ふくちゃん
2017年3月9日 at 11:56 PMCategory:お知らせ
2017年3月9日 at 11:56 PMCategory:お知らせ
2017年3月8日 at 6:18 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ
水曜日の夕刻、遂にふれあいの旅報告書の製本が始まった。実行委員と山崎光代の手作業は、アンケートのページがくっついてない!とホチキスどめ位置でやり直しと、全身全霊を傾けた旅の成果を最期まで丁寧に手作りしている。ブログの内容と同じ、福岡市ボランティアセンターの正木さんが山崎の出現に驚かされたエピソードをしっかり憶えていた報告に光代の笑顔が増した。ふりかえりをしようにも、報告書ができるまでは気が気ではなかったろう。しかし、あと数冊をホチキス止めすれば大きく息が吸える。
光代はフットワークあってこそのふれあいの旅コーディネーターである。愛車LAB4を駆って、門司港~宗像のリゾートホテル~キャナルシティと現場を踏み、現地ボランティア調達のため臆せず、餅は餅屋のボラセンに託した買い物付添いボラ。陥没も近かった時期のキャナルシティでは、出会ったばかりのボランティアと爆買いのひと時を過ごせた。
現在、実行委員会の構成は宮崎公立大学学生に頼りっぱなしの情況。MESCのITアドバイザーとして水曜日勤務の城戸松豪さんが旅の質を上げてきた後を順調に引き継いできた。その旅の軸が、彼女のアウトリーチ、下見であった。土産物屋さんを兼ねた、バリアフルな昼食会場にも交渉して人手の確保を取り付けた。何しろ杖歩行と携帯式電動車いすを使い分ける、八重歯のかわいい交渉人が来れば、最後には甘く見てはいけない、その真剣さは本物だという好印象を与え続けた。長年旅行のプロとして係わる旅行会社さんも、現場のホスピタリティが的を得たものではないことも承知であるが、山崎が単独で交渉した内容には信頼をしてくれているようだ。
ひと旅毎にネットワークを広げる、多様性受容力は、普段の友達付き合いにも、地域コーディネーターとして係わる生活者としての様々な仲間たちにも自然と伝わっている。そして、彼女の眼を通して観た現地の様子に色どりをつけていく参加者のパフォーマンス、学生たちのピュアな感性が重なり合って旅は終わり、次の旅までの生活を後押しし、新たな旅へと脱皮を続ける。少しづつ、社会へも影響力を及ぼしながら。
参加者のみならず、報告書を手に取ったら、段取りでほぼ7部までは完成している旅と、参加者の数だけあるドラマをどうぞ読み取って下さい。正真正銘みんなが作った楽しい旅のあふれる思いの数々を想像してみてください。
痛む手のため、最後の作業を渡辺純子に託した光代は、机にうつぶす程の疲労を一日の終わりには感じる。しかし、もう終わった。
泣いてもいいが、君は笑顔が良すぎるので、どうぞ笑って疲労回復してください。お疲れさまでした。純子さんもフォローご苦労様。隣の机より。
2017年3月8日 at 5:13 PMCategory:お知らせ
「そうそう、車いすの方が来らしてですね!障がい者団体の買い物旅行に来るけん!言わして」名札を見て突っ込むと、福岡市社協の正木さんはすぐに応じた。集会でフルに躍動する脳と身体状態に持っていかれた全参加者の間には風通しの良いまどかピアの奇跡が起こっていた。ふれ旅の秘儀である山崎光代行脚は、ここでも評価されていた。ようだ。
何かがあり、何か起きると予想をして行ってきた2017JVCC大野城V・コーディネーター全国研究集会。帰宅後さっそくラーメンの袋から宮崎味を選んで食べて三日間を振り返る。エプロン姿の社協マンの国武さんの分科会では、いきなりサクラになった実行委員が「何かむいてるボランティアはと訪ねてくる」寸劇仕立ての前説から急な展開が始まった。A-5分科会。THE BIG ISSUE 「ホームレスの仕事づくり自立を応援する」等、NGO系の事例がテーブル内にも寄せられた。(茶菓の山ははんぱではなかった)すでに非日常が繰り出され非日常だからこそコーディネートに燃える社協福祉ネットワーク関係者のみならずNGO関係者に大いにもみもまれた。大野城VS全国土産自慢ブースの交流会をはさみ、B-5分科会、クロージングと開会行事以外は、座学的雰囲気はなく、輪、三角になり対面姿勢で語り合い続ける内に自分の中に軸を落としていく形式で総ては身体ごとの学びの場であった。新任コーディネーターの内に多様性のパンチを体験するには良いチャンスで、同集会を好機として送り出した全国各地のセンター窓口、施設・病院のボランティア・NPO・NGO窓口。
B-5の分科会では、持ち込まれた障がい者とのキャンプ企画というお題にセオリーに沿い、考えられる限りのコーディネートへ知恵を出し合った。両日とも分科会担当者から電話でアンケートや話題提供などの段取りが丁寧になされていた結果、アウトリーチされ問題解決へのアイドリング状態にまんまとなっていた参加者。
