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ワークショップ回顧

2015年4月24日 ワークショップ回顧 はコメントを受け付けていません

 なのはな村で、ワークショップ初体験をした。高崎明さんが勤務する養護学校から生まれたものだった。怪獣になるというのでみんなファンタスティックな魔法の龍みたいにわいわい踊ったが、わたしはおどろおどろしいゴジラを演じてしまった。
 協会30数年の変遷とステージが上がっていった節目には、研究集会と呼ばれる勉強の場が大いに加勢をしてくれた。ふれあいの旅や祭り、リサイクルバザーといったイベントの連続体の間に情報誌発行(何と毎月、近年ほぼ季刊となるまで通算405号)やボランティア講座、諸会員、実行委員会等ニーズへのコーディネート。振り返りや、先進事例の吸収など研究の時間はほとんどないままに、総会ででは頑張りましょうが続いていく訳でいつの間にか体質は硬直化する。せめてものリフレッシュにJYVA主催の全国ボランティア研究集会が2月11日を挟んで代々木オリンピックセンターで恒例化していたのに積極的に参加を募った。
九州ブロックでの集会も初期には大いに機能していたのでもインターバルには、もちろんこぞって参加した。ただ、運営は半端なものではないので、本県では2度開催するにとどまり、やがて、キーパーソン会議と小規模集中リーダー養成へと模様替えする内に霧散した末、本部であった社団の経営倒産に至った。全国集会の方は最期は山形県酒田市で正規に幕を下ろした。育てられたイベントなので日本海に向いてでしばし鎮魂してきた、この国のボランティアの行方に。 
 さて、限られた時間内で、事例発表やテーマを材料に帰って活かす議論を闘わせ、交流会や展示、公演で最新のアジアにまで広げた実践報告を吸収する、そんな濃い内容だから確かに勉強のばとしては最高であった。が、現実の私たちの潜在能力と許容量を遥かに、はや少しだけでもオーバーした事例との齟齬はどうしようもない。アルコールにも轟沈し庭園で倒れるなどもあった。まあ、覚醒させてもらえる一点だけは確保できたが、なかなか知恵と行動力の新芽は出そうになかった。そんな参加者への気づきのアプローチ技法も試行し伝授されもした。それが議論にとどまらないワークショップの登場であった。KJ法は今も主流のようだ。ただファシリテーターの技量により掲示型から最新の加留部さんのJVCC2015の時は、囲む机上一面の模造紙をノート代わりに使い書き込む、吐き出すといったほうが良いかも、という決して型にはまらない進化。そう、型にはまって動けない脳を揺り動かしたり、微動させたりの手を焼かせいわば改心させるのがワークショップ。協会理事会では高齢者介護系の色カルタを理事が持参してアイスブレークなどで会議が充実した内容になることをわからせてくれる。jvcc2013のとき選んだ分科会でクレセントワークスを受講した時には、学習する権利を主張するものでそもそも問題解決リーダーが技量を磨くツールなどではなく、問題を持つ人が解決法を自ら手に入れるためのワークショップの意味を教えられた。部屋の雰囲気や飴、飲料のおもてなしなど、あなたはまだ未知のあなたを変えていく場を持つ機会が当然与えられているのですよとワークショップが包み込んでくれる様なWINWINともWELCOMEともいえるもの。振り返れば国策として国とその時の都合にあわせた人材づくりの連環にはまりすぎた自由度が怪しい先進国の我々。目覚めたはずのボランティアやリーダーさえも脱皮には手間暇がいるのだ。
 とにかく、まだ社会づくりへ協働ができていた頃から、ワークショップは宝の山(えにしや、カタツムリ社発行)なのだった。近年癌との闘病後亡くなられた加藤哲夫さんはその面でも先駆者だった。仙台の自然食品店から発刊された本を手にしたことからワークショップ的な考え方が早いうちに宮崎にも伝染していた。「覚醒のネットワーク」である。アジアの悪魔払いの地域での意義が、わたぼうしコンサートも引き合いに出され覚醒を呼びかけた。多分当時の宮崎の若者は自分の指針として関心をよせたものだ。私は麻原彰晃と安倍晋三と同年なのでそこそこリーダーを取る時にカリスマ性を用いたが、言い成りにするとは真逆の秘めた力を呼び覚ますのがワークショプの意義である。宮崎DARCが近所に出現した時、やっかいな依存症に唯一立ち向かえるのは仲間の存在と辛さと喜びの分かち合いの手法であるミーティングを最中させてもらうことで実体験した。日常を犯罪性と薬物から脱却するためにひたすた心情吐露の時間を最重要にしている様は、ワークショップの中で最高峰である。一方で私の妻が思秋期前に一点を突破できたのが演劇ワークであった。竹内敏晴理論を宮崎でも協会として講師に来ていただいたこともある。身体が既に生き抜くように機能していない、言葉が心から発していない、身体ほぐし、抱え込んだ地獄の蓋を開け放つというハードな内容。一時自己啓発セミナーなどオウムなどの自己高揚型で不具合も出やすいものがあった中、皆「心の中に風が吹いた」と覚醒感をごちた。私は横で奥さんの回復を見て納得しすぎのようだが。ただ、フォローが無ければ、精神科でも治らないものが完治?して立派なリーダー一丁上がりてなわけにはいかない。ボランティア夢想家はそんな超楽観的な所が許されているのかもしれないが。
 とにかく、ワークショップ技法でも使いこなさなければ、そして自分が変われなければ問題は解決しえないことだけは経験知として言える。そう、とっておきのワークショップだと思えるのは、デンマーク流のやはり身体ほぐし系の未知で新鮮なものだった。当時の事務局長るんるんこと西田守がおやこ劇場系の人脈で福岡から招聘した清水満さんのものであった。県体育館の道場を会場にした人と人の関係性に迫る。竹内敏晴では砂の上の出会いがあるらしい。その時、変わったかというと、日常の仕事も心から活き活きとはこなせてない心身だったので、ぎっくり腰になったのだった。その頃から私のこころはギブアップしていた。そんな風に
あなたのベースになるところの整備をまず始めましょうというタイミングでのワークショップは効果がある。

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