Category: 「ふれあいの旅」エッセイ

ふれあいの旅Tシャツ

2015年8月17日 at 5:32 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

残暑お見舞い申し上げます。
ふれあいの旅参加者募集にも一段と拍車がかかってこようかというタイミングで、Tシャツも誕生。
やじろべえ謹製で試行品が出来上がって事務所に飾られた。ふれT
今後の日程は、今週土曜8/22は「共同募金=公開プレゼン~来年度申請中」
       来週火曜8/25「ラジオ(サンシャインFM)市民活動コーナーで募集を呼び掛け」am9:20
       市民活動センターかわら版9月号に単発型として参加者募集掲載
       宮崎日日新聞から山崎宛の記事取材金曜担当日。
       参加者実数把握は9月15日、29日の第9、10回実行委員会で進捗判明。
先々週に前夜の落雷でPCのインターネットが繋がらないトラブル事態も、月曜日に事務局勤務に復帰している城戸さん(みやざき教育支援協議会)のメンテナンスも有り、俄かにふれ旅マンスとなっている。
10月4日(日)受付開始10時、11時~14時の事前交流会前の9月25日の締め切りまで40日間となった。
メディア露出が参加人数増に必ずつながるのは定石。みんなで広げよう、口コミ、マスコミ、投げ込みの輪!

ポスター完成 10・24/25 楽しい旅行

2015年7月8日 at 1:11 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

ふれ旅ポスター
梅雨明けを先取りしたようなブルーを基調とした完成度の高いポスターが出来上がって、もう三月で31回ふれあいの旅当日を迎える。料金が10,000円高いんじゃない?などと訝しがるなかれ!世界で一番適正な価格で実行委員会は自信を持って取り組んでおられる。
鹿屋バラ園(名物薔薇カレー)とイルカランド(丼か麺)での2食の昼食も付いて、休憩・見学箇所も余裕の南九州巡り。幹事さん得意技の小鹿酒造での試飲ももちろん。道の駅めいつとフェニックスにも寄るので県民として地元還元もでくる。
なにせ、31回も車椅子集団が轍を付けて来たのだから、もはや伝説と化したふれ旅だが、いつも事前交流会(10/4)の顔合わせがスタートラインにヒャラヒャーツと並ぶ念入りの安心設計。腰の痛さも何のそのブルーのポスターに象徴されたちがいを超える旅の価値はきっとまた上昇を続けることだろう。

ふれあいの旅とは?