我が宮崎県からは、小林、のじり、都城の高校と県西からの方々と、西米良村、私NPO宮崎県ボラが名簿上には並んでいたが、ついに顔を合わせることなく帰路に着いたのは心残り。そのかわりといってはなんだが、沖縄と千代田区、奈良の大学の方々とは前日の夜の企画で、JR水城駅前のひょうたん島に上陸し、地元のお酒に酔い、駅では何故か、ベトナム留学生に接して非日常はフルに三日間続いた。
時代の急速な時の流れに即しスピーディはあたり前でキビキビした行事展開。しかし、深刻さへは深く介入するべき時もあるコーディネート。一瞬の間に「つなぐ」芸当が要求される。そのために日頃のネットワークと情報共有が不可欠。
そして、丁寧にボランティアを求めるニーズ自身に「自己有用感」をも持たせることができるならば安堵できる。B-5運営委員、城南区社協大倉さんのあえて失敗した事例を再び引っ張り出し、全国からの同志のような存在にこころのキャパが広がる風を受けたならば、他流試合に挑んだ参加者、運営側もろともWINWIN.。この非日常でもみもまれた意義が地域に種となり根を下せば、ゆっくり時間をかけ続けることだ。わたしが「よだきい」と口に出せば、大分の方言だあと帰って来た。九州も、来年開催宣言をした信州も広いし、ネットワークはつながっている。コーディネーターはネットワークの水先案内人なのだ。
2017年3月1日 at 2:50 PMCategory:お知らせ
延岡会場 平成29年3月1日(水)13:30~16:30延岡市社会教育センター1階・研修室1
主催:特活PAみやざき*の展開する協働事業も三番目の会場で現在進行中。無事終われば、最終会場:日南市生涯学習センターまなびピア2階・視聴覚室を3/17(金)を残すのみと次第に盛り上がりを見せている。本日は留守番と送り役を仰せつかり、夕方までは、県ボラ事務所で通常の野海さんとのライター作業で過ごしている。都合3度の研修に加わったのでおさらいをしておきたい。
いずれもDPI(障がい者インタ―ナショナル)会議のNGOとしてのテキストを研修を受けた上で、座学と身近な仲間が進行役で話し合い「差別」あたるのか当たらないのか、事例をもむプログラムであった。メモを読み直すと、義務教育からスタートする人生で、養護学校という限られた体験で社会参加へと行動を広げようとする時にすでに在る社会はバリアフルな状態が改善されないまま。齟齬が生じても当たり前。世界的にも同時進行で権利としての確立を各国に呼びかけが始まったのが、思えば国際障害者年スタートの1981年。わたぼうし宮崎コンサート黎明期にいきなり旧宮崎市民会館の舞台に言葉として降りて来た。常に当事者の声を踏まえながらも法の制定は危うさを抱えながら、遂に昨年からの施行となった。県の条例しかり。
昨年の今頃から、法律と条例制定を祝おう!との要請から知り始めた「解消法関連の動き」。実質、4/2のパレード祝賀会はイベントとしてはうまくいって ホッとしたものだ。そして、法が伝えるものの真剣さは年間を通じ浸透しはじめた。そして遂に声が上がるようにようにまでなったと言うのが現状。社会全体が真剣に差別解消に動き出すまでのプロセスの途上に就いたばかりとも言える。当事者の声を待たずに率先した動きが連動する手立ては地方公共団体が一手に引き受けているようなもので、行政府でも内閣府からの指示を縦割り行政が、配下の民間事業者に新たな規律として目を光らせていくという延々とした流れ。だが、法の意味は、比較的自由者であらんとする我々ボランティア団体とて順守せねばならない。
家族同然の気持ちの上で、いつのまにか立ち位置をうやむやにしてきたような気がするが、法の上では、あらゆる事業者と同列で差別に真剣に取り組まなければならないことが明白にされ、家族間へまで律することはうたってないが、ハラスメントやネグレクトとして家族の中での緊急性へは立ち入ることで子供を守る事例では明白化されている。
是非、当事者ファシリテーターが挑戦しているワークショップやタウンミーティングに参加することで、障がいのあるなしを超えることで見えてくる社会改革へともに進みたい。
協会の当初からの会員である飫肥在住の岩切秀樹さんもファシリテートを学びながら実行に移し、草の根の障がい者運動の一役を担う覚悟である。彼がいざ鉄道を使い当事者と交流しようとする今時点では過疎化した飫肥駅となってしまっているのが現状。そこで板子乗りの登場である。写真のスロープを持参しても社会参加の質を上げ、過疎でないまちへと汗をかき合うのだ、楽しくを合言葉に。
*特活PAみやざきは、YAH!DOみやざきから派生したサービス提供業者名。ちなみに「どこでもドアー」も名称はニュークリエートとしてヘルパー派遣業に励んでいる。
おまけ。活動には支障がない野海さんにとってipad操作での細かいミスタッチを防ぐソフトがないかなあ?!教えて城戸さん!とのこと。移動バリアに果敢に向かい勝利した彼にも、ITのバリアとの奮闘は続くのである。終わりっ!
