わたぼうし音楽祭(奈良)
2015年6月16日 at 2:18 PMCategory:お知らせ
2015年6月16日 at 2:18 PMCategory:お知らせ
2015年6月11日 at 5:52 PMCategory:お知らせ
こんなワークショップになればね(全く無関係だけど)
5月20日付の実施計画書からの概要
【本祭】
宮崎映画祭の目的は、宮崎で映画を心から楽しめる場所を年一回、いつもは観客である地元の人たちの手で作り上げ、宮崎では見る機会の少ない作品を、低料金で通常の映画とは違う空間を演出し、普段映画を観に行かない人たち(障がいを持つ方々、小さいお子様を持つ方を含め)に、もっと映画を観てもらい、映画の素晴らしさを再認識してもらう機会を作ることです。
「ニューヨークの舞台は観客がつくった」という言葉があるように、観る眼をもつ観客を育てることが文化、芸術の発展につながると考え、多種多様な表現を持つ様々な映画の上映から、映像分野の第一人者による映画解説・講座・ワークショップなどを開催することにより、作者と観客の架け橋となるような映画祭を目指します。
【巡回上映】
映画館の存在しない地域で、公民館など広く地域住民が集合しやすい場所において映画を見ることによって、地域コミュニティの形成の一助を担うと同時に、宮崎映画祭本祭への広報効果も狙う。また、同地域において、かつての映画館の存在を聞き取ることによって、同地域の映像文化の足跡などを探る。
【屋外上映】
普段、映画館に足を運ぶことのない市民に対して、宮崎市内では滅多に実施されることのなくなった「屋外上映」を行うことで話題性を作るとともに、映画本来の大勢で映画を見る喜びを再認識してもらう。またここでの興味を、プレイベントである自主映画祭や本祭に繋げることによって、宮崎における映像文化の担い手の底上げを図る。
【自主映画祭】
宮崎県内外の映像作家が制作する自主映画作品を宮崎映画祭において上映することにより、刺激を与え、宮崎市内においても映像を自主的に制作する映像文化の担い手を育成し、発展をうながすことを目的とする。映画祭本祭への告知へもつなげる。
【市民参加の映画祭予告編作成】
宮崎市民の手による宮崎映画祭の予告編を作成し、宮崎映画祭への興味を持っていただくとともに、市民の手による予告編の作成という話題をメディア等で取り上げていただき、宮崎映画祭本祭の告知へとつなげる。
開催日程及び会場
①巡回上映(宮崎市内で1ヶ所で実施)
平成27年8月9日で実施予定
市内から離れた地域の公民館等で映画祭の告知を兼ねた上映会を実施する
宮崎自然休養村センター
②自主映画祭(プレイベント)
平成27年8月30日(日)実施予定
映画祭の告知を兼ねて県内外の自主映画作家の作品を集めて上映会を実施
会場はカリーノ宮崎8階シアター88を検討中
カリーノ宮崎:宮崎市橘通東4-8-1
③屋外上映
平成27年8月29日(土)実施予定
会場は宮崎市若草通り東3丁目3-7
④宮崎映画祭本祭
平成27年9月19日(土)〜9月26日(土)宮崎キネマ館1(定員93名)#24〜26日は夜のみの実施で検討中
宮崎キネマ館:宮崎市橘通東3丁目1-11アゲインビル2F
平成27年9月27日(日)宮崎市民プラザ オルブライトホール(定員500名)
宮崎市民プラザ:宮崎市橘通西1-1-2
⑤市民参加の映画祭予告編作成
宮崎映画祭の広報をするために市民に参加していただき作成するPR映像
6月完成予定で鋭意製作中
入場料金
本祭:フリーチケット:3,000円(本祭全作品を鑑賞可)
一般前売り:1,000円(当日1,300円)
シニア券:1,000円
子ども券:500円
#シニア券、子ども券は当日券のみ
屋外上映:屋外上映前売り券 無料
巡回上映:当日のみ500円
目標動員数:4,000人