2015年7月1日 at 1:47 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

28日(日曜日)の実行委お茶会と30日の第5回実行委員会を経、要綱がまとまる。
今回の呼び掛け文は「障がいのある人とない人が共に過ごす一日二日の旅です。普段バリアを感じて旅行に行けない人もサポートを受けることで楽しい旅行ができます。『障がいのちがい』を超えて、『幅広いせだい』の人と交流し、寝食を共にすることで、人とふれあう楽しさや優しさを感じられる充実した二日間になります。一緒に思い出を共有し、心に残るボランティア体験をしてみませんか?」
ここで、タイムスリップして、「昭和57年10月30日発行のボランティア情報No.23ふれあい」の一面を飾った記事に注目してみよう。
―ふれあいの旅―飫肥城を見てきました。(タイトル)秋晴れの10月16日、予定どおり自家用車5台に分乗して午後3時30分飫肥の旅館に到着、日南市社協、障害者福祉協会の幹部の人達の歓迎あいさつや、おみやげを頂いた後、夕食を早めにすませ、飫肥城祭りに参加しました。
飫肥城では段差が多いため、松葉杖の田中さんがちょっと苦しそう、村中田さんには見知らぬ人から車椅子を抱えてもらうなど、思いがけないことも起きましたが日南の人達の暖かさ優しさにもふれることができました。午後9時過ぎ旅館に帰りましたが話しは尽きず夜遅くまで焼酎と歌と話し合いが続き本当に楽しい夜でした。(障害者9名、VO、9名の18名参加)宮田記。
 そして、昭和60年5月31日発行ふれあいNo.54の第2面についに『ひまわり号』を宮崎でも走らせようぜ!―障害者列車『ひまわり号』にあなたも乗ろう!!-の呼び掛けが踊る。汽車の旅っていいですよね。駅弁食べて、知らない人と友だちになって、現れては消えてゆく景色を窓ごしにながめて感傷に浸ったりして・・・で始まる名文は準備委員会を作るために奔走中と末尾に自宅の連絡先を紹介する永山昌彦作。
(続き)でもハンディを持つ人達はひとりで外出するのもなかなかできません。ましてや公共の乗物(汽車やバス等)を使って旅行するなんてことは、あなたたちには何でもない当たり前のことでも、彼らにはかなり困難を要します。”一度でいいから列車で旅がしたい”そう思っている人は多いのです。(以下、2年前に東京ではじまった旅行が九州にも広がっていること。ボランティア活動の低迷、住みやすい街づくりの理想を熱く訴えてある。)
ひまわり号
 それから遂に昭和61年1月31日発行のNo.62号に第1回ふれあいの旅の告知が載る。わたしたちは ふれあいを求めて旅をする弥生の飫肥に きみは 何をみつけるか
障害者とボランティアが列車を貸切り、歴史の都、日南市飫肥への旅行を企てました。主役は あ・な・た です。新しい自分を切り拓くチャンスです。どうぞ 振るってご参加ください!

その間ハンディをもつ人の呼称は、障がいのある人にゆるやかに定着し、ちがいを超えるという現実と向かい合う31回目の旅へとリングしてゆくのであった。

ふれあいの旅実行委員会(第4回)

2015年6月17日 at 3:10 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

ボルべリア
昨日、6月16日(火)和田、藤原、甲斐、山崎(川﨑)永廣、外山結美恵、酒井美樹~敬称略の参加で、実行委員長旅行中の無事を気にかけながらの会議が持たれた。事前に資料を届けられたMWT(meitetsu world travel)南典宏さんからの聞き取りによると、上條前会長時代の旅で昼食に立ち寄ったボルべリアダグリとのことで、常連の幾人かは二度目の訪問となる近しい宿舎とのこと。資料にはかのやばら園、イルカランドなどのパンフも添えられ10月24、25日当日の想定がしだいに現実味を帯びてきている。
月内にチラシポスター案を検討し終え、難関のボランティア集めへの挑戦が始まる。案内文が決め手となるが、公立大学OB日高健太さんらの頑張りを継承して今回は永廣さんが人を呼ぶキャッチコピーを創造する当番。ちなみに卒業後の就職も決めた前回のまーやんのポスターには「決定!!」赤文字が目を引いていた。経験も交流も自ら引き寄せて格闘することに意義がある。鉄は熱いうちに打て!という周りの大人や障がいのある仲間からのメッセージがどれくらい響くか見もの。例えば、40年間ボランティアシーンを引っ張ったわたぼうし奈良からのイベントコピーは「人間・こころ・音楽」とある。真似すれば、「人・旅・こころ」なんてのもできそう。名古屋では近鉄で鳥羽へ向かった実行委員長がどんなボランタリーな経験を相互作用として引き起こしたか手配の南さん共々気になるが、ボランティアと自身の責任を問う氏の気持ちは「ボランティア・歌・こころ」といったところか。「わたしが電動車椅子を走らせる時、まわりから応援するボランティアの歌声が響く、わたしはわたしらしく走ろう」
「そして、旅は道連れ、二日間の同行でボランティアたちにも自然と自分を励ます歌が、聴こえはじめる」
閑話休題。31回目の宿のボルべリアダグリは、指定管理者として宮崎交通が経営に入ったばかり。
国民宿舎の展望を任されたからには、この旅が本県の観光に寄与する面も多々あるのでは。
やっぱり人との関わりが旅の楽しさを倍増する権化として今後のプロセスが工夫多きものであれかし。
ダグリ

