女王蜂*の伝言
先日の婦人との新たな邂逅に続くが、老いの暮らしを創るというテーマがもう一段浮上する。畏友「納宏子」からの肉声受電に他ならぬ意図を察し、彼女の為に架けられたような天満大橋を渡り掛かり付けの江南病院374號室を目指した。
武勇伝を数々ものにしてきた点では、現在生協病院に緊急入院している野海靖治氏と系統は似るが、そこは70年を既に越した、しかもB型気質との格闘編として私的関心を沸き立たせられ続けてきた彼女。自分には薄いWILLの持ち主との交遊で到達点を目指す感情移入啓発でもあるボランティア活動を彼女との連携で成し得てきたが、その頼みの綱、師にもいよいよ断末魔の際が来たかのように横たわっていた。いつもの左下横臥の姿勢で夕食の最後の一口を咀嚼しながらも気持ちは早くアイデアを伝えたい一心のようだ。
思えば、県ボラ総会後の昼食会時にも、辻会長を捕まえてパソコン活用術の停滞を横臥の姿勢から更に身を起こし訴えていた。とっておきのN響デートの夜にはいつの間にか、どこドアーの迎えに乗車して春の闇に消えた。通常の高齢者以上の生活が持続できたはずだったが、ここに至り、今回の骨折には業を煮やしたかのような病院上げての「電動車椅子」御法度宣告が出たと云う。骨折のまま運転して慣れた病院へとまでは良かったものの即お蔵入り、倉庫に置かれた電動を救出して脱走共謀する手筈ならやや得意分野ではあるが、彼女の真に迫ったスプーンを器用に操る指先がめくったのは、86ページ目の介護保険制度の改正①〜村田幸子で、ここ読めわんわん!つまり、幕末の草莽の士のようなオルグであった。この高齢化の時期に決起せよ!と入院以来考えあぐね呼び出したというのである。奥付にラジオ深夜便©NHKサービスセンター 本誌の記事および写真の無断転載・放送を禁じます。なので要約すれば、介護保険制度スタート以来の大きな見直し「通所介護」「訪問介護」を市町村の独自サービスへの変更、ただし、財源は介護保険本体。という出だしである。肝のところは、介護保険制度では認められていなかった見守りとか通院介助、また配食といった生活支援のサービスも受けられるようになったのである。と云うところ。その担い手は、地域住民のボランティアであり、NPO団体等である。とすぐ示唆されている。つまり専門家が提供するサービスに加えて、地域住民が専門職と連携して多様な生活支援を行い、地域の要支援高齢者を支えるというしくみに変わったことが、今回の改正の大きな特徴と言える。と宣言されている。
私を指名した部分はこのボランティアであるが、西田守ことるんるんの専門家勢も巻き込みたいとの彼女のプランであった。
ひとまず、わたぼうしコンサートの売れない券を預かり、執行部に渡すことを引き受け退散した次第。うむ、花燃ゆの雰囲気になってきている。チャンポン食べたかあではお茶を濁せぬようだ。この節はここまで。
*女王蜂とは、ボランティア協会にかかった一本の電話から派生した送迎ボランティアに赴くのに、本人公認呼び名として当時80年代売れた金田一耕助ものの角川映画のTVスポットに便乗して名付けられた。もう一つ、地域版の福祉の広場コラムに広域親切團納組というのも発表したが、毎日新聞宮崎支局記者より咎められる。