(本祭:3,400人、自主映画祭(プレイベント):300人、屋外上映:200人、巡回上映:100人)
本祭上映検討作品
①戦争はすべてを狂わせる(仮題)戦後70年の節目に「戦争」を主題とした代表作を上映する「チャップリンの独裁者」「ゆきゆきて進軍」「地獄の黙示録」
②平和について考える 宮崎出身の黒木和雄監督没後10年に、地元宮崎で撮影された作品とその代表作を上映する。
「美しい夏キリシマ」「紙屋悦子の青春」
③今時の青春映画 吉田大八監督特集(仮題):南九州を代表する映画監督・吉田大八氏の作品を特集
「桐島、部活やめるってよ」「紙の月」
③ゴジラとワルツ(仮題)
「ゴジラ」
「ラストワルツ」
④今、文化について考える(仮題)
「聖者たちの食卓」
「百日紅」
「深夜食堂」
⑤英国の至宝(仮題)
「ナショナルギャラリー英国の至宝」
「ジミー、野を駆ける伝説」
⚫️ゲスト予定
吉田大八監督
原恵一監督
松岡錠司監督
2015年6月10日 at 3:28 PMCategory:お知らせ
2015年6月4日 at 5:57 PMCategory:お知らせ

ボランティア活動が勢いを減らし、往年の元気はほぼ特定非営利活動の方に傾注されていると言っても過言ではない。今までの仲間は値札が付いているお客さまみたいとまで言うと反論も出そうだが。
本当に、宮崎のシーンでは生活学校という婦人ボランティア団体が一世を風靡していたのは確かだ。どっちかというと車椅子自立運動の方は地下活動や夜間繁華街謳歌活動&ミーティングにエネルギーを燃やしていた。彼女たちは学校を名乗り、学びの楽しさ真剣さを生活に加えて工夫、改良で社会へ提言力を持った。構図はあらかじめ予想される一歩先の消費生活を企業、行政と牽引していた。元祖NPOだった。
ここにある40年史は8年前のものなので、WEB上の検索でも全貌はたどれないだろうから、少し採録しておこう。
参考資料2 宮崎県生活学校連絡協議会 規約
[名 称]第1条 この会は、宮崎県生活学校連絡協議会という。
[構 成]第2条 この会は、県内市町村にある生活学校の代表者をもって構成する。
[事務局]第3条 この会は、事務局を県新生活運動協議会事務局に置き、事務局長を置く。
[目 的]第4条 この会は、県内の生活学校相互の連絡提携を強め、生活学校の充実と発展を
図り、新しい住みよい地域づくりに努める。
[活 動]第5条 この会は、前条の目的を達成するために次の活動を行う。
1 情報交換・連絡提携
2 県段階の課題、活動方法などの研究と調査
3 生活学校運動宮崎県大会及び生活学校運動研究交流集会などの開催
4 ブロック研究集会の開催
5 その他必要と認める事項
[役 職]第6条 この会は、次の役員を置く。
1 会長1名、副会長5名、幹事若干名、監事2名
事務局長、書記、会計1名
但し、事務局長と書記、会計は会長が委嘱する。
2 会長、副会長、幹事、監事は総会で選任する。
3 役員の任期は1年とする。但し再任をすることができるが、会長の任期
は3年を目途とする。
4 会長は会務を総括し、この会を代表する。
5 副会長は会長を補佐し、会長の事故ある時は、その職務を代行する。
6 幹事は、会長の要請による幹事会で、会の企画を審議する。
[会 議]第7条 この会のすべての会議は、会長がこれを招集する。
[経 費]第8条 この会の経費については、別に定める。
[付 則] この規約は、昭和45年9月30日から実施する。
昭和59年 4月25日一部改正
平成 3年 5月8日一部改正
平成 9年 5月13日一部改正
平成10年 4月28日一部改正
平成14年 5月9日一部改正
平成15年 5月9日一部改正
さて、世論を形成した要因の一つだった婦人活動はどう、NPOの時代にメタモルフォーゼしているのだろうか?
