美味しい活動-新年度総会16日

2015年5月14日 at 8:37 AMCategory:お知らせ

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以前、恒例の総会後のランチを準備してもらった綾のマクロビ弁当、MAMA Chilさんから頂戴したモロッコ胡椒、賞味期限が5/16。
おいしいには、旬と再生があり、その継続がわたしのあなたの活動人生でもある。
活動といえば元祖は活動写真、つまり映画界の夢のビジュアル化、具現化の創造の仕事。なんか遊びに満ちたようで、且つ切磋琢磨の未知の領域。
さて、わたしたちもボランティア「活動」を名乗る一団と取り巻きと、相互扶助の群れである。
そして、ここに34回目の組織更新の総会を迎える。会員総数は100を切らずに推移し、中核の障がい当事の案件は制度の波を見事にサーフィンしながら、各リーダーは施設長や理事長クラスに成功し、まだまだ休みを取るわけにはと専門性を高めている。
母体であった協会は、事務所が当初の五分の一にスリムになって、財政も逼迫し、めまいをしつつも若々しい会長の元、開放型を続けている。
話しが、のびた麺になるので再告知。
16日10:00には、ご出席か、委任状ご提出を。
なお、ランチにも出ていただき、旧交をあたためていただきたい。オードブルはブライトハウス。自前のエンドウご飯とお召し上がり下さい。そして、今年も美味しい活動にしましょうぜー。

松兼功回顧

2015年5月13日 at 6:09 AMCategory:お知らせ

89、90年頃、恒例のオリンピックセンター詣での折、研修後しばしの時間を松兼功と過ごした。参宮橋駅から徒歩でというアクセスをニッポンの諸学習の分野リーダー予備軍は相当数が通った。当時は代々木練兵場付近が64年の東京オリンピック選手村にリニューアル後、体育局の名目の元研修施設として活用されて充分社会教育宿泊施設として活用済みの段階であった。宿泊棟には簡易シャワーが付いていて、ホテル並みとはいかないが、相部屋個室がオリンピック選手数分並んで体躯のアスリート仕様は物珍しくもあり、数年は古びさも乙なものでシンプルな場での熱い研修施設を成した。世界ボランティア会議の関連研修の席で旧交を暖めた私たちは女性とはなれ二人で午後の新宿に繰り出した。彼の下駄はタコゲルゲ仕様のガラガラ・「歩行器」。言語障害から鋭い評論を発するのと同様に、体重をバランス良くアルミのへりに載せて腕組みの格好のまま、下半身でキックしてわずかにスイングしながら練り歩く。名著「お酒はストローで、ラブレターは鼻で」はそれこそ顔面での執筆だったが、取材と称する町歩きはこのガラガラがロシナンテ役。癖っ毛の下からカメラである眼光を放射し、社会の通り人からのリフレクションから人間のものがたりを引き出す作家生活、文人。例えば、階段だらけの駅に当然のように向かい、自然発生的に巻き起こる、手助けを彼流にこう書く。困っていると、カップルが気付いてくれ、彼の方はおんぶしてくれ、彼女は見かけによらずテキパキと器具を上げてくれる。ありがとうという気持ちは伝わり、飛び出す唾も気にせず、デートの続きに去って行った。その後ろ姿には共同で難関を過ぎこした達成感さえオーラを出している。また、またキューピットをしてしまった。あとはあんじょうに。・・・てな具合な脇道にそれかけながらも作家は目的地に向かうのである。ある時は、三重苦に見えてレミゼラブルと勘違いされて、涙まで流した遭遇者もいたが、手助けしてもらったものの、先を急ぐ私はその日はたまのデートに向かうルンルン気分で、悲壮感はその過剰な同情の方だ。それが「時代遅れの涙たち」の作詞に繋がった。しかもヒットした。
 今や、作家作詞家の領域は、アプリ制作者とのコラボまでもに進化して、この前、野海さんに見せてもらったが「はんにゃしんきょう」松兼版として若者の心を打つなど現役で頼もしい。今震災や我が郷土での災禍でもキーワードとなって、みんなを励ましている「絆」は、元祖ボランティア活動テーマソングとして曲が付いてミラクルヒットの作品の題名であり、僕の額に流れる汗にあなたは何を思うでしょうか?生きる力に微笑みますか、同じ時を生きるあなた!感情を削ぎ落とした先に見えて来る希望の光が歌いこまれているのだから、レクイエムでも賛歌でもなく、ブルーズとしてそれぞれの活動家に沁みるのであった。そんな代弁者を我々は得たのだ。
 なんでまた、この総会時期の活動繁茂期に思い出して回顧しているかというと、某施設の理事長席にむかっていたら、三冊の読みかけの本が積んであり、病院院長が連載したエッセイ集2冊とNHKが集めた障がい者の生き方集で、後者に当然のように松兼の名を探し、最初の数行を拾い読みしたのだった。彼の息遣いが饒舌に語り始めた。タイトルは驚き!うんぬんで、彼の手法である、自らを触媒として好反応を巻き起こすことこそが、存在意義という理念をある程度年季の入った目を通した一編のようだ。書店の立ち読みみたいな状況だったので読み耽る訳にもいかず用事を済ませ席を立ったが、数行で意図は、松兼節は読み取れる。彼には実弟がいるのは未知だったが、伝説の母の運転で実家に連れられた弟夫婦から預かった甥との話が伏線として引かれていた。さあ、どんな驚きを三歳児は反応するのかな、彼の人生はこの相手の驚きこそがそれぞれの生きる力を喚起することを究めてきたのであった。即席に早合点するのがこの文の責任者の私の特徴ではあるが、そう結論づけているはず。
 ここで、冒頭の新宿駅へタイムスリップしないと終われない。結論は盲導犬という演劇の大看板の前でそれぞれの帰途に着くまで、彼はガラガラで馴染みのサウナにいくから一杯やって行こう、おごるぜ、宮崎での一宿一飯の義理も返すからという展開であった。もちろん野海さんと同じ、というかえらく感動してビールの飲みっぷりをコピーしたのが野海さん、紀行文旅日記を真似て作家修行で後を追っているのも野海さんというのが本当のところだが。
 余談で、激怒されるのは必至だが、FBで日本福祉大学通信入学の話題があと嬉しい悲鳴を上げている野海さんは名古屋行きののち上京してくる来月の旅を控えている。その真意は、学生生活での福祉探求と本格的失恋体験が待ち受けていても、先駆者松兼功の歩みに続きたいとの意思が大きいのである。そして我々は、まだまだ両人からもたらされる驚き!を仕掛けられている。そして敬意を払うとともに、怖さを超えた驚きというポジティブ到達点を目指す生き方を見習おうではないか!

