山口から&生目から?
新しさは山口から?
事象がらせん形に積み重ねられるとしたら、山口県はヴォランティアスポットとして、また何やら楽し気な発信をしてきている。
そう、我々がふれあいの旅であと2週で門司に到着するタイミングの2016年に、対岸の山口県からは学生たちの新しい動きのわくわく感が放射されている。らせんを逆戻れば、まだ震災ボランティア元年を先に見据えた昭和の末期に高らかに活動を宣言する動きが本州から山口、信濃松本、福井永平寺と隔年で集会が企画された。首都オリンピックセンターでの開催を挟み毎年2月11日と日程は決められており2泊3日の濃いプログラムに趣向を凝らし合い業界を大いに沸かせた。その後33回目の山形集会で幕を閉じるまでボランティア自ら発信する場をバトンし続けた。そのさきがけが山口県、山口市、長州青年館から事実上スタートする際に、宮崎からも駆け付けていた。その時から好きなことを仕事にできるというビジョンが語り合われた。まさにNPOののろしも上げられた。
そして、30年余が過ぎ、やはり山口から農仕事を発信する学生らの楽しいおいしいニュースが第三世界ショップのカタログにまじり届いた。ボランティアらが無償性からNPOへと舵を切る以前から、フェアトレードに専門性を高めて揺るぎない自分発の仕事づくり業界。戦後71年がまだ、戦後30年だったころよりインスピレーションを得た人がこの指とまれで始めた活動、もうその時点で商いとして始めた双方。その切り口からは何故か新鮮な水が湧き出して、普遍性も帯びている。ただ、利益追求と無償性のバランス感覚は永遠のテーマでもあるようだ。しかし、社会が本格的変革をするのなら事例はたくさん施行されてきている。先駆的な商売こそが成功であるとともに、ボランティアは先駆性の揺籃の場である。
その先駆性は、宮崎からも。10月22日というわかりやすい吉日を、刈り取られた田んぼでコンサートをと回を重ねるごとに、地域も協賛の度合いを増し、今回は、市営の研修施設も巻き込む。食は素朴なものに味わいがあること識る「さといも」の塩茹で。わらの火柱に祝詞(のりと)と共に食への激しい願いと感謝。地域で暮らすという技法に改めて接する時、繋がり、有機的関係性を学ぶ。
山口で、生目で農を中心に据えた企画が、先駆的に体現されていることは、
3.11以降の羅針盤が探し探して、足元の大地にあることを喜び合おうではないか。