BASE

2016年5月30日 at 11:43 AMCategory:お知らせ

右端のリーダー「ショウロブ」てにゃわん宮崎精神の洗礼受けた2006年

右端のリーダー「ショウロブ」てにゃわん宮崎精神の洗礼受けた2006年


バングラディシュ 🎶バングラディシュ♬ジョージハリソンの声が被災地への注目‼を喚起した。NGO活動支援のあけぼのであったろう。二つのパキスタン国の一方から新生バングラ国が誕生し、ハイジャック事件の中継地点で脚光を浴び、ベトナム戦争からの難民、ボートピープルが西都市にのがれたアジア交流史を経て、遠くても近しい国旗も兄妹のような国は、我々と一本の紐で繋がっている。それを演出して下さっているのがAANである。もう、ここ10年はご無沙汰しているが、両脚切断のショウロブ青年、現在は義足のフェアトレードチームリーダーはポジティヴなナイス友だちである。
   貧困や障がい者福祉と、同じテーマを共有している点で、絆は一瞬にして深まった。2006年の今頃であった。その時限りで、フェアトレードのやり取りは中断した。しかし、時折、「そっちはどんげしちょっとや?」と声を掛けてくれる。最近では、14年目のフェアトレードの祝祭を知らせてくれた。何とかして、障がい福祉の仲間が落ちこぼれないようにと貿易で小さな積み重ねを広げている様子は、かっての昭和末期のひなた県各作業所時代を彷彿とさせる。
   しかし、福祉制度化を待ちきれず、貿易でやりくりしようなんて!すごい!アジア的!。制度をあてにしている島国は、被災同様、構造の脆弱性をもつのではとも考えられる。
  外国の消費者に、福祉的成果物を使ってもらうことに頑張る集団。しかもその相手先進地に寄せる想像力は、オバマ大統領に10年先んじて、来日時に当然のように長崎慰問訪問を果たした事で、我々に真摯な生き方を刻印して行った。
  彼らのあっけらかんとした、フェアトレードにかける使命と笑顔は、次の世界がフェアトレードで満ち満ちている世界になっていることをまんざら空想に終わらせない鼓動を独特の音色で響かせている。

邂逅

2016年5月28日 at 4:58 AMCategory:お知らせ

クラブカルチャー復興イベント夜神楽本場ひむかの國から隣県復興イベントに、宮崎から熊本へDJ BAKU さんが 梅雨の西橘を今朝なんぷう號で次のクラブへバス移動!
鳳梨「パイナップル」を名乗る宮崎の若者アーチスト、こんな諸氏は若きオーガナイザーと賛同されるが、彼らが東京から空路ブーゲンビリアに迎え入れたっぷりと地鶏のもも焼き「もちろん丸万」や「酒仙の杜」で補給。
ライブツアーの福岡からのチケット手配で無茶苦茶元気な「音楽轟音物資」をあのゆらぐ町に愛と平安を運ぶDJ BAKUを送り出す。
たまたま、100キロ離れ恐かったで過ぎ越すことができた隣県の我々。日常に麻痺してしまいがちではあるが、郷土の後継者たちのパワーはその素直さが見えにくいところまでエネルギーを満たす役目をかってでてくれているのだろう。
今夜、音楽の魔神が青島弁財天で更にパワーを浴び、昨夜一夜のひなた岩戸の舞人たちの鼓動を凝縮して、遂には、肥後の悪震を昇天させ納め、平常なゆらぎを取り戻すこととなろう。
純で粋な邂逅の道中の無事を祈ろう!