定例総会への出欠は13日(水)まで

2015年5月10日 at 6:32 PMCategory:お知らせ

出水監事に続き永山昌彦(マッチ)監事にも会計監査をしていただき、資料作りも山場を迎えております。
承認していただく新役員案も継続、新任の理事承諾がまとめられております。
すでに、ふれあいの旅実行委員会もスタートし31回の旅は始まりました。
会計上は、予算立案の上で、委託事業がないまま推移しておりますので会費収入の確保が本命ですが、
会員のお手元に届ける情報誌ふれあいの発行回数減が、会費回収に現れ窮状のまま総会に至りました。
個人会員、グループ会費とも年2,000円を回収した上で、賛助会員、特別賛助会員、活動支援金、10円募金等
に支えられております。
みやざき教育支援協議会との事務所シェアがはじまり、以前にまして人の出入りが増え、協働の現場にも
なりましたので、是非、総会ウィークに限らずお立ち寄りくだされば幸いです。
今週は県ボランティア協会定例総会
5月16日(土)原町2-22 県福祉総合センター本館2階セミナールームⅢ
受付9:30
開会10:00
閉会13:00
駐車場は来訪者用、障がい者スペースへ。
アクセス
宮崎交通原町バス停、橘通5丁目バス停
お問合せは、電話FAX0985-29-2949 Eメールmiyakenvora@kind.ocn.ne.jp

