ラジャー去川こども村
日曜日、メスカの事業「生活貧困世帯支援をITで!eのあります」授業が高岡町去川小(統廃合で指定管理を株・SunGrow)の多目的室で初の野外授業を行った。三ヶ月を経過して10名の生徒を集め、それぞれのニーズに合う個別授業を三教室で展開している。毎日新聞の黒澤記者の取材を県ボランティア協会教室も受け、講師役の公立大生の日野葵さんと2名の女性生徒の講習様子が報道された。その全体版の息抜きイベントとして去川こども村を名乗る日曜教室が3回連続の初回となった。
協会員へは直前のはがき通知で活動の告知をしたが、ヒット数は一件あり、サプライズで地元選出の参議院議員事務所から問い合わせの前触れがあり、授業前に覗いて行かれた。光栄なことである。とともに、貧困と不登校、ひいてはフリースクールという文言が物語るニッポンの2015年の締めの時期にタイムリーなイベントとしてピカッと点滅を発することができた。
そして、午後の部のクイズ大会などが終わる頃には、大人も小学生も、女性も男性も程よくバリアから解放されて去川の大銀杏の樹を後にしたのだった。協会教室の生徒二人は風邪用心で欠席となったが、わたしを含めた3人の中高年トリオと受付担当の生駒理事はおおはしゃぎであった。メイン講師は不登校歴理学療法士の塩入好紀氏でお隣の綾町にも不登校当時に度々山口県から連れられてきた縁があり、25名の参加者のほぼ半数は成長した講師を訪ね、後の中学生男子3名、小学生女子1名とその家族らは、前出の株)SunGrowが展開する学遊館恒久に関わりがあるおとなとこども、講師らであった。
今年、宮崎駅前で出張講座を開催した「不登校新聞」の当事者目線でのイベントのミニ・野外版というところであった。総元締のメスカ・亀沢克憲代表理事は自然の力とITの知恵の融合を何とか形にして、日常の教室兼居場所を構築せねばというミッションを確かなものとされた。
西米良村所神楽真夜中帰りの私の背をそっと押してくれた理学療法士の手は暖かく、癒しのパワーにすぐ反応するのだった。生徒数は4人、講師は3、4人あとは普通のおとなという一つの群れが半日を聴いて、考えて、食べて、遊んでという時間をシェアしたわけであるが、自分を出すには程良い、距離感があったように思う。
「なぜ勉強しなければならないのか」というある一人の問いに20数個の回答があった。勉強は正解をひたすら求め合否は人生をも左右するという「バカな」実態を疑うことなく信奉してやまない。勉強はこまった奴だ。元小学校では、風が自由に吹き、近くの大淀川は五月蝿く流れ続け、多分隣の集落の人は今ここで何があっているのかも知らない。しかし、神経衰弱ゲームでおとなもこどももポカをやるたび盛り上がり、景品を欲しがり、当然子どもにはやさしくあり、おとな同士も胸一杯に呼吸をしあった。
もしかして、このツリーを送ってくれたバングラデシュのグループなんかでは共同体はより弱いものを真ん中において喜びを目指しているのではと、10年前に訪問したことと重ね合わせ想像できる。
となれば、今のニッポンが探している姿は、過去でもない、よそのアジアでもない、ここからはじめる何かなのではないのかとも思えるのであった。身体が解放された時に感じる風にあふれた良いイベントだった。