次へ・ふれあいの旅反省会~ボランティア学習学会11/8.9
先ずは、野海靖治実行委員長の反省文をそのまま、転載させていただく。(当協会会員、参加者、助成機関等へ配布報告書用原稿)
ふれ旅感想文
去年のふれあいの旅はいろいろとあって、あまり「ふれあいの旅」のことができなかったので、今年は「ボランティアのためのふれあいの旅 」というテーマを僕自身が打ち出して、去年よりも「ふれあいの旅」にかかわる割合を増やしたいと思っていました 。
でも、「ふれあいの旅」が近くなって、僕自身の体調が悪くなったり、体調が戻ったら、他のことがいろいろとあって、今年もなかなか、「ふれあいの旅」のことができなかったので、「悪かった!」と思っていました。
「ふれあいの旅」が近づき、2年前の長崎の旅のときと同じように台風が近づいているので、少し、心配だったけど。
「ふれあいの旅」の 1日目がやってきて、天気の方は良くて、2回のトイレ休憩までは順調だったけど、吉野ヶ里に向けて行こうとしたら、リフト付きバスのトラブルという30回目の「ふれあいの旅」にとっては最大のハプニングがあり、リフト付きバスに乗っていた人には吉野ヶ里遺跡の見学が出来なかったのですが、それ以上にあまり出来ないことを体験出来たので、 良かったと思いたいです。
吉野ヶ里にやっと着いて、佐賀牛のハンバーグをおいしくいただき、お茶ちゃ村の工場見学から、ホテルでの懇親会、そのあとのカラオケまで、かなり時間が遅くなってしまったけど、楽しい時間を過ごすことができて、実行委員長として、嬉しかったです。
2日目の有田では、絵付け体験や、有田焼などの焼き物を見て回りました。 絵付け体験のときに僕の皿が割れてしまったという個人的にもハプニングがあり、現地ボランティアの方々の協力もあって、展示場の階段の上り下りを手伝いもあったので、いろいろと焼き物の歴史を勉強できて、良かったです。
佐賀からの帰り道、宮崎県に入るまでは台風の方はあまり、影響がなく、いい旅が最後までできたと思います。
来年はボランティアさんが多く集まるように努力したいと思います。
みなさん、いろいろとありがとうございました 。 そして、来年もよろしくお願い申し上げます。
第30回ふれあいの旅実行委員会
実行委員長 野海靖治
一昨日夕方の実行委員会反省会のメモを拾い読みすると、
ツインに3人は狭かった 車いすの女性をサポートする人が少ない 思いやりが感じられた お風呂のお湯がぬるぬるしていて介助しにくい 費用の問題などが8人の出席委員から出されたようだ。
幹事山崎光代の補足メモには、洋式トイレの多いPA(パーキングエリア)を設定しては?彼女らしい打ち上げのプランも記されている。
実行委員長の文章にあるように、ボランティア力を拡大しようという目論見は実際には、女性が足りないという宿題を31回に持ち越すことになった。
Vとは?という問いに「ライフスタイルである!」というのは初代実行委員長永山昌彦の生みだしたフレーズで、経だし名言と思っている。
その頃は、女性ボランティアが多く、逆に男性の物理的力が必要だった。市民社会を見ても婦人運動、消費生活運動、障がい者親の会がシーンをけん引していた。
アベノミクスは大会社に管理職登用を迫る男女共同参画を打っているが、野海実行委員長も女性の参画を同様に求めている。
母親の強靭な子育て愛に結晶するエネルギーの波及が男性の遊びプラス仕事力とコラボレーションした結果、80年代からのボランティア隆盛を見たのである。
目の前の人参に踊らされる馬にはなるまいが、女性が女性の何かを振りまくと、楽しく活動できる実験を我々はボランティアシーンで体感してきた。
今回の温泉旅行も、女性が足りなかったとはいえ実に楽しく終えられた。
女性がもう少し出てきてくれることを望む。女性の未知の魅力はボランティア活動と相性が好いはずだから。
さて、協会の掲示板は学習学会のポスターに切り替わっている。高校生たちへの学習効果を見える化する研修に研究者が宮崎に集結する。
さかんに、ロボットが役割を持つ近未来が近しい。下心のない、でも十分やさしい活動はボランティア的でもある。ただのお手伝い以上の必要はない。
困っている人が安心した表情に戻る、それだけで通い合い、次につながり拡がるエネルギー。この原始的エネルギーは、私が友井絹子さんから学んだ。
どんな学びが、11月にあるか、きっと次のシーンへの呼び水になることが期待される。