このケースの場合は学校を名乗り、発見と対話集会の連続で学ぶことの魔術が根底にある。自由さにあふれている。
入沢志津子さんが会長としてボランティア協会の役職も兼任されていたので、年に一回くらいはお呼びがかかった。それは、イズミヤ(昭和47年 10月宮崎に宮崎店を開店) を会場にしてくらし展、バザーなどの企業の社会貢献を引き出していたイベントだった。販促にも協力しながら活動の質と量を進化させる戦略をもっていたのだ。無償の会場提供の見返りに応分の活動と認められていたようだ。
昨今、会場費に関しては経費節減上無償はあり得ない。福祉であろうが生活であろうが。当時はあなたが買うその商品は社会的に観てこうゆう問題をはらんでいるのよ、考えながら使いましょう!という運動は役に立つ情報発信として認知されていた。婦人の真剣で機知に富んだ活動は報道により社会の最新の常識として拡散していった。
ある程度の行政の後押しをスプリングボードとして、型にはまらない婦人が飛翔した。
だったが、成功を見極めるかのようにセンター化されると、型にはめることになり、熱気は半減した。
働く婦人の家などが居場所としてなり得なかった事例がそれを物語る。
婦人は競い合いそれぞれが敷衍し、必ず目的を達成する。
そして、もっと自立する気概は高齢化した今でも決して目標はぶれない、生活学校が目指すものは自分で考え自分で創る生活なのだ。
2015年6月3日 at 4:45 PMCategory:お知らせ
みなさんの地域づくりの“元気の素”を
ふるってご応募ください!
あしたの・まち・くらしづくり活動賞
地域が直面するさまざまな課題を自らの手で解決して、住み良い地域社会の創造をめざし、独自の発想により全国各地で活動に取り組んでいる地域活動団体・企業等の活動の経験や知恵などのストーリーをレポートとしてぜひお寄せください。震災復興のまちづくりや震災復興支援の活動もご応募ください。
本会の矢崎黎子理事は現役で生活学校活動をリードしておられる。系列の本部団体では、活動のレポートを募集し、その活動を側面的に援助する事業を今年も展開されている。
助成金や補助金とは一味違い、レポートの文章力と活動内容表現で評価するもの。
最低額3万円を照準にしてチャレンジしてみようではないか。
これも、先輩達からのボランティア活動の道を励ましていただける糧である。
◆応募の締切 平成27年7月13日(月)必着
主催
公益財団法人 あしたの日本を創る協会
2015年6月3日 at 12:47 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ
事務局資料と会議に加わっていただいている「みやざき教育支援協議会」職員の川﨑氏によると、
昨日6月2日の実行委員会・野海靖治委員長(46)の議事で日程 10月24日(土)~25日(日)。行先南九州(鹿屋~志布志)。事前交流会10月4日(日)。が決定した。
記録には野海さん他、甲斐、和田、藤原、坂本、渡辺、山崎以上社会人&酒井、戸山、永廣、清水、黒木(公立大)の12名の話し合いで決定した模様。
心待ちにしていらっしゃる人に伝わると一層実行委員会も盛り上がる。学生に負担がかからないようなボランティア募集もあらゆる手段でおこなっていきたい。要綱、画像等は6月16日(火)6月28日(日)6月30日(火)の今後の実行員会後発表されることだろう。
写真は、予定のボルべリアダグリHPより転載。
帰路は、日南海岸のコースのようで、串間の玉碧が出た、中国との交易の確かな歴史が残る地方へのふれあいの旅は、昨年車両の故障で無念を感じた吉野ヶ里遺跡探訪にも勝るとも劣らないホットスポットなどと、ロマンを掻き立てられる旅の展開にわくわく感がつのる。
さて、話は新潟に飛ぶ。新潟ボランティア連絡会発行のビューローだより205号に北陸の障がいしゃ元気情報があるので転載し、また敬意を表したい。
≪訃報≫ 新潟ボランティア連絡会の副会長渡辺浩一さんが、5月6日永眠されました。仲間から”ワタコ―さん”と呼ばれていましたが、電動車椅子の背中に2本の赤色灯を差して、悪天候でも負けずに外へ出ていました。
これまでの活動に感謝し、ご冥福をお祈りいたします。
障がい者の生きる責任(1992年5月NO29「ビューローだより」より)
渡辺浩一