なお、野海靖治実行委員長は明18日夕刻には渋谷宇田川町界隈の某ライブハウスジージへ登場する。
観客としてだが、そのようなハレの場では、誰もがフレンドリーでボランタリーであることは、宮崎でも東京でも変わらない。そんな渦中の氏に応援歌が注がれる。じっと耳を澄まそうではないか。
なお、今夜からの滞在はあの著名な「ゆきわりそう」@池袋東長崎。

速報!!第31回ふれあいの旅実行委員会

2015年6月3日 at 12:47 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

ボルべリアダグリ事務局資料と会議に加わっていただいている「みやざき教育支援協議会」職員の川﨑氏によると、
昨日6月2日の実行委員会・野海靖治委員長(46)の議事で日程 10月24日(土)~25日(日)。行先南九州(鹿屋~志布志)。事前交流会10月4日(日)。が決定した。
記録には野海さん他、甲斐、和田、藤原、坂本、渡辺、山崎以上社会人&酒井、戸山、永廣、清水、黒木(公立大)の12名の話し合いで決定した模様。
心待ちにしていらっしゃる人に伝わると一層実行委員会も盛り上がる。学生に負担がかからないようなボランティア募集もあらゆる手段でおこなっていきたい。要綱、画像等は6月16日(火)6月28日(日)6月30日(火)の今後の実行員会後発表されることだろう。
写真は、予定のボルべリアダグリHPより転載。
帰路は、日南海岸のコースのようで、串間の玉碧が出た、中国との交易の確かな歴史が残る地方へのふれあいの旅は、昨年車両の故障で無念を感じた吉野ヶ里遺跡探訪にも勝るとも劣らないホットスポットなどと、ロマンを掻き立てられる旅の展開にわくわく感がつのる。串間市で出土したと伝えられる玉璧
さて、話は新潟に飛ぶ。新潟ボランティア連絡会発行のビューローだより205号に北陸の障がいしゃ元気情報があるので転載し、また敬意を表したい。
≪訃報≫ 新潟ボランティア連絡会の副会長渡辺浩一さんが、5月6日永眠されました。仲間から”ワタコ―さん”と呼ばれていましたが、電動車椅子の背中に2本の赤色灯を差して、悪天候でも負けずに外へ出ていました。
これまでの活動に感謝し、ご冥福をお祈りいたします。

障がい者の生きる責任(1992年5月NO29「ビューローだより」より)
                       渡辺浩一

 私が40年以上生きて思うことは、社会は、自分のことが自分で出来ないと役に立たない人間、どうしようもない人間として見ています。一人の人間として見ていないのです。
 一人の人間として見てもらいたいのなら、一人の人間としてみてもらいたいことをやってゆかなければなりません。ではどのようにしたら一人の人間として見てもらえるのかと言うと、「障がいしゃ自身が自分に出来る事をやっていくしかない」と思います。出来る事をやっていれば、出来ない事が見えてきます。その時、障がい者自身の口からできない事、すなわち困っている事をはっきり言っていけば、すぐには変わらなくても段々と良いほうに変わって行くと思います。
 私は今アパートで生活していますが、寝返りや食事つくりや風呂の介助などしてもらいながら毎日を送っています。もちろん年金だけでは食べていけないので行商(バス券・テレホンカード・コーヒー豆など)をしていますが、知らない人に声をかけるということは、精神面の大きなリハビリになっています。
 食事がつくれなくても買い物をすることはできます。電動車椅子に乗ってスーパーに行っていると、いつのまにかスーパーの通路が広くなり、邪魔な段ボールがなくなっています。銀行に行く時も電動車椅子に乗って行っていたら、いつのまにか段差がなくなりスロープがついていました。駅には40段以上の階段があって、そこをちょくちょく使っていたらホームの端にスロープが出来ました。
 私は思うのです。障がい者も社会の中の半分は責任があるんだ!と考える人が多く出てきてくれたら社会は変わる・・・と。

