攻撃
時節柄、おだやかではないが、「施設へ行けば!」との心無い言葉にフリーズしたかの電話のやりとりを耳にした奥さん(亥年)がきっぱり「攻撃よ」とつぶやいた。いちいち余計な言葉を吐くご仁には、議論無用・攻撃の姿勢を持つぐらいでないと増々つけ入れられる。強い自立生活の意志を見せておかなければ。
こんなやり取りの後、イナちゃんを思った。「ブバキャア(馬鹿)」が口癖で寄らば斬るぞの体制で、人生の大半は長い杖を器用にあやつりもたれながら突く歩行の達人で、後半生は電動車椅子ライダーに仲間入りした。現在は自宅の隣の老人施設に入居、甥御さんの世話になりならがということで電動も降りられた由。電話口では云云としっかりやり取りをしてくれた。ぴ~すけカードの説明の用件で再会訪問を約束することもできた。
その彼の姿勢は、まさに攻撃、突破型であった。近所では人気者、やや離れると誤解から恐い人と見られ、行商を生業とし商品とお客相手関係には丁寧な印象を第一とする紳士であった。ただ遠巻きの余計な視線には専守防衛どころではなく攻撃のオーラで寄せ付けない。見事な日常であった。女子高校に通っていた娘の目線には、恐い人では無いという思いが、気づきがあったのが後に、ボランティア協会に出入りする内に輪の中にイナちゃんを見聞し、やっぱり恐くなかったと確認したと述懐するものもあった。
生まれ育った地域での人生完結まで、ぎりぎりの自宅自立は、もう攻撃する必要もないかもしれない。中年期の身体は筋肉質で細胞ごと野性味を帯びていた。そして、かわいいものへの愛情は妹さん譲りで暖かだった。どんこやに行くと言い出し年齢は若い先輩たちが取り組み始めた紙漉きの和紙材づくりの職人として創造性もキャラクターに加味された。何事も「ブバキャア(馬鹿)」のやり取りで簡潔に完結してしまいがちだったので実は宝石原石の一部しか我々には発見できなかった馬鹿者だったかもしれない。
しかし、「施設に行けば!」などの虚言を投げられ余計な動揺をしないように、攻撃のイナちゃんの爪の垢は煎じて飲んでみる価値がありそうだ。普通に生きることが天国に等しく、この生活がいとおしければ、魔の誘いには唸りを上げよう。不服従の眼は大事なこと。
パステル画「内海港」作者・宮田三男。1923年生。早期退職後は初期県ボランティア協会の事務局に専念。晩年はパステル画教室で指導にあたる。2007年4月没。