36 フラニーとズーイ

2016年5月25日 at 4:35 PMCategory:お知らせ

白昼の空いた銀行に、宮崎県教育庁生涯学習課のコーナーOPEN&TALKがしつらえてあった。引き寄せられ手にしたのは村上春樹訳の展示リストNo.36。
色んな仕事、例えば福祉の仕事などは「物語」として捉えることもできて、議論の素材にストーリー化は必須のよう。そのことは「判る」ということが「感じる」ことに他ならないこと、おもんばかることが福祉に必要なことを指す。けっして事をただすことでは無い。否定が過ぎないように気をつけなければならない。本の紹介にある。「兄ズーイはユーモアに富む言葉で、悩み自分の殻に閉じこもる大学生のフラニーを助け出します。サリンジャーの繊細な文章を村上春樹が訳しています。」酉年生まれの野海さんとの午後。早とちりを繰り返しつつ、彼の求める道筋と思考のギャップこそ未確認の知恵が潜んでいると思える。
通常のスケジュールを梅雨入りの為急きょ変更してどこでもドアーでやって来た野海さんにやや苦言を。それというのも当協会は先週、総会を終えたが、事務所シェアの団体は今度の日曜日。普段は率先して野海さん介助をして下さっているが・・・。「スイマセン」と言わせるのも仕方ない。しかし、言いたいことを言い、前より気持ちを立て直すことを可能化した性格改造ができた野海さん。視界は既に来月の再上京に向けている。旅での経験が彼を前向きに育てる。彼のサポート役として電話で東京の施設職員と用件をつなぐのも良い経験である。さあ、一泊は他の初めての所に宿を見つけなければならない野海さん。バリアフリーはバリアが古いの?とちょっかいを出すも、今後パラリンピック、命名「paraplegia」麻痺の意との造語。後の「parallel」もう一つの意に正式名称化(by
wikipedia)に集う仲間たちの利便性に少なからず関与するはずで情報集めに入った。ということは数多い東京宿泊はゆきわりそう利用だったのだ。さかのぼればエイブルアート入会から放浪遍歴は始まった。その激動は、同様な障がいのある作家松兼功ショッキングから始まったと述懐。アプリ「般若心経」を小野庄一カメラマンと共同制作し、現在は精神障害者支援NPO理事職も兼ねる松兼氏。彼への憧憬のまま無茶な針路に舵を取った。松兼といえば、昔のTVドラマシリーズ「おふくろに乾杯」で浜木綿子演じる母と坂上忍が演じた松兼をモデルとした障がいのある息子を観たことと、本物が宮崎にやって来て直接の出会いがあったことと回想する。無茶という選択に電動を走らせたことは共同責任がボランティアにもある。とはいえ、お金以外の何か知恵的な配慮でこの責任を全うすることがミッションなのである。メンタル面のサポートはピアカウンセリングとして今やケアの本質をなすことは超常識現象である。ぴあやミーティングから回復を遂げるサバイバーは静かな生活の中にある。その効果は喧伝すべきものでもなし。それは幼児から脱皮する如くのかなり霊的なエネルギーに満たされてのことのようだ。ルビコン川を渡る時に生じる変容。そんな脱皮体験は自身さえ気づかないことなのかもしれない。

宮崎銀行本店営業部ロビーにて

宮崎銀行本店営業部ロビーにて

なお、自分のことだけではなくふれあいの旅実行委員長の職務としては、昨日の実行委員会で宿泊先候補、日程、実行委員の実施月のスケジュールなど話題をこなしたようだ。山崎光代幹事のメモより。参加者「野海、渡辺、公立大・外山、漁、甲斐、原」6月実行委員会は7日、21日。一つの目的に向かい作り上げる体験の先頭に立ち、無茶はお得意だが静かなる男でもある。

アートたけし展トワイライト割

2016年5月25日 at 12:18 PMCategory:お知らせ

アフター5のアートセンター

アフター5のアートセンター


私用で、宮崎山形屋YYパーキングに入庫。駐車料金に悩んだが、アートセンターへの矢印に誘われるままに「アートたけし展」を鑑賞するにいたった。
シャッター街化から抜け出るための方策が練りに練られている様子は、愚息や野海さんなどフロンティアが戦後復興マーケット群の廃墟に暗躍するのを頼もしく思っていたこともあり、最新の様子をウオッチ回遊することとなった。我らが故郷にUターンしたのは80年代初頭でバブル景気の沸点もこのまちで体感した。
そうしてミレニアムを経て押し寄せる過疎化の波は、国内では都合三つ四つの被災に拍車を掛けられ、本県では特異な火と嵐、ウイルスにも見舞われながらも果敢に人間性での勝負が続くという新ひむかひなた神話。
また、ミレニアム期はNPO台頭期であった。誕生、揺籃期からの元気坊、宮崎文化本舗はアートセンターにも仕事を創り、馴染みの宮崎キネマ館支配人名田敬仁さんが配置換えということでアートたけし展のもぎりにいた。彼が差し出したフライヤーは上手くまちを回遊させるマップも。トワイライト割で100円引き、YYパーキングも200円のところが140円と得した気分で、やはりビートなたけしの構図と色彩、本物の勲章2個には圧倒された。たけしの親近感は自己主張のままが周到に作品やパフォーマンスに収斂されていることだろう。前知事の名付けが「そのまんま」とはすご技で、個性は犯されてはならないという真理が皮肉や超自我の振幅で表現世界を飛び回っていることに驚き、愉しむファンがいる。自らのクラッシュ事故が原因で脳内での変化がよりアートへの興味、作画衝動を呼び覚ましたという解説。オフィス北野という会社との事業展開は、医療系エンターテイメントに功績を広げているのもうなづかされる。我々播磨靖夫チルドレンは、エイブルアート、アートミーツケアとボランティアシーンでの覚醒をアート化する範疇にいるつもりだが、たけしによって描かれたアートには自閉の人たちを先鋒とする戯画にもましてのオネスティーを感じることができる。ルサンチマンをも手放した精神世界の様子が、確かに癒されてきたたけしの航跡を見せ、また、鑑賞者を航海へと誘うのである。表現の世界が失われない限り人間は大丈夫という頼もしさも保証してくれる。

