ノートに
記された仮面ライダーを意味する暗号を解読し、園外近くのミニストップへ探検する時間を持ってもまだまだ、余裕があった。
有明海が育んだ風土、佐賀は邪馬台国から幕末の長崎街道に到る要衝であったため太平洋派の日向の陽に比べ陰、謎深き里。
そんな地域性に乗り込んだ我々の能天気さは風のシルエットを残していった。
能天気、陽気な面々の顔を記憶しておこう。明け方前から日向方面から送迎役をテキパキとこなしたのが甲斐ユースケサンタマリア。NHKのパーソナリティ顔だが、
良く動き疲れをみせない気遣いは、実行委員会ミーティングでは見せなかったので驚きの本番。学生では許容無理の児玉健が各種チャンピョンをゲットする能力に
対応できるオプションも持つ。あゆみの里6名には、前実行委員長の和田ショー吾とふれ旅アイコン坂本夏美と延べヨウ同期生としての再会もあり、初参加の大山貢席には
辻会長が並び、若い世代を見守る役もあった。婦人連も常連のトリスらはお好きなように手を取らせず動かれ、普段の運動不足を解消とニコニコと食事介護に専念していただけた
青木夫人の複数介助は大きく光った。
部品事故で集団が結果ばらけたのも効を奏した。ゆっくりと佐賀牛ハンバーグを空きっ腹に流し込んだ実行委員長であった。
断片的になってしまうが、初日遅れを逆手にとって、少々の遅れは気にしないまま、遅い宴会も気にならず、不思議と実行委員集合時にも良し、このペースで行こうとストレスが飛び交わずに済んだ。多分、身体で考え、身体で応えるテレパシー交流が支配する二日間であったのではないか。
疲労するばかりの身体能力に、さほど動きにキレのない頭で思考するため答えがでないもどかしさを共有してしまうミーティングが通常であった。しかし、吐露することで汗にながせた有効な実行委員の夜のミーティングが通常だったのが、その夜のミーティングはラウンジから漏れ聞こえるカラオケのはしゃぎに早く混じりたいとさっと終えるほど、一体感に揺るぎはなかった。
そうこうして、颱風が最強になる寸前に家路につき。来週の反省会を確認してあらしの中散っていった。
ただ、〆の挨拶で号泣した光代さんの泪の訳は誰も知らない。唐突に感じたヤングもいた。だって、数秒後一段とショートヘアの笑顔が数段輝きを増したのだから。
臨席の藤原彩香と旅の終わりに聴いた川越達男の職場の近さなど、新顔たちがすんなり同期してくれたことを含め、感謝する次第。
なお、映像は今朝の朝食で戴いた湯豆腐キット。旅の元締めから留守番の奥さんへのお土産。おいしかったです。