おおつごもり
幾分風の冷たさや底冷えにも春の予感が発ちあがり、バス停で南九州の温暖さを語りかける婦人の香水に混じる。集まったシアター・ミヤザキのメンバー松田俊彦さんと渡辺康造さんはバイクライダーなのでそれなりの防寒だが、北窓の事務所は冷える冷える。ブライトハウス住吉から配達された弁当を会食し、映画構想チャプターに手をつけていると、ガラス扉上方の掲示チラシの陰から顔が覗き、苺パックのレジ袋を提げた河野省吾さんが歩いて入って来た。車椅子時代が永く、リーダー役も低いところから丸刈り頭で川南弁をまくす怪人であったので、知ってはいても歩く姿にはあっけにとられる。詳細は、松葉杖姿の外見を気に入らず体調もあって車椅子ライダーとして事務所に日参の日々がかってあった。元々が赤十字青年奉仕団員の縁もあり、児湯地区の福祉研修で放し飼いの公務員落合盛冶さんに結び付けられた高鍋での初対面は鮮烈であった。こだわりの人でもあり、つばさ21事業の参加者つながりが残る代は少ないが仁義は途絶えさせない健さんや文太さんに執拗さを加味した団塊のひとり。
口から出たのは、賛助会費はいくらや?ボランティア派遣で手を焼かせた国立病院勤務の奥さんも孫の守とのことで、後方支援に徹するボランティア晩年を迎えていらっしゃる。牧場経営も断たれた頃だったので納屋に置かせていただいた古着や道具類の協会ゴミ遺産が残されている事もあり川南には足が向けられない当時の責任者は私。しかし、闘病中に過度な活動で徒歩を回復した稀有な存在で、児湯七不思議と言えるんぢゃないだろうか。もう一つは、都農の同日に生まれ結婚し、同日に亡くなったという仲良し夫婦のエピソード。そして多分29万の雫など旧都高鍋界隈の歴史遺産福祉の部にはたくさんの話が面々と続くのであらふ。新しき村、絵本の郷、野の花館、石井十次、南九大etc。
シアター・ミヤザキの集まりは来月も続けることに。統合失調症などと向き合う本人さんが趣味の世界を拡げようとする時には、今との格闘があることを知るボランティアになろう。
ということで、旧暦暦愛好家として静かなおおつごもり迎えの一日となった。jvcc2015分科会決定通知も届き、2015年へ離陸、さあ。生きて出会って悩み転び年老いて語り尽くすボランティア星座座標。