水曜日定番の野海さん、本日は梅雨入りの気配で、食事介助のヘルパーが先に到着して、ラウンジで待つこととなった。自立支援法のシステムを組み立てておひとりさま生活を持続する野海さん。その言動はたけしの戯画のどこかに描かれているようにも思える。この世界をあらゆる角度から俯瞰するかのような大壁面。感激してばかりではおれない。我々も社会像を描くタイプの人間としてボランティアの場に居続けているのだから。

猫のモチーフや天使等のフィギヤ使いも目につき、春のお楽しみだったねこ展が今年の前半はまだ続いているよう。まちなかでは地域🐈との共生も進行している。その個性でお互いが受け入れ合う🐈世界人間世界。ありのままが許容される世界が簡単な住みよい社会づくりなのだとトワイライト気分となった。

㊟34周年のゴローズケーキのフライヤーはもうまちなかでは営業していない。が、まち最盛期末期、テョコレートケーキが若草通で人気を呼んでご当地OLとデートした様子など、愉快なシーンを描きたいものだ。

平成28年度総会

2016年5月21日 at 10:13 AMCategory:お知らせ

例年より小数であるが、総会始まる。〜12時。サロン軽食交流会

新年度もふれあい‼︎

新年度もふれあい‼︎

明日の総会5/21

2016年5月20日 at 6:11 AMCategory:お知らせ

9:30受付を開始。10:00よりみやざき教育支援協議会の亀澤克憲さんの全体司会でスタート。理事の欠席がやや目立つが、委任状回収の数は定款をクリアできる想定の上(平川喜章わたぼうし会副会長定数確認報告)、辻利則会長が挨拶の上審議事項を5議案諮る。報告者は、永山由美好、山崎光代、生駒新一郎。辻会長も宮崎公立大学ネットワーク研究室とのふれあい関連事業を担当。12時には28年度の承認を終える。出席者全員で食のある交流会もふれあいプラザで1時まで。最古参は森冨貴子さん。都城の海ちゃんの家や個人会員で初参加の岩切富士夫さん、車椅子の諸氏が結集し20×20=?の3時間余の人間味溢れる関係性のフロアが期待される。今年は昨年好評のブライトハウスから新機軸でマクロビオティック系の天空カフェジールにオードブルを依頼。会員の焼きたてパンきゅーとの塩パンも加勢。湯茶や受付には常連のお手伝いも得て、会費、十円募金で組織は資金を蓄え、会員は食とボランティア情報を受発信。準備資料数と会場(1階ミーティングルーム)容量は30名分。参加の表明がまだの会員他、入会参加等お問い合わせは金曜日事務局ボランティア担当まで0985-29-2949。肉々しく(憎々しく)までに。

地域福祉コーディネーター:様々な福祉施策やサービス、また福祉活動を行っているNPO、ボランティア等の情報など、 地域の福

2016年5月19日 at 2:38 PMCategory:お知らせ

福祉課題を解決するために利用できる多くの手段・情報に精通した人材
5/23(月曜日)締切で「平成28年度地域福祉コーディネーター養成講座」参加者募集。募集人員50名程度。
参加対象者:行政職員、社協職員、社会福祉施設職員、NPO・ボランティア団体関係者、その他、地域福祉の推進に意欲的に携わっている方々で、5日間全てのプログラムに参加できる方。受講料:無料。
プログラム:6/22水曜日(宮崎観光ホテル)6/30木曜日(宮崎観光ホテル)7/7木曜日(宮崎観光ホテル)7/22金曜日(宮崎観光ホテル)8/5金曜日(シーガイアコンベンションセンター)
問合せ先:社会福祉法人 宮崎県社会福祉協議会 地域福祉部 地域・ボランティア課
TEL0985-25-0539
FAX0985-31-6575