祝!ボランティア米寿となる

2015年5月9日 at 5:44 AMCategory:お知らせ

 今や、V活動それぞれの拠点は拡散しオルブライトホール上階3Fに事務所を得て婦人の消費者運動の一翼を担った消団連も解散。自らの晩年を残された個人活動に費やされていらっしゃるボランティアリーダー出水さんの回顧を傾聴できる幸運を得た。
 思えば、みやざきに根付いた活動は各分野に二分化が成り立っていた層と幅の広いものである。米寿になられる出水(でみず)さんは語られることで清武に生を受け米寿になるまでの自己のメロディを目の前に広げて下さる稀有な表現力の持ち主であることに驚嘆しながら居合わせた数人で戦中から戦後70年の女性史に聴き惚れた。
 男性陣が一歩先に鬼籍に入られたり、進退窮まる晩年になりやすい状況は元気な活動家界では際立つようである。お話からして、あの南京玉簾芸の名人は最近先立たれたご主人様だった。学生ボランティアが嬉々として余興などまでに弟子入りして軽い気持ちで知ったつもりであったが、もっと敬意を持つべきだった旦那様の余生として盛り上がった一面と細かな気遣いを同窓会へ注がれた緻密性が、発揮する場を喪失して行くに連れ認知症へと向かわれたボランティア街道を冷静に語って下さった。そこには、つい一週前に婦人活動の双璧をなした生活学校の矢崎理事から伝え聞いた調査性という活動原理が同じくあったことにも驚かされる。我々の情報をどう使うか以前に、問題解決には先ず、調査ありというのがボランティアのいろはのいであったことを思い知らされる。多分ボランティア2世世代の我々は勝手に先ず動いてみること思い込んだようだ。否、民主主義とともに始まったボランティアは調査し、その問題責務者と対話しという構図があった。我々は何時しか、分析力を欠き和を尊しと成す賢人になりたがったようだ。特に80年代からの経験である新リーダーの私などは当てはまる。
 さて、米寿の出水夫人の日常は、今回の県ボラ協の監事会計監査を昌彦さんと精査していただき感謝だったが、それこそ調査した上でリハビリのデイサービスを受ける自分で選び、ご主人の介護の過程では、ケア・医療サービス事業者へも問いかけを積極的にされ提言で場を改善していかれた。対等性をうたった活動者の面目躍如である。
 そして、同窓会なども解散せざるをえぬ今は、もう一度少女時代からの八十八年の歩みを繰り返し辿られて私史の語り部を上手にして下さった。それも、地元月見ヶ丘でのサロン活動に音楽教師のスキルを注ぐなど団体の長の裃を脱いで楽しまれているからこそである。
 監事をお願いしている関係で、とくに厳しいお顔の印象を感じていた後輩ボランティアの私たちには、もう一夫人としてやさしく接してくださる自由さには、少女の輝きさえ感じさせて下さった。コツコツと社会を変えてこられたそのままにコツコツと自分を快適に維持する体現こそ極意のようだ。小椋佳のメロディが聴こえてくるような米寿のボランティア。それも美空ひばりとのコラボより、さらば青春が似合うと一人語りの聴き手はごちた。
 

「お待たせしました」おはよう!イェーイ!