2017年3月1日 at 1:07 PMCategory:お知らせ
梅子さんは興に乗ってきたと見え、シコをふんぢゃった。土曜日の午後、地域コンサート5月開催がおぼろげながらも見えてきた有料老人ホームおひさまにおいとまするタイミング。五嶌さんには納宏子さん紹介でぎっくり腰を診てもらった恩もあるが、現在は三ヶ所の介護サービスを手がけておられる。その場を地域密着型展開として、利用者の納さんが面目躍如で仕掛けを投げ会談はよいスタートをきった。
そもそも、一昨年の退院を機に病院主催で話し合いが持たれたとき、当事者の主張をバックアップするため五嶌さんと私も地域自立生活の応援者として顔をそろえて今がある。もはや介護保険制度の枠内での選択を余儀なくされ、あわや施設入所が先行し気色ばんだ空気も流れていた。40代後半からの家を開放し、自身で外出する力を得た納さんの存在アピールはわたぼうしコンサートをメインに失われた成長を一気に加速させ、ウサギに追いついた亀のように生活を展開して行った。そして多くの賛同者、後に続く自立生活者へ先行く仲間となった。
しかし、かってのようにはボランティアが寄ってはこない今と、老いへの階段が立ち塞がる現状に至っても、湧き上がる共生への欲求は枯れない。後見人制度で親身になる存在が増え、その彼女の趣味の楽器演奏を喜んだと同時に、施設改革案までも考え始めたのだった。
そこで毎週顔を合わせる利用者が梅子さん。うちとけるきっかけを互いに見計らうのか辰年の二人。他の男性らもサイモンとガーファンクルのブックエンドの歌詞のごとくポツンと座して日々を淡白に送る様子。その精神的沈黙空間を打ち破りたいとの秘策が納さんの頭脳では芽吹き、取り巻を動かし、気心の知れた経営者もけしかけ遂に決行日までが見えてきた。
思えば、いつもそうだった。激励しているつもりが知恵と勇気を吸収させてくれ、運び役のつもりが舞台の袖から役を果たせるまでに育てられた。今回も生死をかけるくらいのモチベーションが自然と移り、波及効果間違いなしのイベントへと力が集まりだした。一番ブレイクした還暦大パーティーから16年経った今年、相方の友井絹子さんが10年前に逝き、一周り若い菊永恵子さんが闘病の床にあるのに較べたら孤軍奮闘する姿は静かさと崇高さを増し続けている。改めて彼女の生き方にアザミ姫の冠を捧げる次第。
2017年2月22日 at 6:22 PMCategory:お知らせ
明日になれば、鉄道で旅する車椅子たち。ファシリテーター講座の交流会で人気者だった坂本夏美さん。自立生活への虎の穴で半年過ごした野海さんの若い女性版となっている部屋に行ってみた。主目的は田中達昭会長の墓参だったが、元YAH!DO事務所、歴史的にはほうれん荘長屋はシークレットでアノニマスな団体事務所も連なっている。これ以上解説してはならないが、夏美さんには後ろにはかって「BARきぬこ」があって人つなぎに懸命な命を閉じた友井絹子さんが住まったことを知ったかぶりした。夏美ちゃんも「私が初参加したふれあいの旅、阿蘇でも二次会に出たのが自慢できる、今の飲み会では外交的になれる私っ!」とキラキラした目をまたたかせた。
そのふれあいの旅が当然の如く鉄路での旅だった頃。京町温泉へ繰り出した。武智秀之さんなど小学生の頃。そんな懐かしい、しかし、鉄道での旅という選択肢が車椅子利用者に難易をかける未来となってしまった。その暗雲をはねのけ、どしどし出現することで社会のあるべき姿を体現させようとこの4月1日でまる一年の法律の可能性をたぐりよせる活動が本年度の終わりを飾る。