自分らしさ体験へと進化を遂げたふれあいの旅

2014年11月29日 at 9:50 AMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

ふれあいの旅の打ち上げホテルマリックスを出ると、信号が変わり進みだした車から声が掛かった。呼ばれた私は反射的に危うく駆け寄ろうとしたが侵入車はなくはねられる事なきを得てすれ違った。だけであった。窓を開け呼んだのは生駒新一郎。昨日、協会・どんこや・辻ゼミの三本の矢で実施された保育園アートMIXの担当者。今夜の打ち上げには実行委員ではないので不参加だった。昨日の事業で手応えを得て興奮を維持しているかのようにしっかりした声が伝わり心の通う7秒だった。

私はというと、今夜の幹事光代が酔い過ぎていたらしく3811円の不明朗会計分を教授に戻せないままだったこと、このブログを旅行社のエージェントオブザイヤーの5人に選出された報告をなさった南さんが愛読している褒め言葉などを頭の中で整理しながら駐車場に向かうのであった。

そして、振り返りへと辻利則会長がいざなって14人のコメントが並んだことを検証することも14分の1としてしてここにお知らせすべきだと起き出した頭からそれを引き出しいる。ダーウィンの進化論が普通になるまでは神のみぞ識るだったのが、進化はなぜするのかということを言いたい。
そう、30回目の事業ということが大きな意味を柱として持って始まった。打ち上げに呼ばれたのは初めてだったはずなので、昨年の様子は知る由もないが、実質29回の打ち上げから始まっていた進化だろう。「ふれ旅は進化した」もやもやしたボランティアの活動意義は進化と言える。我々は進化した。以下私が得た進化の中身。なお、釘を刺されていた私は飲酒していないので、幹事光代のような不手際はしでかさず、トイレにも立たなかったので2時間余の映画をロードショウで見終えた感慨を持ちここに記す。

昨年来の野海靖治実行委員長のテーマはボランティアのための旅であった。ヘルパー、障がい者福祉総合法の制定で手薄になったボランティアの手、関心を呼びおこす術に長けていない無償の世界で、でも続いた「ふれあいの旅」はどう進化したのか?どうやらその核は、実行委員会制度にある。野海さんのおかわりは角ハイボールである。

振り返りタイムも三分割であったがそれら振り返りの言葉に通底する言葉が進化「自分らしさのフルスロットルの場体験」と取り纏めることになる。自分の解放は自分に課せられたいのちの使命である。しかし、並大抵のことでは自分は解放することは叶わない。三度目になって気を悪くして口をきいてくれないかもしれないが酔った頭では解放はなされない。
程よい覚醒の中にこそ「解放」はある。身体がもう限界が口癖な幹事があと報告書を成すまでは終われないが、委員たちはもう一足先に進化を得た。それが「自分らしさ」を体験したことである。よほど覚醒がなければ進化しえない「自分らしさ」体験の場である。正確に言うと実行委員体験に燃えたらば出来上がる気体のようなものを発する器官が体内のどこかに形成されたとしか言いようのない。進化である。

酒が、焼酎が五臓六腑にしみわたるように、脳内器官にある自分らしさ体験部位が肥大して効果をもたらす進化である。

さあ、31回目の行き先も言うようにという教授の御宣託もあり、ワイハーやら沖縄、脱九州、タカラズカなど好き勝手に並んだが、そんな自分らしさを出せる場、それに続くみちのりを経たという進化。あー嘆かわしくも「自分らしさ」制限に満ち満ちたこのニッポンであるらしい。同額を払った上で、数倍の汗を出さされ、悔し涙や歓喜の涙さえ出させる実行委員にとっての「ふれあいの旅」をとおして見えたボランティア進化。