2015年5月8日 at 7:50 PMCategory:お知らせ

再来週に迫った映画とミニライブの前売り券入荷しました。オハイエ!2上映スケジュール

県ボラと西都

2015年5月7日 at 8:12 AMCategory:お知らせ

働く婦人の家からリサイクル関連の問い合わせがあった。何故か、今や有効利用の夢の島と化している感が強い事務所。車椅子からの発信と双璧を成している生活学校発信の実績が物申せばこうなる。その西都市の婦人拠点には出向いてアドバイスしたいが総会業務に必死な事務局に代わり西都へ出向いた連休末日。目的は、
写真展の講演会。写真展を見て聴いておしゃべりを楽しむ為。結果オーライ。財部ハウスの蛍光灯替えて発車オーライ、道行は古賀総合病院路線那珂から都於郡城址を抜け三宅からパオ。幾分旧妻線コースより直進を。
第2回ふれあいの旅日帰り西都原編で大変お世話になった。飫肥へは貸切ラクダ号で鉄路にこだわり、是非行きたい目的地に西都原が挙がり、ユネスコや青年団の力を借りて大ハイキングとなった。外出機会のなきに等しい在宅の老若男女が選んだコースは今や神話街道メッカとなっている。次年は高千穂までまた鉄路という今や不可能な旅程をよくボランティア力で演出したもんだ。
 さて、講演会は秋のドキュメンタリーフォトフェスティバルに向けての前哨戦の様相で、三人の写真家が会場の声を交えて写真の世界を語った。再三登場した永友啓一郎さんは福祉職OBでもあり、持論として写真家たちへのボランティアですと、今秋招聘する石川文洋展への仕掛け作り真っ最中。ベトナムを取り続けた沖縄の長老へのわくわく感が聴衆にシンクロする。そういえば、創生期の県ボラにも写真展の話が舞い込んで、山形屋ホールでカンボジアから宮大学生が持ち込んだ募金活動となった。JVCなどのつながりを越え一学生が、その頃のベトナム難民の家が西都にあったことなどが反応した結果、当時のカンボジア支援となり、当時の県民もそれならと応えた。そんな記録は連休のヤッド!のネパール支援へとつながっているので、当然ボランティア街道は面白い。80,123円の募金を集めて残務に忙しい江平を訪ねると、マッチ代表理事は帰ったばかりとエンドウ入りの夕飯をぱくつく山之内俊夫さん。そう、彼がアジア車椅子大冒険をしているのを協会に紹介してくれたのが写真家の芥川仁さん。土肥雅郎大親分も初期ネット上でレポートされる旅の情報に感動して応援を要請してきた。まあ、西都から話がずれ始めたのでパオに戻すと、聴衆の中に知人が多く、県NPO支援センター井上優さんはお嬢さん連れ、隣席にははにわ広告事務所萩原宏典氏。彼がデザインして納品した全ボラトレーナーもまだ着ている人は全国にいるかもしれない。そう、ヤッドマークに三人のイラスト。その年のはにわ広告事務所の年賀状のコピーをボランティア活動のキャッチコピーに拝借したのだから、萩原さんは福の神。容姿も福々しい飯野人。
 ただ、パオの通りは休日とはいえ、シャッター街。よく車椅子ごと上がりこんだ喫茶ピカソは早々とまぼろしと消え、楽しみなうどん店までたまの閉店日。しかし、好きなマルハチレコードはやってるみたい。なかったマンションが幾棟か聳え、胎動の時期と思う。なぜならゲームセンターの音が五月蝿くも講演会では白熱の議論が発信され、私も混じりアフターアフタートークの輪ができ、いくら窮屈な空間に消費者を押し込めようとする現場であっても、鬼の岩屋のような穴を穿つ力をひとは持って、それを大事にしているのだから。そのメカニズム共同を車椅子は視ている、声を掛けられる準備もアイドリング中。西都に戻ってそう想う。

回想

2015年5月4日 at 9:12 PMCategory:お知らせ

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回想することで、ルサンチマンに昇華の兆しを。5月24日日曜、午前10:00〜午前11:30
オルブライトホールにて。昨年の台風で聴き逃した方には、チャンス。
電話0985-35-1101、ファックス0985-38-1711、Eメールheartpia@poppy.ocn.ne.jpでの事前の申込が必要です。とのこと(主催者 医療法人ハートピア 細見クリニック)

会員各位 通常総会のお知らせ

2015年5月4日 at 7:08 AMCategory:お知らせ

平成27年度の定例となります総会のご案内を往復葉書で個人会員、団体会員、賛助会員へ送らせていただきました。

日時:平成27年5月16日(土曜日)
受付 9:30 開会 10:00
会場:宮崎県福祉総合センター2階 セミナールームⅢ

議事:平成26年度 事業報告、決算報告、会計監査報告
   平成27年度 事業計画(案)、予算書(案)、役員改選、審議、他

返信面に、出欠、氏名・団体名、連絡先Tel、交通手段/車台数(駐車場確保のため)
     *欠席される方は委任状の提出をお願いします。葉書下部へ記入。

先日の理事会で了承された総会の流れは、先ず、
会長挨拶 辻 利則 〜議事〜12:00には新理事体制を承認後閉会
     総会終了後 交流会(昼食)13:00 終了となっております。

毎年、受付で会費を納入して下さる方々もおられ、会員向けの行事が少ない現状では懐かしい顔が揃う半日なります。
会に入会希望の方も大歓迎ですのでお問い合わせの上、早速新年度総会からボランティアライフをスタートさせましょう。