カラヴァッジョ展

2016年5月18日 at 4:02 PMCategory:お知らせ

野海さんが久しぶりに事務所でipad執筆中。最後のメールがソラシドエアに車椅子の事伝えて・・・でやり取りを終えたままだったので、気がかりだった。自走して説明し、慎重を期した今回の47歳誕生日旅行だった。風船バレー大会にも出場し、そちらは長時間のわたぼうしイベントでいささか疲れた模様。さて、上京時に上野ー国立西洋美術館に二回目の美術鑑賞に行ったという。昨日のニュースですごいらしいと思わされたのだったが、我が野海さんがノーミネートに関係してたとは驚いた。去年の旅行は伊勢志摩だった。そう!何かしら国際感覚先取りの相が背後に見え隠れする電動人間なのである。

池袋駅から近い宿舎「ゆきわりそう」充電は一回のみ

池袋駅から近い宿舎「ゆきわりそう」充電は一回のみ


この勢いで、32回ふれ旅もぐんぐん牽引して欲しい。
なお、カラヴァッジョ展は人が多かったという感想。とはいえ、旅日記は「奏でる」まあるい劇場公演旅行、いわきー鳥取ー横浜を書いたというところなので、執筆予定は未定。しかしパワーは衰えを見せない。そう西洋画の筋肉質体形でクリーンエナジーでMJ 三股観るドラ 綾 篠笛と地元での イベント鑑賞が続く。

星塚敬愛園再訪

2016年5月18日 at 11:33 AMCategory:お知らせ

 社会福祉法人まほろば福祉会の沿革は、四半世紀を迎え祝賀の席に連なる。BE FREEと呼称する関連施設は難病患者ご夫婦、山中道夫氏のエピソードをNo.1の出来事として在る。同じ宮崎駅裏の古家を分割して作業所を始めた森冨貴子さんが懐かしそうに山中さんに寄り添う姿が微笑ましい。式典では後継者の筆頭現翼施設長の功労者代表謝辞にスタート時のメンバーに他にも川崎重明、平田寛両氏の名前が挙がった。5月14日土曜の白昼の野外祝宴は跡江の川風に吹かれ気分も上々。一応来賓リボンをつけ交わったが、少し早く着いた分BE FREEの玄関先でおしゃべりが出来た。立ち話の相手梯さんは最新の入園という。ランニングホームランを打った話も出て、車椅子ライダーだが安全のためだそうだ。どこでもだが、入り口は簡易喫煙所になっていて、正装した若松健一氏もやおら加わり、梯さんが向陽の里や野菊の里を経て今の今があることに話はさかのぼり、更に都城の有隣園にまで小学生の頃は居たという福祉界を歩み続けた梯さんとの短い対話はこの祝賀日の大きな予兆なのであった。
 結局、会食の席の隣席が地域から評議員をかって出ている坂本さんだったことが引き金となりその日のうちの鹿屋行きの動機付け、星塚敬愛園の風見治さん訪問となった。火山地帯というハンセン氏病棟からの文学発信に跡江出身の画家坂本正直翁との絆を辿る展覧会のことは聴いていたが会期が数日ということで矢も盾もたまらず去年のふれあいの旅のコースを単独行となった。午後開催予定の癒しの里総会とダブル出席なので早退際に森さんに声を掛け、ピンクのソフトクリーム移動販売車のいつか会の武田さんから受け取ったアイスを舐めて会場を後にした時点では気持ちは定まってはいなかったのだが。この跡江から鹿屋へのコースこそ、唯一の稀有な経験星塚敬愛園訪問の道程であるから記憶の小旅行を遂に意味付けする旅となった。旅とは記憶の意味付けに他ならない。<星塚敬愛園再訪>