今宵は、ワイハー、タカラヅカと騒いでいるが、旅、旅の準備にも同様な全開を体験する自分らしさ、酒、ドラッグ、ギャンブル、セックスなど出回っている破滅の素に逃げ込もうとする人数よりまだ少数派なボランティア体験派。どこかで掴んだ冴えないフライヤー、糞まじめなポスター、妙に気にかかる口コミ、熱のこもった誘い、そんな類のきっかけで
既に「自分らしさ」への進化が始まっているというドラマ。今夜の会費3500円、旅費23000円で自分らしさ体験にまで行き着いた実行委員。市場でも各種ワークショップがあり、数万円という相場は妥当なところ。ただし、共同募金助成や長年培ってきた協会の歴史、行き先での社協ボランティアの協力などなどがあってこそという、社会性が加味された「自分らしさ」体験。

最後に、「自分らしさ」において正義と優しさがモノを言うという人間的規範の前にどう進化するかを体験する次世代にどうこの場を伝えるか。和田実行委員長からバトンされた野海実行委員長が立てたボランティアのための旅というスローガンは「ボランティアが自分らしさを発揮できる旅」ということになったわけである。

そして基本の基は、目前でパチパチ電卓を叩いて不明瞭会計をいぶかしがっていた渡辺千夏の会計本能。教授を掴まえ相談していた坂本夏美の瞳、欠席だった吉野由夏の夏の意味。欠席の菊永恵子、長廣ら3年生の学生たち31回目の動きが進化を続けるかピークから下るのか、はてない山の何合目なのか我々は登り続ける。人間本能と進化したボランティア体験学習能力を発揮して。
写真は、進化が始まった昭和55年のボランティアリーダー研修の模様。

昭和55年11月29日第3回ボランティアリーダー研修会 フィールドワーク。車椅子介助、手引。

昭和55年11月29日第3回ボランティアリーダー研修会
フィールドワーク。車椅子介助、手引。

次へ・ふれあいの旅反省会~ボランティア学習学会11/8.9

2014年10月16日 at 12:38 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

先ずは、野海靖治実行委員長の反省文をそのまま、転載させていただく。(当協会会員、参加者、助成機関等へ配布報告書用原稿)
ふれ旅感想文
去年のふれあいの旅はいろいろとあって、あまり「ふれあいの旅」のことができなかったので、今年は「ボランティアのためのふれあいの旅 」というテーマを僕自身が打ち出して、去年よりも「ふれあいの旅」にかかわる割合を増やしたいと思っていました 。
でも、「ふれあいの旅」が近くなって、僕自身の体調が悪くなったり、体調が戻ったら、他のことがいろいろとあって、今年もなかなか、「ふれあいの旅」のことができなかったので、「悪かった!」と思っていました。
「ふれあいの旅」が近づき、2年前の長崎の旅のときと同じように台風が近づいているので、少し、心配だったけど。
「ふれあいの旅」の 1日目がやってきて、天気の方は良くて、2回のトイレ休憩までは順調だったけど、吉野ヶ里に向けて行こうとしたら、リフト付きバスのトラブルという30回目の「ふれあいの旅」にとっては最大のハプニングがあり、リフト付きバスに乗っていた人には吉野ヶ里遺跡の見学が出来なかったのですが、それ以上にあまり出来ないことを体験出来たので、 良かったと思いたいです。
吉野ヶ里にやっと着いて、佐賀牛のハンバーグをおいしくいただき、お茶ちゃ村の工場見学から、ホテルでの懇親会、そのあとのカラオケまで、かなり時間が遅くなってしまったけど、楽しい時間を過ごすことができて、実行委員長として、嬉しかったです。
2日目の有田では、絵付け体験や、有田焼などの焼き物を見て回りました。 絵付け体験のときに僕の皿が割れてしまったという個人的にもハプニングがあり、現地ボランティアの方々の協力もあって、展示場の階段の上り下りを手伝いもあったので、いろいろと焼き物の歴史を勉強できて、良かったです。
佐賀からの帰り道、宮崎県に入るまでは台風の方はあまり、影響がなく、いい旅が最後までできたと思います。
来年はボランティアさんが多く集まるように努力したいと思います。
みなさん、いろいろとありがとうございました 。 そして、来年もよろしくお願い申し上げます。