私が40年以上生きて思うことは、社会は、自分のことが自分で出来ないと役に立たない人間、どうしようもない人間として見ています。一人の人間として見ていないのです。
一人の人間として見てもらいたいのなら、一人の人間としてみてもらいたいことをやってゆかなければなりません。ではどのようにしたら一人の人間として見てもらえるのかと言うと、「障がいしゃ自身が自分に出来る事をやっていくしかない」と思います。出来る事をやっていれば、出来ない事が見えてきます。その時、障がい者自身の口からできない事、すなわち困っている事をはっきり言っていけば、すぐには変わらなくても段々と良いほうに変わって行くと思います。
私は今アパートで生活していますが、寝返りや食事つくりや風呂の介助などしてもらいながら毎日を送っています。もちろん年金だけでは食べていけないので行商(バス券・テレホンカード・コーヒー豆など)をしていますが、知らない人に声をかけるということは、精神面の大きなリハビリになっています。
食事がつくれなくても買い物をすることはできます。電動車椅子に乗ってスーパーに行っていると、いつのまにかスーパーの通路が広くなり、邪魔な段ボールがなくなっています。銀行に行く時も電動車椅子に乗って行っていたら、いつのまにか段差がなくなりスロープがついていました。駅には40段以上の階段があって、そこをちょくちょく使っていたらホームの端にスロープが出来ました。
私は思うのです。障がい者も社会の中の半分は責任があるんだ!と考える人が多く出てきてくれたら社会は変わる・・・と。
2015年6月2日 at 7:20 PMCategory:お知らせ
www.futoko.org
紙面広告によると、南九州で初の講演会です!!
ぜひお越しください!!
”不登校からの進路、どう考えれば?”
会 場 KITENビル8階(JR九州ホテル宮崎)
(JR「宮崎」駅西口徒歩1分)
時 間 午後2時30分〜午後5時(開場2時)
講 師 石井志昴(本紙編集長)
参加費 無料
参加方法 要事前申し込み(定員30名)
連絡先 TEL 03-5963-5526/090-7552-2864(当日)
FAX 03-5963-5527
メール tokyo@futoko.org
主催 NPO法人 全国不登校新聞社
助成 公益財団法人 倶進会
2015年6月2日 at 9:50 AMCategory:お知らせ
六月
茨木 のり子
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
ボランティア活動が動き出した頃、宣伝役として講演や地域発の情報発信の開拓者だった埼玉県の杉浦光子さん。
文庫活動というジャンル、今ではサロン活動がいわゆる自宅を開放するスタイルで継承されていると言って良いが、
女性の生き方をボランティアの裾野で花開かせた姐御といった風格の婦人であった。
その光子さんは、いつでも声を掛けてをキャッチフレーズに、自前のコーディネーターとして福祉の在り方に寄与された。ご主人のお仕事が社協マンということで、地域での生活にボランティアの発見の種を豊かにまかれ、賛同者や応援者がその考えに常に影響をもらっていた。その発信の形が、「六月」という名前の自分発の情報誌であった。パート内職で添削をこなされる程の文章力は、詩と挿絵が一杯に詰まった定期便として私家版ながら同時進行している各地のボランティアたちに届けられた。その「六月」の意味が、茨木のり子さんの詩に象徴されていることで、名前が付いていた。ユートピアを想像する生活の希望は、日本の成長期に我慢や統制が覆っていた光ある生き方を懸命に主張していた。
宮崎でも、日向市の研修に講師として来ていただいた。せっかくのチャンスということで、医療ライターとしての仕事の取材のお手伝いで精神医療で全国に往診することで貴重な存在の水野昭夫ドクターと引き合わせることもできた。
ヤッドの昌彦さんがフランス研修に選ばれた時には、ご主人と一緒だったという縁もあった。
後進の我々からすると団塊の世代の急先鋒みたいな頼り甲斐のある存在の群れも、高齢者として実生活に向かい合っておられるだろう。まだまだ学び合うことを続けたい。「六月」と中島みゆきを教えてくれた世代から。
2015年6月1日 at 8:58 AMCategory:お知らせ