 部屋の時計は夕方の7時を過ぎた。先客が去った後上がり込む頃は相撲をやっていたので一時間余の滞在だった。塩田幸代さん、川原一之さんの名前が互いの記憶のおさらいで出て、壁びっしりの見事な本棚に向かい風見治さんの境遇を映し出すスクリーンを介したような小話の連続は、眼前の老ハンセン氏病の作家画家の愛犬とのたわむれに乗じて押し掛け居座りの様だが、私のいつもの体験パターンそのもの。多彩な車椅子ライダー甲斐聖二氏のアパートかっての紅葉荘2号室での振る舞い、現浅草雷門7階訪問とシチュエーションは同じような様で居心地に違和感は無かった。この馴れ馴れしさ全開で、本棚に見つける作者名を挙げ、話は出会いの場なのはな村、ひこばえ村をくるくるめぐり、ぶしつけな出身地長崎のことへとコップの焼酎晩酌に口をつけさせる間も無く押し切ってしまった。
 ルポにしてはインスタントに過ぎるが申の凧(ハタ)がひときわ目について、しっかりと故郷がバックグラウンドに在り、デッサンなかばの愛犬画を郷里向けに作成中とすぐ側に置かれて大切な仕事を抱いておられる様子から、こころの遍歴の終焉期は強く長崎と結ばれていることを感じた。本人も前の様には動けず、宮崎を介して盛んだった社会進出が懐かしいことには違いない。ただ八重岳宿舎には他に灯りは無いようで、ほぼ過疎化した敬愛園全体もらい予防法の歴史がさらに検証されないまま終焉を迎えようとしている皐月の雨の靄の中だった。「繫ぎ」好奇心と勇気を「紡ぐ」ことこそわれら宮崎ひなた人たちの役目なのだとボランティア衝動~旅の意義を振り返り思う。
 インドに於けるマザーテレサもアフガニスタンペシャワール中村哲さんも動かざるを得無かった人間とらいの歴史、近代ではHIVと加藤哲夫氏のことなど人がテーマと向き合うことで生き切ること。その意義にわずかに触れた。こころの中ではどんこや黎明期に友井絹子、大西章弘ラインでまほろば借用バスでツアーしたときの衝動がいまだわたしたちのメロディとして響き続けていることを確認する。在デンマークのいつみラムーセンとの出会いもここであったが、あのころの光は鹿屋にも、また宮崎の地にも失せはじめて久しい。とはいえ、あたらしい光の萌芽だけを信じ生き切るわたしたちでありたい。
掲示板のこのポスターには驚きを禁じ得なかった。

まさか、戦後の時期になお!

まさか、戦後の時期になお!

実行委員会メモ2回分を読む 

2016年5月11日 at 1:27 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

第32回はこうテーマを立てている「ボランティアさん、障がいのある人の交流を深める」、なお、メモには障害持った人とある。2枚のメモは幹事役の山崎光代氏の公式記録。第1回からすると学生2名、実行委員会復帰の吉野由夏さんが増え、坂本夏美さん、ヘルパーは所用欠席のようである。新顔があるための自己紹介が改めてなされた。野海実行委員長は昨年の手痛い長期入院にリベンジで元気でやり抜く宣言。和田祥吾さんは演劇に電動サッカーに燃えている。吉野さんからはポジティブな今紹介もあった。具体的にはテーマに近づけるため事前交流会への参加から交流を盛り上げていく作戦を共有。そう、実行委員会が月2回のペースで旅を作り上げていく過程で、学生との交流がどう芽を出し、旅で花開くか話し合いの時間は大切な肥料となる。その過程で8月20日には共同募金申請のプレゼンテーションも33回のために関所として立ち塞がる。なんのこれしきで毎回、本番に強い実行委員会は伝統に裏打ちされている。そう目立ちたがり精神が充分発揮されてこそボランティアなのだ!欲しがりましょ勝つまでは!精神に戦後障がい者とボランティアはタッグを組んできた。そして変わり身も早い速い。旅行会社の提案の九州脱出が福祉バス制度上の無理と気づけば、ターゲットとは未泊の博多んもんに修正された模様。今回は諸事情で北九方面へのアクセスということでスペースワールドの文字がキラリ光っている。仕切り直しも早い。
この辺は私的好みであるが、懇親会後の街へという文字さえ記録されている。煽る訳ではないが、夜の街の賑わいに車いすごと紛れ込む冒険は、どこでもドアー設立動機にもあり、実際熊本ですでに経験していることでもある。スマートだったのはハウステンボスに再入園して夜の観覧車や夜風に吹かれたなんていうグレードの高さも経験済み。なお、熊本の時は、クマ牧場猿回しと相場が決まっていたのを実行委員会でコアな体験こそと熊本城とセットで仕掛けた。そうすべては実行委員会の裁量なのである。これが伝統。 
時節柄、プラン見直しと災害支援を考えると熊本泊で支援をという熱い声もあったようだが、来年以降という支援の継続性で落ち着いたようだ。
兎に角、実行委員長の「ボランティアのためのふれあいの旅」とはどう展開していくのか次回5月24日(火)の会議でさらに進化する。
その野海靖治さんは昨日47歳の誕生日を迎えて、上京している。どんな旅日記が書かれるかも目を離せない。彼は人生でボランティアとの交流なしには生活を繫げないことを真剣に咀嚼してここまで生きている。そして無数の障がいのある人また、同じであるからして、不確実な存在であろうとボランティアに寄せる思いは確かで潔い。そんな弱者への想像力を鍛えられるのは当事者の力だと張り切らざるを得ないのである。第32回ふれあいの旅