THANKS!

2015年4月14日 at 2:25 PMCategory:お知らせ

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平成27年度もスタートしはや半月。5月16日(土)には定時総会を予定し、会員の皆様へはふれあい誌5月号を送付にて今年予想図、仔細をお知らせします。
年会費で支えていただいている事に会長以下事務局は感謝し使命を果たす元気とさせていただいております。非会員の市民の皆様、ボランティア同志にも特に、リサイクル品を介して協力していただいております。かって消費者団体系会員が推進したリサイクル運動はコツコツと市民生活をおくることの旗印としての役目を続けております。前々コラムで回顧した野戸事務局長時代に設置された倉庫には、半分は生活学校が牛乳パックを整理し出荷する部署。半分がふれあいの翼事業の遺産が占拠しておりましたが、思い切ってリサイクル品の置き場にしました。これも割り箸(竹以外)を製紙工場に持ち込む会員へ引き渡します。リサイクルといっても考えが必要なのです。一例が飲料缶回収。放置よりリサイクルが度を越した広がりを見せ、プルタブ回収という指に傷がつきそうな余波もありました。製缶業者が対処して一体型へと変わりました、もうわざわざ外す価値はもうないのです。このプルタブ神話は困り物。協会では手馴れた事務局ボランティアがコツコツとアルミとスチルの選別を頑張ってくれますが、磁石で価値ある方のアルミを選ぶ。誰かはその意味を考えないまま切り取る。これは危険なのです。プルタブが捨てられモラル的に回収というのが集めれば役に立つ噂となった訳です。誰だってさせられるボランティアに魅力は感じません。やみくもに収集して、又誰かの手が必要になるのは一先ず卒業して、アイデアを探す活動がトレンドです。
閑話休題。経済循環が悪化する中、社会貢献性も購買を左右します。今月はもう過ぎてしまいましたが、会員団体が恩恵を受け取る黄色いレシートデー。今年もレジ近くに並んだポストがアピールする中、当協会のポストに投入されたレシートが8500円分のチャージをしていただけました。タイミング良く印刷用紙などの事務用品購入として活躍してくれます。何処のどなたか存じませぬがたまたまか、意識していただいてか買い物ついでの一瞬の立ち止まりの行為が「ふれあい」を呼びかける一ページにメタモルフォーゼした訳です。他の団体、協会加入団体も競争で並んで口を開けて待つレシートデー。この企業アイデアもどのように先を行くのか気になります。わくわくもしてきます。行政機関が主な公助と自助が両輪となり福祉が進化し、夢のある社会がゴールであることを信じて。
そして、福祉がより良い文化を生んでゆく可能性こそアイデアを掘り起こしたい。当面足場を福祉に置いて、無償性の可能性が文化化され生命や魂に関わる分野へとそのやりがい感が広がることへと夢想は広がります。レシートを投入してみた誰かが自分もと何かを掴むためにこの企業戦略はあるのだとごちるのです。
なお、公式セレモニーは28日に開催され、当会からは菊永恵子理事が列席し黄色い善意に大きな感謝を。
蛇足だがご近所の宮崎DARCは今年11月22日に薬物依存者からのメッセージフォーラムを開催する。彼女らもポストを構えている同志で協会会員団体でもある。