東芝アジア・パシフィック バングラデシュ事務所が事業を始めるというビジネスニュースの一方で、アジア砒素ネットワーク(ANN)の川原一之さんは「バングラに宮崎の技術と心を伝える」ーおいしくて安全な水をいつまでもーJICA草の根技術協力・「地方行政(ユニオン)による飲料水サービス事業」のレポートの真ん中に「宮崎の心を伝える」をすえている。
知事は、グルメやスポットで観光戦略を広げつつ、草莽の志士たちも愛する郷土とアジアを行き来し活動を続けている。
宮崎の心を伝えるとは多くの水源が破棄される原因として、①必要でない土地に作られた、②工事がずさんですぐに故障する、③利用者が水源の管理に熱心でないことがあげられる。これを克服するためにアジア砒素ネットワークは①計画にもとずく安全な水供給、②住民に喜ばれる水源建設、③維持管理システムづくり、を主な目的とするJICA草の根技術協力「地方行政(ユニオン)による飲料水サービス支援事業」(2011年12月〜2015年5月)をおこなった。目ざしたのは、行政が安全な水供給の計画をつくり、業者は誠意を持って水源を建設し、おいしいと喜んで飲める水を提供された住民が、水源に愛着をもって維持管理をするという「飲料水サービス」の仕組みをつくることだった。この仕組みの中に宮崎の「心」を盛り込みたかったのだ。(2015年5月31日のレポートからⅢを転載)
そして、レポートⅴ番目には宮崎の心(神楽宿のもてなし、土呂久の助け合い)も伝え現地の砒素対策に協力する一方、そこで発展している生物浄化法によるおいしい水づくりを日本で活かす研究(宮崎大学)も進んでいると双方向の国際協力を強調している。
最初にお目にかかったのは、モンクレールテニスコート側のご自宅にボランティア研究集会の柱に立てようとお頼みに伺った時。当時のボランティア協会中心の運営委員会からこの人をの声が上がり、また様々な豊かなコネクションを生かしそれぞれが活動現場から人を集め、それが成功の要因となった。四半世紀も過ぎ、その旗頭はアジアに活動の域を広げ基本には「宮崎の心」を強調している。10年前には我々もバングラに呼んで下さり、福祉系の宮崎の心を伝えることができた。ヤッド&どんこやもまた自立とはと格闘する途上に国際交流の視点で学ぶことを続けている。
さて、レポートにある宮崎の心とは、抜き出せば「もてなしと助け合い」となりけっしててげてげではないようだ。そしてその心と連動するかのような技術、ここでは具体的に宮崎大:水供給技術の開発、砒素中毒の診断、宮崎水道局:水道技術、宮崎公立大:IT技術)とある、を結集した総合的な宮崎の技術と心の伝道師となられておられる。
記録作家というテーマは、わかりやくす道を説くことで成就されている。健康に留意され、我々にもっと宮崎の心についての実践と情報をもたらしていただきたい。
2015年5月30日 at 7:39 AMCategory:お知らせ
80年代初頭から時を戻す。元々迷い犬だったのを近所の老婦人から引き取った「大吉」くんは女性職員から大切に扱われこちらの車に乗り移った。環境の変化の連続に息も荒い柴犬の本能のまま、二度目の出所など理解はしたかどうだか。シートを敷いた車内で帰還が始まった。夏日の白昼なのでウインドウを半開きにして駅前通りクス並木を進んだ。やれやれと思った瞬間、新たな展開が我々に降りかかった。風を受けているうちに路上で飛び出し、リードのままぶら下がる事態に後続車が止まり知らせた。車線を変えず停車して車の後方に回ると、窓から垂れた青いリードと首輪が揺れているだけで、一瞬マジックのように本体は消えていた。便意を感じて駅前の植え込みにしゃがみ込んでいた。観光地の玄関先にである。しかも首輪はすっぽり抜け、自由を得たとばかり、オフィスビル街を揚々と駆け出した。
ラッシュ時ではなかったのが幸いし、後続のバスは迷惑そうに除けてくれ再び路側帯に停め直し、先ずは観光宮崎に落下した保健所支給の餌で形成された便を委任状入れに使った封筒で掴んだ。自信はなかったが、捕獲前に気を落ち着かせるには丁度良い数分の後、通行人の歩行に見え隠れする尾を追い車で追った。
さあ、結末までもう少しかかるのでこの辺で終わる。駅にまつわる話題が、去年の不発弾処理に引き続き起こったわけだ。大吉帰還は中吉という訳。