差別解消に向け、1から10までの問答をまな板に載せる。率先してそれぞれの意見を出しやすい雰囲気、風をファシリテーターは起こし同じテーブルでの議論の広がりに身を任せる。知らされないことの何と多いことか。狭いタコツボの中でよくも生きられるものだ。その殻を車椅子の出現やこころの病や難病や、感覚が過敏すぎる知覚、キラリと流星を光らせる頭脳の持ち主やらが八百万の神様のように同時に同時代に存在することで開かれる可能性。
そんなことを目指すタウンミーティングが今後3ヶ所で開催される。おためし企画で手ごたえを感じたファシリテーター諸氏と、都城(高崎)延岡、最後の日南(自宅)と旅の一座に加わるのが岩切秀樹さん。野海さんは自立生活のトイレ改造に向けて動き出したところ、彼曰く「いろいろある」。そして、差別解消へ向かわなければならない。
2017年2月22日 at 6:20 PMCategory:お知らせ
少し事務所入りが遅れた。待ちわびたのか野海さんはメールと指示。気分は稲ちゃん流にばかあー!!!!!だったかも。メールには本日の日付が入り、旅日記出版のことと、日本福祉大学通信制への一年間継続申請の手続きの用件が。PDFへの記入に手間取り、郵便局へとあせる気分の文豪をトイレ休憩の後、送り出した。しかし、ほどなく雨にたたられ帰還。ばかあ!!!!!な気分が深まったようだ。そのばかあ!!!!!にひるまず、稲ちゃんの後継者としてどしどし外出活動に励むように応える。タイミングよく飫肥の岩切秀樹さんよりFACETIMEがかかり、明日の都城(高崎)同行を打ち合わせた後、封筒に収まった継続願書を写し勉学ムードが広まることとなった。
さて、ボランティアセンターの印刷機器ブースが撤退した空間、ワーキングルーム入口に雛人形が飾られた。
不随運動がしょうがいと呼称され、差別の心に油を注ぐと考えがちだ。しかし、静観すると不随運動をうまく制御して、電動車を運転し、ちゃんと7000円也の車の保険にも入り活動する姿は全身全霊をかけている。一方で行動に慣れた大人たちは随意に身体を使っているようにもあるが、いつも真剣さを伴ってはいまい。加齢とともに眼は焦点をぼかし、排尿機能にも不随な兆候が出始める。これは実感する。元々不随なひとがたくみにそう、全身全霊で自分と機器をあやつる姿は学ぶべきである。全身運動こと健康維持のベースである。簡単にできてしまっていては積み重ねや改良、工夫の知恵も育たない。そんな流れで加齢に入れば危険なはず。
だから、みんなが求めているボランティアってやつをやってみるってのはいかが?それこそ全身全霊で取り組めば結果は安心につながる。手助けを求められている瞬間、全身全霊を傾けることで相互関係が成立しうまく行く。また、両者とも余計な怯えを消し去る全身全霊さこそが無我であるともいえ、限りない力を自らの中から発し、やさしささえ帯びる。誰とでも交信可能スキルを身に着けられる。意識しなければみんな同じ人形。そこに全身全霊を傾けることでひとらしさは身につく。対象に全身全霊を試みることで意外と真の自分も開きはしまいか。ボランティアは無償性を越えた全身全霊性を試す活動である。
2017年2月22日 at 6:09 PMCategory:お知らせ