末次一郎 回顧

2015年4月8日 at 2:17 PMCategory:お知らせ

その人の刻印は、末期に至らしめた病の終焉、ホスピタルと葬祭場に不随活動として在る。しかし小さき体躯が駆けたこの世界には戦いの印が整理され、門を叩く人に答える準備を人生を掛けて済ませておられる。少し読み取り回想してみよう。検索すると随所に時節柄復古イデオロギーがらみのコメントの中に国士としての評価があり、我々地方ボランティア界で見せていたカリスマ的励まし手であった以外に、首相へのアドバイザーなど、父親世代の人としては特異な存在であった。直接に会話がなりたったのは戦友をたよってはとの宮崎在住の方の世間話くらいだった。しかし、奈良の播磨靖夫氏と代々木の末次さんが醸し出す覚醒感は当時三十代の我々には愛と自由をめぐる二つのベクトルとしてリスペクトしきりであった。お二人ともベースには大陸進出をめぐる幼小と青年期の記憶が世界に向いて開けてあられたようだ。そして、ことあるごとに九州のこの地に寄せる想いは、特攻の地へのオマージュを佐賀出身者としても感じられていたのと、播磨氏にとってはこの地の持つ原始ホスピタリティーへの気づきだったようだ。
残念ながら末次氏に関するエピソードはもうこれ以上書きようがない。しかし、長崎県開催の先を越してのボランティア研究集会宮崎の成功の奇跡を語り継ぐ時に、大会でのボランティア意識高揚の番外で戦友とのしばしの回顧と希望の宴をプレゼントできたのではとごちる。昭和から平成へと年号が変わるというこれ以上ない節目に準備され、手塚治虫の訃報を運んで来たようなタイミングで青島の会場に参集した800人が新たな意味を持たせた2月11日の恒例開催日に集い知恵を寄せ合った二泊三日。まさに神話と呼べる集会の頂点にまだ壮健な姿を見せておられた。
しかし、27年前は戦後53年であり、戦後9年生まれくらいの狭間の世代がリーダーをつとめたボランティアVS大消費社会の見えない奮戦時代に体系化ビジョンは個人的にも固まらず、平成7年には初頭に阪神淡路大震災を経て、ここをボランティア元年として活動と非営利が特定化されていくのであった。くにづくりに応分の関与を願い続けるちいさなけれど熱い内発性。他人事なれどアイデアは湧きでる自由度の大きな創造性、鍛えようでは新入社員以上に戦力化できる人材の宝庫、真正総力戦には欠かせぬ制度ありなしのボランティア。一応受け皿としてNPO法制化となっていった経緯で、なお原始性のまま何でもアリのタイプ型ボランティアが堅持されている我が協会などなど。
そんな細かなポリシーの団体へも援助の気持ちを惜しみなく注いだ中央組織の長老としてある意味大戦の贖罪的貢献を働いた国士へのオマージュとしてふって湧いた様なミニ寸評を気まぐれに書きとどめた次第。
施設サービスと私的生活のコラボレーションの一隅に事務所を使う、野海編集長には、5月号への投稿が依頼され、先ほどから簡易畳の上でipad作業が次第に熱を帯びてきている。私の方は新ドラマ「まれ」に浮かれながらも、福祉シーンとボランティアがその自由度の針が振り切れるほどのリビドーをまた、まだこの事務所で湧きたたせながら居るのである。
誰が撒いたかは定かでなくとも、強い意志で織られているボランティアDNAと活動するうちに転写したRNA因子の存在を喜びつつ、新たな発芽と生誕の春を感じながら。
みやざき教育支援協議会メスカと野海個人とみつどもえの事務所にて。水曜日の事務所
                              釈迦誕生の日とされる日に

野戸哲哉回顧

2015年4月2日 at 6:35 AMCategory:お知らせ

その人の刻印は、末期に至らしめた病の終焉、ホスピタルと葬祭場に不随活動として在る。しかし小さき体躯が駆けた宮崎平野随所には戦いの印が整理され、門を叩く人に答える準備を人生を掛けて済ませておられる。少し読み取り回想してみよう。有力な聴き手であったはずの私にマスターキーを授けられているような気がしてならない。そして、関門の一つが現美郷町であり、村所であることは疑う余地が無い。天国の最上に座す長に、証拠が提出され検察官と国選弁護人の質疑が始まるのを傍聴する私は、固唾を飲んで場面を読み取る。そんな証言を確かに聴いた30年前のレコードに針を落としてみよう。
31回目のふれあいの旅の候補地が決められるプロセスには、オブザーバーから助言が欠かせない。南さんという人柄は重宝されている。このことは補助を受けた事業経験の功罪でもある。それは、自らの意思を貫くことの不可能であった人生体験に由来するが、岩盤を突破してきた集団力からすれば認知せざるを得ぬ。まあ選択肢の提供は何でもありだからと。しかし、言いなりに育つ、おりこうさん、優等生路線はダサいというのが、突破力を得た集団の合意であった。つまり細部に渡りオリジナルでなければならないことへのこだわりこそボランティアたちが持ち込んできた大量創造どこでもドアーであった。オレオレにも似た誘惑を果敢に駆使し障がい者教育に挑んだ汎社会な勢力であった。いつも辛口に実行委員会評をここで繰り広げている訳は、統計的に見てもおりこうさんやおじょうさんおぼっちゃんをワンダーランドに連れ出す魅力に取り憑かれたボランティア憲章なるものがまだ揺るぎない可能性を失っていないからだ。この主張は脚色しすぎでも、ご本人は知恩院信仰に厚い方で、その点でも聖書系ベースの方とのバランスが取れていた。美味しい珈琲とくゆらす煙に目を細める時思考に遊ばれていた。