第30回ふれあいの旅実行委員会
実行委員長 野海靖治

一昨日夕方の実行委員会反省会のメモを拾い読みすると、
ツインに3人は狭かった 車いすの女性をサポートする人が少ない 思いやりが感じられた お風呂のお湯がぬるぬるしていて介助しにくい 費用の問題などが8人の出席委員から出されたようだ。
幹事山崎光代の補足メモには、洋式トイレの多いPA(パーキングエリア)を設定しては?彼女らしい打ち上げのプランも記されている。
実行委員長の文章にあるように、ボランティア力を拡大しようという目論見は実際には、女性が足りないという宿題を31回に持ち越すことになった。
Vとは?という問いに「ライフスタイルである!」というのは初代実行委員長永山昌彦の生みだしたフレーズで、経だし名言と思っている。
その頃は、女性ボランティアが多く、逆に男性の物理的力が必要だった。市民社会を見ても婦人運動、消費生活運動、障がい者親の会がシーンをけん引していた。
アベノミクスは大会社に管理職登用を迫る男女共同参画を打っているが、野海実行委員長も女性の参画を同様に求めている。
母親の強靭な子育て愛に結晶するエネルギーの波及が男性の遊びプラス仕事力とコラボレーションした結果、80年代からのボランティア隆盛を見たのである。
目の前の人参に踊らされる馬にはなるまいが、女性が女性の何かを振りまくと、楽しく活動できる実験を我々はボランティアシーンで体感してきた。
今回の温泉旅行も、女性が足りなかったとはいえ実に楽しく終えられた。
女性がもう少し出てきてくれることを望む。女性の未知の魅力はボランティア活動と相性が好いはずだから。
image
さて、協会の掲示板は学習学会のポスターに切り替わっている。高校生たちへの学習効果を見える化する研修に研究者が宮崎に集結する。
さかんに、ロボットが役割を持つ近未来が近しい。下心のない、でも十分やさしい活動はボランティア的でもある。ただのお手伝い以上の必要はない。
困っている人が安心した表情に戻る、それだけで通い合い、次につながり拡がるエネルギー。この原始的エネルギーは、私が友井絹子さんから学んだ。
どんな学びが、11月にあるか、きっと次のシーンへの呼び水になることが期待される。

しおり・天草~ハウステンボス、再び西へ

2014年10月1日 at 2:47 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

image履いて行こうと、アウトドアシューズを試してみたが、靴紐を緩めないと。笑って笑っても三日後にはふれあいの旅の朝を迎える。
事務所の畳には、何やら誕生日プレゼント(これは極秘サプライズだから!読み飛ばして!!)、有田・ボランティアたちへのお土産が景品の数袋に混じってバス積み込みを鶴首して待っている。男手が無いとと危惧していたシャワーチェア2脚も組み立てられ行儀よく並んでいる。
ではないか。

第30回佐賀・ふれあいの旅も準備はかなりすすんでる模様。光代さんは夕方出勤し事務作業に拍車を掛ける。班編成表をのぞくと10人ずつくらいのペア、トリオが5班に整理され、リフト車名簿も完成している。やはり、自分の名前があると安心し、ニヤついてしまう。

くちびるに歌をの文庫本を小旅行のために買い求めたのを個人的にはリュックにつめよう。
さあ、旅に出よう。最年長は80歳の原点、以下後期高齢者(障がい者は10年前倒しのようだ)の原点、中年の原点、壮年の原点、学生のリアル二十歳の原点、高校生の原点まで一大家族が辻会長の元、佐賀を目指す。

