シアターフェスティバル詳報

2015年4月26日 at 10:53 AMCategory:お知らせ


盛大な観客の拍手の中観劇の席を立つと。後方に甲斐祐輔が都城の観客の中で例のでかい眼を光らせて親しげに声をかけてくれた。何やら車のトラブルで後半しか観てないそうで、特に遠路まあるい劇場のために来てくれたふれ旅実行委員のために模様を詳報する。
司会のこふく劇団員男女がトップバッターとして舞台に呼んだのは、先ず自分たち。即興芝居を観せるというので、お題を客席に問うた。指された女性が「きくらげ」と言うものだから混乱は始まり、くじ引きで演出家を当てた歌う女優は、次の女が提供した「くねくね」という擬音を使ったホームドラマをスタートさせた。
目の前で展開するものはすべて即興であるのでスリリングであるが不安感一杯でかたずを飲む15分。このようにして8団体がショートな劇を披露。観客は心地よく疲労を覚えるのである。要所要所の舞台の準備時間に質問があるので、三股の演劇状況、高校演劇界の秋に向けて心意気などがわくわくさせてくれた。印象に残ったのは、小林でも質の高い演劇状況が育まれていることだった。

 さて、都城商業の小気味良い空想カフェに心躍らせ、一社ミュージカル新興クラブのややブラックハートウォーミングドラマに並んで和田祥吾率いるまあるい。
都丸さんという医学生らの尽力でワークショップから派生し、永山智行監督に鍛えられた仲間。パンフには正式プロフィールとして以下。
「みやざき◎まあるい劇場」というのは、障がいの有無、演劇の経験者・未経験者、老若男女の関係なく、誰でも一緒に遊べる場所です。」
前説というのが楽しいものだが、今回は監督さん不在の為こふく女優が原稿を読み上げてスタートした。「ipadよりすごいもの」と紹介されると和田が舞台下ボスペースに上手から登場。電動3台と手押しの計4台の役者たちと大村なつみプラス⭐︎ロボ登場上、仮設舞台での演技ではなくより客席に近い舞台下でのストーリー。
早速、ipadで春の景色を撮影しようとする和田。そこへ大村が狂言回しに登場。二人とも経験は一番積んでいる。今回は野海初まあるい脚本ということで、和田のセリフにも感情移入が自然である。「ipadの機能は助かる。便利なものができたもんだ。こんな風なことができるなら僕は言葉を伝えにくいので、そんな機能があったらなあ」そこで大村、博士を呼ぶ。いつものジャケットとハットスタイルの平野今朝市は黒テープの四角ちょび髭だけで博士に成りきり助手のカオルとのやりとりが巧妙。このカオルは小林からの車椅子女性。大村なつみとの紅二点。舞台上で演技すればもっと小柄の身体から独特のセクシーさも発散させるだろう。博士がipadよりすごいものを創ったので、試運転が和田を実験台に始まる。博士のくだりは、前作全国公演も果たした「奏でる」で吉野由夏が演じたタコ博士のアナグラムで永山監督の脚本講座で鍛えられた野海らしさ。さあ、客演の非常に怪しい⭐︎ロボは出張ヘルパーアヤカの世話にも助力されてたようで、仕事としての⭐︎ロボ役には迫真のものがある。いわば、ヘルパー⭐︎ロボなのだから。しかし、博士の念じたことをスキャンして代行する機能ははなはだやっぱり怪しい。AKB48のなにがしファンを自認する和田だが、その妄想の部分をデフォルメするのが特徴だった。こりゃたまらん!と引いてしまう和田。「太もも太もも」と大声で知らせるわ、カメオ出演みたいな野海の登場には、「カッコイイ!イケメン!」と言わせる。このコクリの手違いがまったりした役者たちの素顔を通して展開する15分。
中程の席におられたご母堂は長男の初作品をどう観られたのだろうか。ちゃっかり土産のあくまきを自宅まで押しかけてゲットした私は問うのを忘れたが、母智丘の隠居農家の生活にはペット家畜が生活劇を繰り広げている大盆地、宮崎にしっかり羽を広げ飛翔する別居の息子の凱旋に安堵したことは間違いない。
つなぎの質問に、手応えを感じたか、まだ振り返れなかったか「次はソーランにも挑戦すると森奈都子が言います」とは和田。脚本を手がけたことを紹介された野海は満面の笑み。
 多分観客の反応は、言葉を伝えられない苦悩をコメディタッチでカミングアウトした演技に賞賛したと思われる。耳障りの良い言葉に騙されず、私が聴き理解する力を発揮する楽しみさえ感じたのでは、一言一句聞き漏らさぬ方が得。英語やらより掴めるではないか、そして演者と同じ方向に歩いていけばいいのだと同じ生活者としての仲間意識も感じ始めている。舞台という装置こそ、以心伝心の鍛錬の場であるという大きなサークルへの思いが持てている幸せ。
さあ、後半はより心を揺るがすステージや高校生時間を演劇に費やす面々の汗光る顔を目に焼き付け、流れとしてはドローン首相官邸にシンクロしたかのSFチックなものが多くて楽しめた。わたしとまわりの関係性を面白く問いかけてくる演劇。その主体に障がいを持つ人が出演することは純文学的でもある。
なお、電動車椅子を荷台に積むのにちょうど良い高さがあったのでスロープと段差を利用させてもらった際手を貸してくださったシェ・ケンさんありがとうございました。デパート前バス停から建物が消えた中町の再起が交流プラザから巻き起こりますよう祈念しております。

