言葉にならないけれど
かって一世風靡したアルバム「言葉にならないけれど」国富町三名のエデンの園で誕生したバンドになるものがある。
重複障がい者の施設からのメッセージはメロディと歌姫こずえさんの澄んだ言葉で全国を席巻し、バリアフリーの世界の到来を告げた。
高齢化したメンバーは静かな生活を続ける。
それぞれ県内からやって来た寮生を元気付けようと若い音楽好きの職員が盛り立て、賛美歌やらからスタートし、言葉にして訴える、主張する域に達した時、ようやく社会はその内容と表現力、何より赦しに溢れた演奏に驚いた。
メンバーの元気は他の寮生にも伝わり、自閉が開かれる奇跡をも巻き起こした。
そうして、高齢化の今何もすごいことなど忘れたように静かな生活がそこにある。
陶芸のろくろが回転するように、テープが回転して音を奏でるように。
ほとんど言葉にならない、訴求や喜び悲しみが脳を覆っている世界から一気に抜け出た瞬間に見せる表情は、音楽家の神をつかんだ瞬間のそれと同じようで、天使への憑依を観客は見逃さなかった。
抜群の記憶力など素養に気づいた職員は、好きな演奏で対等に協働しはじめてアートの完成を得たのであった。
言葉にならないけれどには、発声や意味の理解の言葉ではなく、自らの納得がポジティブに現れた。
言葉以外に、言葉に依らず、わたしがわたしであろうとするわたしなりの力があるのです。それは認めて欲しい。理解して欲しい。そのことが何故かならない世界への伝言。ノックであった。
1+1+1=3 ジョンレノンのカムツゲザーの歌詞、君と僕そして呼ばれたあなた、さあ一緒にハイキングにでも♪ そんなファンタジーさは、ハメルーンの笛吹き的な魅力も備えていた。
しかし、瞬間目覚めただけで、社会はまた言葉との格闘の世界へ戻っていってしまった。
そして、君と僕とあなたも高齢化になってゆくだけ。
そして、誰かがきっとまた覚醒のステージを運んでくる。
そのチャンスには、もっと言葉にならないことの意味を受け止められなければならない。
そんな約束を我々はグレープフルーツというバンドと交わしたはずだから。