ネパールCILへの募金活動開始

2015年4月29日 at 4:38 PMCategory:お知らせ

ヤッドみやざきをご存じの皆様へ
BCCで送信しています。重複受信の方にはお詫び申し上げます。

皆さん、お元気でお過ごしのことと思います。ヤッドみやざきの永山です。
ヤッドみやざきを含む九州の自立生活センター(CIL)では昨年からネパール・ポカ
ラにできたCILを応援しています。
今年の正月にはネパール・ポカラのCIL当事者スタッフのヘムさんが山之内事務局長
宅にホームステイし、日本のお正月を楽しみました。
ヤッドみやざきとネパールのCILとの関係が生まれ、深まっていこうとしています。
そんな中、先日、ネパールで大地震が発生し、多くの犠牲者が出ていることは皆さん
ご存知だと思います。
東北大震災の時、障害を持つ人たちの被害は障害のない人たちより大きく、必要とさ
れる支援がなかなか届きませんでした。
インフラの進んでいないネパールでは、日本の比ではなく、障害を持つ人たちを取り
巻く環境は大変な状況が続いていくと思われます。
ネパールの当事者運動を進めるカトマンズとポカラにあるCILは、被災した障がい者
への支援にまい進すると思います。
そこで、私たちも微力ではありますが、ネパールのCILが行う被災障害者への支援を
応援するために募金活動を行う事にしました。
お時間等ございましたら是非、顔を出してください。周知等もお願いします。
・活動日時 5月5日(火)13:30~15:30
・活動場所 山形屋デパート前
・活動内容 募金、チラシ配布
参考:ポタラ宮

真早流直義回顧

2015年4月27日 at 12:50 PMCategory:お知らせ

真早流直義が描いたひこばえ村像は、巨魁でありすぎた。

真早流直義が描いたひこばえ村像は、巨魁でありすぎた。


ひこばえ村は、旧高岡町の飯田、本庄国富の嵐田への峠の登坂口の信号機から降りたところにある。あった。
今も寮として使用されていた2階屋は残っていて、ちょうど新富町のランドマークだった比江島産業ビルが、今も車椅子トイレマークを掲げたまま残されているのと同じような状況。かっての賑わいを偲ぼう。
『鴨は見ていた』は、少年マサルが飛び込んだ清流に桃源郷を想い、行きかがり上できてしまったひこばえ村の成り立ちの記録の出版物である。その続編には隆盛期の村の景色が描かれている。さて、どんなひとだったのであろうか。画業と陶芸の才を資本に石井十次のような展開をされた方と言おうか。また、私たちと共にボランティア界で活動された同志であるとも言いたい。その頃村に出入りする善男善女に混じり季節の宴に誘われて久津良郷の美味美酒を味わい、手土産も何やらお宝を持って清々しい気持ちで10号線を行き来したものだ。美術教職の延長線上に就労と共生の為の新しいきコミューンを実家に創生させたのだった。同郷ということもあり、厚かましく対等に出入りを始めたが、きっかけは友人のわたぼうし仲間の財部豊隆&どんこや創立主要メンバー大西章弘が一時参加していたことが入り口であった。二人のひこばえ記は鴨は見ていたに詳しい。当時の開村したてのひこばえ村は駆け込み寺の様相であった。何しろ、昭和が末期に至る頃というのは、本庄を更に西都に越えようと六ツ野原台地の入り口三名にエデンの園を訪ねるチャンスに、開祖者宮本ファミリー夫人が当時の障がい者処遇環境をリサーチするに座敷牢的現状を余儀なくされていたとの言質を聴いたことが忘れなれない。その閉塞状況からの解放であったのだ当時の福祉は。コロニー構想で出現したのが向陽の里、自前の重度施設エデンの園からは障がい者界のビートルズと言えるグレープフルーツが飛び出して全国に解放のメロディを鳴り響かせた。
 針路を飯田に戻そう。そんな公的にも私家的にも福祉文化が躍進を始めた頃の徒花がひこばえ村。ほどなくその役目を突破してヤマギシズムの方角へと飛んで行ったのだから。粗筋としては、その頃支援者に囲まれ画業、陶芸の道こそといわゆるアートの世界へ先陣を切った真早流直義だった。ハンディはアートの中にとは、記録作家川原一之の命名で日の目を見るが。天の才がアートに開く作家育成こそが福祉が社会に寄与できるとの発想の実践場ひこばえ村。同時進行の音楽に秀でた者達グレープフルーツや私的にコロニーをとのみづよ高原などとニュースに取り上げられ、社会のセーフティネットの構築に賛同は大きなものがあった。一番成果が見られる部門が陶芸ということで、その頃のフリーマーケットにはエデンの器が並んだり、ひこばえからは村長カラーの一品が展示会を開くほどの盛況をみせ順風を受けていたのだが、針路は思わぬ三重県の共同体へと大きく舵を切った。