今夜は観劇ということで、食事は帰宅後という野海さん。和田祥吾さんは帰宅してふれあいの旅の報告書編集ということで早めの退散。何かしら穏やかなオーラの女性が古切手を持参されていたが何やら見覚えのあるキャラクターの印刷の布カバンだった。記帳されて去られたが、アッと気づいた。西米良村のキャラクターだったのだ遠路社協関係の出張だったのだろう。野海さんは西米良、諸塚、椎葉には行ってないと口を挟む。同様に城戸さんも。私は2002年に椎葉神楽の洗礼を受けて以来、グリーンツーリズムの研修にも参加して諸塚へも、西米良の温泉を早朝に地元のボランティアが清掃するのが続いていることなど知ったかぶり。特に、2004年には、当時のJYVA365現役が集結して派遣先の諸塚村で年越しというイベントに竹内周作さんと藤元袈裟義さん(故人)と参加させてもらった記憶。何しろ第4回ふれあいの旅が米良の里という稀有な行先だったという逸話は、当時の事務局長野戸哲哉さん(故人)がかって国民保険の啓発に回った懐かしい地に回帰したいというアイデアが可能となった。原田恒夫さん(故人)は教え子から調達した運動会仕様の花火器具を持参して、名高い山並みの大轟音の花火を一発だけ上げて気勢を上げた。
さて、旅も近い。うきは市社会福祉協議会から丁寧な確認とお願いの電話が入った。選択した分科会は、国連関連機関の講師が来たり、目を引いたホームレス自助活動「ビッグイッシュー」の事例だが、参加者からもレアな話題を提供してほしいという。すかさず宮崎DARCがこのセンター地域で展開している旨を伝えた。ボランティアプログラムのことをつっこんで確かめられたが、今は寄付や市民が物品購入で支援しているくらいと答えた。最後に、国連関連の多分フェアトレードのような茶菓を持ち寄るので、ぜひ、宮崎ならではの茶菓も持参をと絞められた。3月4、5日大野城市を会場に研修会も詰めに入ったようだ。前日企画へも「ひょうたん島」3/3(金)18:00~20:30にしようか。宿泊は鳥栖に取ったので、近場がよかろう。ひょうたん島はコピーによると宮崎から全国へ発信した「しんすけの店」一家を想像させる。しんすけさんご自身は、作業所の業務としてセンターにも顔を出される。はるかTV番組の感動を確かめに宮崎ならしんすけさん伝説は多分生き続けているだろう。
さて、表題の板子乗降臨にはあべゆう(こふく劇場)や実広健士(グループ連)といった馴染みの役者さんも出られる。板子とはサーフボードを指す、我が野海さんも板子の上で、旅日記を身体のバランスよく書き綴る水曜日のボランティア協会事務所。
2017年2月15日 at 3:24 PMCategory:お知らせ
いきなりFBのチェックしはじめた野海さん、昨夜の関テレのドラマの会長と同姓の占い職の方が、逆に私が癒されたとの書き込みを見せてくれた。次に見せたメモは納宏子宅の完全バリアフリートイレの見学をしたい。流石年男気合が入った春の日々。
さて、ふれあいへの同封をする旅日記を編集する段。受取ったメール添付を開く。2段落目をコピペすると、3年前のまちの様子が活写されている。以下「野海靖治旅日記奏でる編5から先行掲載」
3月に入るか?入らないか?くらいに南宮崎駅にエレベーターが設置された。僕のアパートは南宮崎駅が近いので、今までは一応、南宮崎駅で乗り降りする方法があったけど、線路の上を渡らないといけなかったし、乗るときに一番、大事な切符を買わないといけないから、階段の上にある改札にいる駅員さんを呼ばないことには乗れなかったから、自分で電動車椅子を運転するか、送迎サービスを使って、宮崎駅まで行った方が早かった。僕にとっては、南宮崎駅にエレベーターがあることでだいぶ、楽になった!