またまた前説に力を入れてしまったが、その人野戸哲哉は、宮田三男事務局長の補佐役という格好の場を得て、宮崎県内で国民保険を地ならしした仕事を今度は自由な立場で補填していきたいとボランティア協会に飛び込んで来られた。まあ、省庁が通達した制度を下ろす立場のお役人が自らの英知を注ぎこみ正義を果たしたいという美談である。まあ、は余計。まあ、と真のジャーナリストを揶揄して雷を落とされ真剣の重みを測る力をつけてもらった経験から言わせてもらえる。
県域にボランティアコミュニケーションを広げるのは、彼が制度準備を説いて担当地を巡回した経緯をなぞるようで楽しかったのだ。きっかけも愉快。彼が選んだボランティア講座は点字点訳であった。業界が歴史的にも存在する視覚障害者への援助は、既に縦割り、派閥といった政治的要素の上に成り立つ。ボランティアはそこに分け入り自由な風を吹き荒らしたわけである、まあ。しかし、会議としては整然と両派閥が肩を並べる議会機能をこの部屋ではしっかり果たせていた。その舵取りが宮田事務局長であった。そんな鉄火場に浪人として飛び込み一目で中枢にスカウトされた訳である。シニアライフの毎日はここに通うのがわくわくだった。
いつしか、車椅子運び専門の私は野戸さんのお抱え運転手役も増えた訳で、公務員研究を走りながらさせてもらえた。いづみの会に秋波をおくるなどと二股かけている訳にはいかず、野戸さんは男道へと指示を出され、入郷地区へ幾度か足を運んだ。その結果ふれあいの旅上米良泊という回が実現した。二度と出来ない経験を残した訳である。しかも重度の人の参加が多くすわ道行かの様相もあり、おまけに近場ならということでわたぼうしコンサートのユニットまで持ち込んでの一大ページェントが繰り広げられた。第3回初の一泊高千穂、2舎分泊の感動も薄らぐほどであった。唯一無比。今の西米良桃源郷観光ブームを予言したかのようなふれあいの旅であった。それはその回きりの幻でもある。あの谷間に響いたコンサート!気合を入れた原田恒夫さん持ち込みの打ち上げ花火!せめてものおもてなしの柚子湯!寸劇白鳥の湖も!めくるめく幻想!あーとため息が出る。
そして、まちづくりの一過性を経て米良の里は双子キャンプ場、ゆたーと、小川作小屋など後進に隆盛をゆだね、元の過疎の鄙にもどって眠りについている。

野戸哲哉物語の刻印を感じさせて止まない。

野戸哲哉物語の刻印を感じさせて止まない。

4月1日辞令交付

2015年4月1日 at 3:49 PMCategory:お知らせ

4月1日辞令交付
新年度が開始した事務局に行くと、ホワイトボードを前にテーブルではメスカの発送作業。手前のテーブルをたたんだスペースには以前、和田祥吾さんが座していたすのこベースの簡易畳の上で、野海委員が初仕事をされている。MiyakenVolのWi-Fiのパスワードを入力できぬまま自力4Gで熱中されている。時折SNSをチェックしながら一人爆笑しつつ。無駄話を持ちかけると待ってましたとばかりに、「延岡」ショートトリップの巻を発表。はしょると、卒業証明添付不備で通信制といえど願書を受け付けられず、慌てた電動男は電車男になり、無我夢中でそこだったはずの母校を訪ねるも、移転後で尚、慌てたという彼らしい顛末。このことはメスカ職員には手に取るように理解してもらえ、延西高校が統合された結果であることに一同納得。宮崎駿を彷彿とさせる方で仕事の手を休めることなくすごい集中力は、学校という怪獣を飼育されてきたキャリアをオーラとして放たれている。頼もしいルームメイトであり、今後協会事業への協働もあり得る。
野海実行委員長としてふれあいの旅も牽引するので、さっそく事務職の光代との打ち合わせも即決。まさに膝を突き合わせての。