あと三日、幹事には事後処理を含め重圧がかなりのものだろうが、参加しないFB仲間からの激励や安穏祈願のメールが降り注ぎ続けるに違いない。

そして、ホームページ上で参加してくれているボランティア派の各位も吉野ヶ里を見張るかし、嬉野の美湯に浸かり、有田焼を体験を追体験してお楽しみあれ!
送迎できる方々は、4日は7:45、5日は18:20宮崎県福祉総合センター発着。西中学西。おっと参加者自家用車は職員駐車場でのあらかじめ登録制駐車可もお忘れなく。

では、ラジャー。
 

ボランティア身の丈論(写真は、第1回ふれあいの旅。飫肥へ大盛況)

2014年8月11日 at 10:15 AMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

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NPO法に参画する前に、協会のビジョンを描くのに「身の丈」にあった現実的歩みをという見識があり、しかしそれを現実に出来ないまま走り抜けた経緯を記憶する。今となっては世の中にも許容範囲というものがあり、そぐわぬものははみ出してしまうという教訓を言われていたのだと良く理解できるのだが、ペースを保つ知恵が回らなかったようだ。数百人規模のふれあいの旅人気もその筆頭なのだ。福祉から世界を変えようと大きく出たのは確かに良かった。しかし、経済発展の力に振り落とされたか、便利さは得たものの、貧困や規格外視される側がちりじりにばらけた自由社会というところまで物語は進んできたようだ。あげくに頼りの経済が破綻中という見識も嘘とは言えないかも。世の中自体が全体の身の丈論に知恵を注がなかったとも。
今、60人規模でそれほど波及効果も目立たないかもしれないが、淡々と実行委員の手で進捗するふれあいの旅は、次年度の募金助成のプレゼンも控えている。まさに身の丈にあったふれ旅をしばらく継続出来ている。母胎のボランティア協会の方は相当スリム化されて事務所維持に徹する。
福祉を変えようビジョンは写真の第1回の飫肥に置き忘れたままに近い。ボランティアは参加する福祉と訳され進展し、災害時の貢献は定番となっているが、目の前の気づきに動く学びの本能的実感は便利さと引き換えに薄れる。それぞれの生活レベルで助け合える自己完結型社会を構築するなら、身の丈を測る心配以前に、どう変身したいかデザインの愉しみを試行錯誤できる。案外、若草通り界隈でもごく一部の若けもんが履いたロンドンブーツなる、所謂下駄があった。そんな奇抜な意思表示が硬質した社会の柔軟許容範囲を広げる。身体をくねらせた電動車椅子の人が行き交う社会づくりの仕舞い込んだままの旗を、ふれ旅の時ぐらいは降りながら佐賀に行こう!

30回ふれあいの旅・メディア情報

2014年8月7日 at 3:27 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

ふれ旅30th2
務所に初めての参加者から友達の申込み用紙も取りに来ると嬉しい電話。ここのところ、台風ばかりなので参加者の襲来は大歓迎!そして、メディアを通じ一番訴えたいところは!ボランティアを増やすこと。人間として生まれたからには、大いに楽しんでボランティアしよう。毎日がどこかでボランティアが生まれている日。障がいのある人がその活動の仕掛け人。さあ、新聞記事で一人のボランティアをゲット、今日8月7日からは、ケーブルTVの番組内でも告知が始まる。下見や広報も猛暑の中動いている。
恒例のラジオ出演も8月12日(火)朝の生。車椅子が3階のスタジオに入るというので紹介者の活動センターのコーディネーターをヤキモキさせたが、トラブルが無ければ活動じゃない!と言い切る実行委員長はじめ場慣れしたメンバーは毎日の生活の楽しさを説くことだろう。おせっかいでも良い。昔はほとんど婚活シーンだったボランティア。下心ありありでもそんな小さな動機から知的に人間は成長する。あと、34人くらいの定員枠のようだ、さあ、申込用紙に手を掛けよう。佐賀で美味しい旅が待っている!そして、メディアやポスターの力にも注目!一番不思議で底力を持つ何かが通じ合うボランティアシーン。