私は会長と呼ばれる名誉職の立場でも、真剣に仕事を探ったので、いわば、出入りのフリーパスをもらったつもりで直感的に行動に出た。出たとこ勝負であったが見聞は広まりひこばえ村にも村民と親しげに交遊させてもらった。研修会で助言を彼にいただいた。それは、学生ボランティアの相談への否定的とも取れる言葉であった。「そんな気持ちを持つものではないのでは!」とぼそりとつぶやかれるような受け答えであったが、箴言である。その鹿児島で学生ボランティアを充実して活動している彼は、しょうがいしゃ施設に通う内に、どうやら施設の女の子から行為を抱かれているらしき事を、「好きになられたら困るんですが・・。」とのろけぎみに言うた。それを、人を好きになることを、君は何か勘違いしているのではないか、男女間の感情だけが愛というもんではなく、すきになられたり、すきになったりすることを困るなどということがおかしいはずだ。と恋や愛にまだ発展途上の学生をやさしく、しかし、愛の深さをも含めた回答をするりと出して下さった。そんな愛というものの側面を格闘に等しい生と性の場に生ずる大切なものとして考え体験してこられた師でもあられたようだ。

そのころ村では村長の再婚につれ幼い子供も次々にという状況だった。子育て環境の場として共同で育児や生活をというコミューンへの参加となっことは事実である。30代の私にも次々と子供が生まれ、長老の風貌の村長にも次々と生まれた。思い出のエピソードはラジオ番組収録である。当時宮崎放送で地元の知名人のリレー枠があり、お鉢が回って来た。いろんな宴会へ飛び込んでふれあいに旅への寄付を求めていた姿が共感を呼び、当時保険のサンコーをはじめた先輩知人の紹介で蛯原一成の回のゲストにスタジオ収録のマイク前に座した。その時にはバトンを渡す人を決めておかねばならない。逡巡することなく真早流を選び収録日には小一時間インタビューする側になった。覚えているのは、かねてから疑問、当時ボランティアの研修に全国へ出ると「宮沢賢治モデル」が頻繁に出てくるのだが「一体何で?、そんな人宮崎にいるの?、先生教えて?!」というものだった。今でこそエコロジカルで農と芸術を深め地域に根ざす活動家としての賢治像はなるほどボランタリー的評価に値する、いやスーパーマン的であることは識るが、当時は自分の立ち位置さえおぼつかずお節介だがまあ許してもらえる程度の私には究極に問いがあったのだった。
真早流は髭をなでながら、ええ、いますよ、都城のなのはな村にと暗示のように教えてくれて、回が終わり、次週には未知の藤崎芳洋氏が呼ばれ、その後とんでもない人脈へとあみだくじはそれたかどうだか、今はサンデーラジオ大学に引き継がれ長寿番組として評価は揺るぎない。
子育てには相当力が入るものだが、同時進行で二度目の子育てに奮戦した村長は、ヤマギシズムに迎えられた。私はまつぼっくり保育園では運動会で仮装行列の人形姫に扮して生涯最期の女装パフォーマンスを打ち上げることになったり、運営の楽しみは似たことであり、余暇ボランティアの延長上に子供の遊び場創出も手応えを感じながらであったが、聖者の風貌の真早流はそのまま聖地の人として自己改革という試練の場へも参画される道だった。移住後は盛んに物産ともども故郷回帰の機会はあったが、本県での広がりには及ばなかった。
坂本正直の長命の画業が戦地の馬であった静謐さであったに比べ、年下であるにも関わらず真早流の噴火噴流のカンバス、陶芸はエネルギーの噴出が溢れ、許容量も大きかった。戦地体験者と比べてどこでどうバネになるトラウマと感動を得たかは知れないが、ひこばえ村作業所では確かに人間のエネルギー力が噴火していた。それを鴨は見ていた。そう自身で述懐しながら、村は閉じられた。
いつか、ドキュメンタリーを創る機会がスタートすれば、あそこから始めれば良いのだ。そう信じてやまない。