という具合に、リアルなネットワークが展開すれば思い込み判断が極力削減され、SNSの利用で瞬時の合意形成も可能な事務局体制の4月幕開けとなった。

April Clever

2015年3月27日 at 8:37 PMCategory:お知らせ

四月の初めに
長友眸先生が他界されたのを知らされたのは、老犬の引き取り手探しの輪からである。点字のエピソードに続くが手話通訳の世界も深遠である。全国大会開催の縁と元事務局長の伊東絹子さんが手話も点訳のスキルも堪能だった関係で出入りが多かった頃にさかのぼる話。当時は同じ部屋に、協会と活動センターが同居していて、さらに明るい社会づくり運動の机もあり寺松勇一さんの東北弁が明るく響いていたボランティアビューロー。初任の山中先生に続き県社協の活動センター部には管理職退職者が出てこられていた。学校教育界からである。アイデアの豊富さでイベントにも盛んに加わって下さっていた方々の中のお一人が長友眸先生だった。多分一匹残された愛犬と暮らすと同じ時期に愛娘さんがアートの世界から手話通訳の専門機関「全通研」でも活躍の場を持たれたようだ。大山さんと呼んだほう通りが良いのが美幸さんであるが、ボランティアから職能へと進化する人材の最古参かもしれぬ彼女が伝えた死と犬であった。
取り急ぎ、お悔やみに神宮西町内へと向かうのだった。これまた最古参わたぼうしの財部豊隆さんからも一報を受けていたが、このわたぼうし会と神宮西界隈は縁が深い。まず、月曜例会の余韻をそのまま運び閉店まで座席を占めるのが許されていたグルッぺ。平和台県知事公舎の真下にあたり、現コンビニ。溜まり場と化した福祉総合センターも閉館時間は厳格で、ガードマンさんに手を合わせても10時くらいの熱が最高潮の頃には乗り合いで初期のファミレスへ再集結したものだった。ご主人が航海中、子供も遊学中というご婦人が家に呼んでもくれたが、そこも神宮西の雲山家。当時は宮大の町であったから行ったことはないがカルテェラタンのような磁場だった。学生運動末期でもあり障害者権利運動の余波で施設を出て紅葉荘一人暮らしを始めた甲斐聖二の部屋は実に多彩な男衆の溜まり場であった。もちろん神宮西。
話が神宮西に集中し始めたが、長年そこで暮らされた長友眸先生の御霊前にご報告がある。先生がボランティアに気遣って下さっていたもう古い時代に少し感じが戻ってまいりましたよ。それは、教職、事務系退職者結成によるNPOメスカさんと事務所シェアが始まります。機器も共用でき、カラーコピーやシュレッダーなど教育現場のプロ集団ならではの様子なんです。そこへ、意を決して電動車椅子ごと野海編集委員が水曜にはヘルパー氏を従え当番にあたります。稲垣政安さんや木曜教室の松浦哲也さんたちを彷彿とされるんぢゃないですか。各地にセンター機能が充実し、住民ぐるみのまちづくりが進みます。ボランティア界も、また一つまた一つと持ち寄りで身の丈の解決を産んでいくことなります。老犬の寿命が一番気にかかることですね。しばし神宮上空から南の原町辺りも俯瞰していてください。ご冥福をお祈りいたします。4月の初めに。

生きがい

2015年3月25日 at 12:05 PMCategory:お知らせ

事情で同居している長女が「どう生きるかが大事と聴いた」と送り出してくれた。小学校は卒業式で下級生は早じまいらしく洗濯物干しを手伝わせながら八面六臂のヤンママも板に付く。決してからかい気分で子育てをしてはならないとはインディアンの教えであるが、真逆であった私は神妙に娘の言葉を受け取った。妻が言うには「ボランティアばかりして向かい合ってくれない!」が15年前の彼女の言い分だったそうだ。そして今朝は「今もぢゃわ」と釘を刺された。でも呆れた果ても、「お父さんあなたの生きがいなのね」 と付け足す余裕すらみせる。一番大事な時にも他人事ばかりだった私、腹水盆に返らずでもっともっと困らせられた方が罪滅ぼしかもしれない。4人の子育ての内半数ははっきり言葉を返す方で、二人は行動でという陣容となった。見事に遺伝子は両親から伝統を引き継いだようだ。

