現代ボランティア気質
東へ西へ散って行ったボランティアコーディネーターたちは、2016年同時期に多分横浜で集結するまでまるまる一年を別れの余韻を糧にして、業務にいそしむ。わたしの新しいファイルに収められた数名は、大阪ボランティア協会職員だが54名の運営委員枠には入らず自由にうごけていた梅田純平さんの顔を筆頭に息づき私の頭の中の細胞に酸素を運んでくれている。次世代を担うボランティアが制度のシャワー浴びる公式にも我々の得意分野、非公式にも若者の通過儀礼の意味合いは尻の蒙古斑の様に人類の本性なる活動をくっきりと刻む。
しょっぱな、コリアセンター・コミュニティーカフェ「ナドゥリ」でであった尹東柱の美しい詩から、真逆の釜ヶ崎の空気を大探検サポートしてくれた森本さんがつぶやくように感じさせてくれたオモロさのシャイさ加減、頭脳が集結してミキサーにかけられた怒涛の分科会、ほんたふの競泳は金槌な私だが奇跡に遊泳して帰還を果たしている。イデオロギーとしてのボラがあるとすれば、反体制、火のついた統治を救うべく姿なき活躍の志士。
声を聴き、なさいと言いたい領袖。やはり、加留部さんのファシリテートは文学の香りに満ちていた。誰もが褒めさやす山崎亮流より
トーンが重層感に溢れ出す真摯さを呼び覚ます。聴くは庁の字体でありユルすなのだそうだ。あの県庁の庁は聴く処なのに本来、あー出がけに聴きに行ったのは正解正解。
ここまでで報告その1。