癒しの処やってます
厚生労働省の資料「障害のある人に対する相談支援について」を手に第11回特定非営利活動法人癒しの里総会に出た。同席した会員は精神科医、施設卒業生と私の3男子。向かい合って代表の戸山、事務局女子2名のこじんまりした会であった。
もう、創設者コウさんの姿が消えて500日くらいは経て。すっかり室内装飾も完全DIYを超えたプロ級の出来栄えで気持ちが新たな総会を迎えた西池事務所。そうここが宮崎DARCとしてある時は薬物依存症者の悶念の修羅場と化しつつ20年を迎えた場所で在る事には目を見張る回復が伴っている。
NPO法人化にあたり癒しの里にしたよと聞いた時に、何と和風なと感じたものだった。理事にも誘われたが、当事者でもなく依存症者の自覚の意味で会員として参画した。
つい最近もこの場所を舞台に年明けに起きた窃盗侵入案件の裁判傍聴にも誘われ、相変わらず稀有な体験に驚かされる団体である。その時は単なる被害者側の傍聴だったが、薬物依存型精神障害者本人活動支援の現場には発達障害の側面から犯罪者へのフォローができる団体も絡んでいてまさに問題解決テーマ型NPOが活躍していた。
戸山代表は、職業訓練と大会参加をかねてタイ国から帰国したばかり、アセアン諸国でも薬物依存症者対応の歴史があって、その輪に日本人3人として加わり歓迎された国連系の情報にも驚かされもした。専門用語でいうエヌエーの九州福岡大会が夏には開かれ、11月には20周年を祝う宮崎ダルクがフォーラムを開催という。
さあ、仲間として受け入れてくれる依存症者グループをどう理解するかというと、ヒントとして聴覚障害者全国大会宮崎のエピソードを思う。いつもは手話通訳者という専門家を介して、また、要約筆記プロジェクターのある発表でなかなか身近に存在を感じられないあの隔たりは、まさに沈黙の壁が存在していることに考えが及ばないものだ。当然や必然さえ吸い込んでしまう沈黙や騒音の世界。そこに居続ける不快さは!それに寄り添えない無知さ。大変困難な少しの理解さえ。
そのことが衝撃で破られたことがあった。河畔ホテル街でも豪華な宴会場では全国の聾者が開放感に溢れたダンスに興じていた。大会会長さんが世界大会で目から鱗のダンスを本場ワルツかなんかを楽しめる当然さに開眼し、プログラムを出し、をどりどころの本県ならではのパーティーは盛り上がり過ぎてしまった。高鍋のナチュラルサウンズオケの生演奏は普段のストレスを解放して、焼酎キリマンジャロはテンションの閾値を越させた。ミラーボールのカラフルな光彩が駆け巡る天井めがけボトルが宙に舞った。混乱はすぐにおさまり、軽症の人が延岡の実行委員サイドだったことも怪我の功名。語り草ももう聴かなくなった。
あまりに社会に溶け込みすぎて見えない障がい、知らないのが通常になっていることの悲惨。精神障がい、薬物依存、聴覚障がいの仲間がすぐ隣で重荷を負わされている社会が普通であっては困る。困ることが解決できないのは困らせている社会も何だアイデア出せないのと困った存在だ。
当事者がこつこつと前進している姿に感心したり、驚いたりの風を吹かせるのはボランティアの十八番ではないか。
ところで、昨年夏から障害者(児)相談支援事業「癒しの処」が始まったと報告があった。そういえばどこの事業所も取り組んでいて、役員をしていたまほろば福祉会にも相談室ができていて、覗くと振り返る苅部所長は並んだカルテのようなファイルの概要をドクターのような感じで教えてくれたもんだ。
一番いやな思いをさせられる”たらいまわし”がなくなり連携が進み、やっと自分らしさにたどり着けるという声がたくさん上がることが期待できる。
そのたらいまわしがなくなる日が、協会のミッション到達点であろう。
癒しの里の事業計画の背後にはデリ部門やタイ古式マッサージといった競争必至の厳しいビジネス戦線への準備もこつこつされている。
会員のドクターが大和言葉のネーミングを褒めた。名つけからしてホスピタリティー溢れて、当事者の愛の深さと耐えてきた重圧トラウマの深さも響いている。
この扉のむこうに愛があります。この看板もこの施設の定番である。
まだ、総会シーズンは続くが、来月には新しいテーマの学習会もある。注目したい。男女協働参画センター事業