そんなまなざしに見送られて出勤、通りに出ると、マンション玄関で点訳奉仕ボランティア男性の方の運動中に出会った。立ち話となったが、体調は回復してきたと背筋が伸びておられたが、訳の方は見解の違いで辞めたままと応えられた。間はあったが、辞めた理由を記憶の層から引き出されるには、こう。W杯を訳すにも読者である視覚障がい者へは正確を規すとのことで、wはワールドカップとは翻訳できない約束事に気乗りがしなくなられたらしい。話はそこで終った。点訳活動中の熱の入れようはたいしたものであったので惜しい気もするが、今はリハビリに生きがいを見つけられている。そのことはリスペクトできる。

事務所を開けるとほどなく電話があり、切手整理ボランティアの方が仕事分を引き取りに行く旨。かなり長期にわたりご家庭で規定の幅に鋏入れ整理して、次の分をお持ち帰りして下さる。生きがいとは大袈裟だろうが、単調な生活にリズムを刻む小さな活動と成しておられる。生活に添ってある活動は理想である。時は選挙期間が近付き、オリンピックの前哨のような動きが見られる。選挙こそは生活に添うべきなのに、高揚感に憑かれた叫びを議員団から聴かされる期間である。ひるがえってみればボランティアさんらは、生活に添い熱中したり辞めたりといきいきわくわく感を小さなサイズで活動されている。そこにはきっと私発のマニフェストが生まれている。能力を拡大させ起業化まで到達される諸氏もはじめは小さなボランティアだった。

政治家の卵の皆さんのようにすべてのボランティアさんがコミュニケーション力に秀でているとは言えまいが、生きがいに取り組んだ末に得た意見は光るものが存在するはずである。そんなアイデアを集め整理する議員の姿勢が未来を拓くやもしれぬ。政治家を企業人におきかえれば経済効果もより楽しみ。
われわれの生きがいは小さいが、スポットを当てた時の残影はひときは鮮明に大きく映し出されるだろう。
では、議員並みに広げすぎた口を納め、事業主自ら配達されたブライトハウス弁当ミックスバージョーンを食べて、午後の仕事に備えよう。ブライトハウス弁当

何かパッと面白町内会談義

2015年3月18日 at 4:16 PMCategory:お知らせ

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宮崎県廰別館に集められた10名のマネジメントアドバイザー同志で研修内容をシェアしあい、次年度への今派遣事業への意見を交換する談義に加わった。メールでは翌本日KITTENにて開催・辻会長出席の宮崎県NPO政策会議に関する連絡が回る。怒涛の年度末といったところ。地域生活活性化に専門性を持つNPO等が協力する仕組みはまたたくまに日本国全土を覆い、昨日隣席のアジア砒素ネットワークのように海外での問題解決力を飛躍させるつわものも混じり未来を担うべきおとなたちのチャレンジは果てしない。
一人、事務所番にランチのサンドをぱくついていると、最長老ボラが「ポツンと寂しそうじゃが、鼠に引いて行かれんごつ」と黄色いエプロン姿で、時世と依る歳並みでボランティア町内が以前の活動衝動にも過疎化が押し寄せもはや潮はすっかり引いた線上を歩いて帰って行かれるようであった。出入りがないのを良いことに棚の各団体、会員の発信に目を通すことができた。活動の過疎といえ、百はなかなか切らぬ協力者である会員数はここ事務所を灯台のように位置確認をしながら並走して下さっている。
後ろからページをめくる癖で思わず読み引き込まれたのは「ほのぼの新聞」。スローライフだより39の下に並び「セボネ」と肩を並べているが、若い障がい女性個人会員が思い立ち表現する喜びの実践報告を劇団女優らしく綴ったライト感覚な発信。引き続きポツンとした事務所の私を置いて作業所の清掃作業のメンバーは仕事を終え去る。かってここ事務局ボランティアから母親発の福祉を旗揚げした「仲間の家」がめぐらすセーフティーネット内でのゆるやかな生活一団は会話がまるで演奏を聴かせてくれるようだ。同系の「いつか」や「なのはな村」は美味しさまでもレストラン営業する。しかも福祉領域からより横へと社会を包み込むばかりの勢いを秘めている。そこにはほんとうの美味しさの提供の発信がある。88年数人で派遣の栄誉をうけたワシントンDC視察の宿舎フォーエイチセンターのレストランがそうだったことを思い出すと、会員を通して観ても福祉施設の力は目標に到達していると感じられる。皮肉なことに公的配慮が分散したものの効率も悪化する企業倫理のブラック社会に若者が喘ぐ様相は予期できなかったようだ。意外な勝ち組負け組のラインが引かれていると言えまいか。(この断言は早々に引っ込めたいが、かってのボランティア的鍛錬錬磨が結実し、まだ先を目指す元作業所業界の潜在起業力は社会現象と反比例していそうなのだ。)誰をも見落とさないやじろべえの支点でありたいと名付けられた施設名はその役目を行政指導から代行し続けているようだが、この支点たる首長の館県廰にも枯渇したかに見えねど個性的な人材育成にはまれば高度成長期の指導力が蘇るはず、ほしい、と思うのである。メンターである。官民連携が悪い面を増幅し合ってるのでは、(これも早く引っ込めたい)かって大阪ボランティア協会は市民プロデューサー講座をひらき、今はボランティアスタイルと銘打ち自発性発見のきっかけにボランティアシーンの有効性にこだわり続けてきた。当協会も事業として自己実現は自発性の発見であることを研究しあいたいものだ。ボラの意義はスモールイズビューティフルほんとうのおとな像を模索する小舟の航海のようだし、当協会は先人らによりその航海の灯台であらむと設立された。