本日は、この原町界隈、江平のPAみやざきでファシリテーター講座。明日はジャイアンツキャンプでにぎわっている武道館の研修室でファシリテーターなりたての面々によるワークが展開され。順じ県内で当事者意識を伝える力を育てる構想がスタートする。4月2日にパレードと銘打って祝賀会も盛り上がった「障がい者差別解消法」発布イヤーを年度として締めくくり次へと行進するチャンス。野海さんは別の団体の方に時間を割いているようで、本日はジパングを名乗る岩切秀樹さんはそろそろ東京からの講師を迎えるPAみやざきと合流する頃。電動車いす搭載のより負担の軽い大型機に搭乗する関係上、午後の便を迎える。自立生活支援的おもてなしといったところ、こだわり。
水曜日の相棒、野海さんの視点はメリハリを利かせ、かつドタバタ的にカフェにつどう人々との交流をポジティブに描く。その野海さんは福祉センターに掲示されているどのポスターにも障がい者の文字が並ぶことに本質的な違和感をもらす日々。的を得ている。障がい者、障がいのある人と規定した時点で抜け落ちてしまうことの多さ。誰でも、どなたでもというコピーが定着しない限り、もろもろ解消する道へ方向が定まらない。
人という字は支え合うという文字の由来を教えてくれたのは、阿羅こんしんこと大友慶次さん。JYVAボランティア研究集会に運営委員のパシリ役として時間を共有できた昭和末期、先のオリンピック選手村跡地を研修宿泊センターに活用していた昔話。まんだら国も名乗り福祉系公務員職の枠を越えたフットワークは77歳の今春も全国を行脚されている。近場では大隅横川駅の駅長室に滞在し交流をされる。高城町の後藤商家でもアートステイされる。彼の通信「むぎばたけ」によれば今年は縁のできた方との再会を期して東北をさながら奥の細道のようなドライブをされる。決め事は戦後の日にはかってはグランドゼロでもパフォーマンスをされ、国内でも支援者の11弦ギターの明石現、師匠の辻幹雄さんらが加わりイベントの質が深まる交流の場面も。日本人政治意識脳天気を嘆かれながらも今年も行く先々で知も愚もないよとの思いを深める行脚。
我が野海さんのつぶやき障がい者といってしまわない実践を、ふれあいは伝え続ける使命を持って続けましょう。
2017年2月8日 at 5:16 PMCategory:お知らせ
辻会長宛名の郵便物2通を公立大研究室にお届けした。直接顔を見せるのは珍しいことで驚かれた。先日顔見知りになったヒューニコル先生は退官されたまの勤務とのこと。念のため開封していただいたものは事務局に持ち帰った。そしてメールでの広報がこの国際交流講座。タトゥと記されたフライヤーを良く読み込まないと誤解するがなあとおもいつつもワールドワイドな考え方がいることは間違いない。
さて、本日の野海さんはメールでリストを送ってくれていた。何やら忙しいにもかかわらず副会長を安請け合いしたようで、県福祉総合センター本館の利用の仕方を教えてもらいたい一件もある。トイレ後に管理室の方から親切な説明をお聴きした。まず、使用団体の登録を済ませ、そのためには団体の規約等の提示がいること、その認証後は当館のサイトから空き状況を調べ、申し込みはメール等でも可ということ。多分どこのセンター利用も同様だろう。ただしふれあいサロン部分は少人数であれば開館時間内は自由に利用可。
そこで、マーシャル諸島のおもてなしと題された講演から期待できる考え方に考えをめぐらす。
我々がNPO的運営を学ぶ過程で非常に参考になったのが加藤哲夫さんからの発信だった。ボランティア初期には「わかる福祉」だったりJYVAからのグラスルーツ、現ウォロ(月間ボランティア)だったが、仙台市で開業する自然食品店の一隅でカタツムリ社を置き市民運動のノウハウ書的な出版を精力的に展開された。残念ながら震災が小康状態のころ数本の縦糸横糸を編みこんだ一大タペストリーを残し逝かれた。その出版の中でも注目を集めたのが「覚醒のネットワーク」上田紀行著であった。悪魔祓いというスリランカの風習をフィールドワークされて見えてきたものに近代と対峙する知恵があることがおぼろげながらも知らされた。
協会界隈でも、シェア団体がIT教育を得意とすることで今どんな悩みが世間に渦巻いているか福祉の枠を越えた解決策の数々が飛び交っている。そこでは「困っている」がキーワードのようで当事者が「困っている」ことをケアできなくて「困っている」という失礼だが滑稽な現象から抜けられない様相。それを解きほどく方法として、元来ネイティブな世界では魔術を使う。しかしそのプロセスは人間の根源の回復力を呼び覚ますことのようで。ひいては近代化と引き換えに失った力だと思われる。
もう少し、自然や原型というものに習う習慣をこそとりもどそうと文化ひいては経済そしてかじ取り役の司法行政にも変化をうながす思想の多様性を学び続けたい。
野海さんのかかわる団体しかり、これまでボランティア協会が知った活動しかりグループ運営の段階からビジョン到達までには当事者たちの知恵のみならず魔術的要素の必要性もありうる。沖縄から吹く風は進学当然ではない世界から多様性が育てる人の輝きらしい。さらに南の世界が染まることなく地場の常識を形作ってことを知ることとなろう。その魔術性に正義が問われなければならない。
水曜日の事務所は喧騒と混沌とわいわいがやがやで定時が過ぎようとしている。多分この異様な熱気が知らず癒し効果になっているはずだ。わいわいがやがやで行こう!これからもずっと。