追記、事務所が留守でも、リサイクル品寄贈の方に手土産として取っていけるようにfor you…
などを置いて情報発信力は磨き続けたい。

宮崎県NPOマネジメントアドバイザー意見交換会「研修報告」協力

2015年3月15日 at 8:23 AMCategory:お知らせ

NPOマネジメントアドバイザー意見交換会
研修報告への協力
特定非営利活動法人 宮崎県ボランティア協会 理事・スタッフライター 永山倫太郎

県費の研修で立教大学での全国ボランティアコーディネーター研究集会に初参加し、次年度は自費で愛知淑徳大へ、隔年なら可能という県費で栃木・白鴎大に三回目の参加、願ってもない大阪での開催となり今年度は余裕の船旅でjvcc2015に向かい無事帰還したのでこれまでの派遣とかって同行されたアドバイザー諸氏、もちろん県担当部局への感謝も込めたレポートをする。

「極意はインプロビゼーション」
我が県ボランティア協会は昭和54年の連絡会議の創生期から県社協傘下の任意団体として20有余年の存続を続けNPO法人化から10年を越し 、設立当初から指導を受けた社福大阪ボランティア協会には一方ならぬ影響を受け、今年11月に50周年を祝う今集会の主体団体への賞賛は大きい。いわば、偉大なる先行く仲間としてである。

さて、参加形態として、分科会を選ぶところからわくわく感が生じるが、この「わくわく感」こそが時代考察のキーワードであることは間違いないようだ。今春幾度となく耳に響き、ためらいなく使用する解説者のシンプルな示唆に同感してやまない。数十年格闘してきた活動の秘訣極意がこの二文字の二乗だったとは。
  今回は大いに大阪の仕掛けにのっとって、新企画を選ぶのに躊躇はなかった。ワンテーマを深く議論しあうほどの具体的事業展開にここのところ取り組んでいないので切り口の新しさ、大阪らしさにのめりこんでみた。オチは保証しないがオモロイが大前提の活動マインドが一貫している早瀬昇実行委員長、あだ名漫画さんの境地はエバーグリーン表面上は明るくミッションは重層ビジョンであるように思ってきた。そんな永遠の伴走者の彼らから差し出された呼び込み状には日頃大阪で試して一押しの企画ボランティアライフを絡めた
前乗りプログラムまで用意してあり、ネット先着順に入り込み木曜日の鳥飼県議最期の登壇質問を傍聴してもまだ時間があるのでぶらりぶらりで7時のフェリー上の旅人となる。
それで、今回の集会には金曜日朝の神戸からたっぷりと参加できた。長田町のコリアコミュニティカフェ「ナドゥリ」にはシャッターが上がる前に到着、鉄人広場で時間つぶしをする。京阪の文化の底流に大学の仕事や遊びが水脈として流れていることは、同志社の一留学生だった詩人・尹東柱ユントンジュの展示からもわかる。テーマ型カフェなるほどおいしい図書館をコミュニティーカフェは意味していることが楽しめた。携帯充電OK、トイレがアート的だというのが味噌。夕方から集会は始まるというのにアイドリングはすでに始まった。土産に現地即席麺を買い込んだのでリュックが膨らんだが、土産コンクール用のドルチェのクッキーを充電代として女性店主にお裾分けして、もうわくわくメーターは上昇し始めた。
しかし、JR新今宮東改札口17:00のツアー集合場所は20年前の震災当時を思わせる異端の地として釜ヶ崎は迫って来た。とても一人では、まさかカップルでは到底歩けない特別区をフィールドワークとして学生のボランティア参加の導入として企画できる大阪ボランティア協会は偉大なるかな。これって、支援センター長が数年繰り広げた行政職員向けまちあるき発見プログラムにつながる。しかし、統治の根幹を揺るがしかねない特別区、50円の自販機、低価格ホテルのビルディング群、高齢化と保護の張り紙、シェルター、暴動の記憶生々しい警察庁舎、街頭テレビのある公園。問題解決の社会の轍が整理をこばみここにある。ナビゲーターはボランティアスタッフ、女子学生の反応やらが確実に自主性を育むのに手応えを感じ、ボランティアライフに忠実にしっかり生活者となられている。いわゆるセツルメントがボランティアの源流にあり、今のNPO全盛期を迎えている認識は正しい。
また、人間探求としての飛田新地から通天閣の脚下の串焼きでの交流へと流れ、互いの素性も明かした頃には草食でもないもちろん肉食でもない串食系人間、ボランティア像が互いを鏡として浮き上がった。そう疲弊社会に横串を指すネットワーカーたる我々の他流試合が今まさに始まらんとしているのだ。
前置きだけで報告を終えるが、特別に案内してもらったのが味園ユニバースであったことが奇蹟であった。
なお、はしょって表題の「極意はインプロビゼーション」を解題すると、わくわくしましょうよとファシリテーターは呼びかけ、ジャズの即興演奏のようなやり取りが机上でなされるワークショップこそが研修の完成形であることに身を持って納得できた訳である。
クロージング

Theater Miyazaki 例会、ほか

2015年3月11日 at 5:48 PMCategory:お知らせ

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本日は、昼食弁当をはさみ映画製作集団のミーティング。ブライトハウス450円のお弁当を協会事務所に注文配達。当事者の皆さんのセルフヘルプな活動の一環として、製造から消費まで社会の一角で完結。その社会的効果が接点ともいえる協会に広がっている。傾聴がいかに治癒につながるか、放置されては適わない。という本音が伝わる時間が持てた。障がいという枠に囲われ放置されてはいないか、当事者の息遣いに耳をそばだてようではないか。
さて、バイクで帰ったメンバーと擦れ違いに駆け込んできたのは、まあるい劇場の台本を書きあげたという野海さん。何やら激白する。ようやく翻訳できた内容は「甘かった」買い物。駅の100均でのレシートにはコーヒーフィルターとガチャピンムックの巾着が記載されているのだが、甘く見たのは本人で風がさらっていった湯たんぽを入れるはずのキャラクター柄の袋。ちゃんと首から掛けたカバンに入れてもらうべきだったのだそうだ。本日は昨日の風も納まったものの。
いろいろあるから面白いという野海さんの県ボラ協「ふれあい」誌へのエッセイも新年度より復活すると張り切っている。生で傾聴すると迫力をなお感じるが、最近シェアハウスに招かれたことなど、電動車椅子からの視点は鋭い。最近は自らフェースブックも活用し交遊を増す野海さんの片言隻語も欠かさず伝聞するパワーは読者を知らないではすまされない世界へと冒険へ誘うことであろう。

今日の半日、精神と身体のはざまに架かる橋のようなボランティアの立場を経験した。3月11日、野海さんはサイレンを聴いたと知らせてくれた。一本のかけ橋を自認する協会事務所にも遠くから聞こえてくる放置を訴えるつぶやきを受け止める静けさが求められている。
否、事務所も教育専門家集団のメスカとの事務所シェアが始まって、問題解決力が相当にUPしてくることには間違いなさそう。出入りの方々が元気に語って行かれる居場所機能が充実していくに連れにぎやかな事務所になっていってほしいものだ。
なお、平和台の杜さんがふうせんバレーのふうせん購入にみえたが、僕が亡くしたのは平和リース前だったそうだ。念の為に。

さよなら原発!宮崎ネット

2015年3月5日 at 7:43 PMCategory:お知らせ

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「さよなら原発!宮崎ネット」は、宮崎県内のグループや個人有志が、原発再稼働反対ウォーク(毎週金曜18時〜)のためつくっているネットワークです。一緒に歩きませんか。

以上、フライヤーより