ワークショップ回顧

2015年4月24日 at 7:06 AMCategory:お知らせ

 なのはな村で、ワークショップ初体験をした。高崎明さんが勤務する養護学校から生まれたものだった。怪獣になるというのでみんなファンタスティックな魔法の龍みたいにわいわい踊ったが、わたしはおどろおどろしいゴジラを演じてしまった。
 協会30数年の変遷とステージが上がっていった節目には、研究集会と呼ばれる勉強の場が大いに加勢をしてくれた。ふれあいの旅や祭り、リサイクルバザーといったイベントの連続体の間に情報誌発行(何と毎月、近年ほぼ季刊となるまで通算405号)やボランティア講座、諸会員、実行委員会等ニーズへのコーディネート。振り返りや、先進事例の吸収など研究の時間はほとんどないままに、総会ででは頑張りましょうが続いていく訳でいつの間にか体質は硬直化する。せめてものリフレッシュにJYVA主催の全国ボランティア研究集会が2月11日を挟んで代々木オリンピックセンターで恒例化していたのに積極的に参加を募った。
九州ブロックでの集会も初期には大いに機能していたのでもインターバルには、もちろんこぞって参加した。ただ、運営は半端なものではないので、本県では2度開催するにとどまり、やがて、キーパーソン会議と小規模集中リーダー養成へと模様替えする内に霧散した末、本部であった社団の経営倒産に至った。全国集会の方は最期は山形県酒田市で正規に幕を下ろした。育てられたイベントなので日本海に向いてでしばし鎮魂してきた、この国のボランティアの行方に。 
 さて、限られた時間内で、事例発表やテーマを材料に帰って活かす議論を闘わせ、交流会や展示、公演で最新のアジアにまで広げた実践報告を吸収する、そんな濃い内容だから確かに勉強のばとしては最高であった。が、現実の私たちの潜在能力と許容量を遥かに、はや少しだけでもオーバーした事例との齟齬はどうしようもない。アルコールにも轟沈し庭園で倒れるなどもあった。まあ、覚醒させてもらえる一点だけは確保できたが、なかなか知恵と行動力の新芽は出そうになかった。そんな参加者への気づきのアプローチ技法も試行し伝授されもした。それが議論にとどまらないワークショップの登場であった。KJ法は今も主流のようだ。ただファシリテーターの技量により掲示型から最新の加留部さんのJVCC2015の時は、囲む机上一面の模造紙をノート代わりに使い書き込む、吐き出すといったほうが良いかも、という決して型にはまらない進化。そう、型にはまって動けない脳を揺り動かしたり、微動させたりの手を焼かせいわば改心させるのがワークショップ。協会理事会では高齢者介護系の色カルタを理事が持参してアイスブレークなどで会議が充実した内容になることをわからせてくれる。jvcc2013のとき選んだ分科会でクレセントワークスを受講した時には、学習する権利を主張するものでそもそも問題解決リーダーが技量を磨くツールなどではなく、問題を持つ人が解決法を自ら手に入れるためのワークショップの意味を教えられた。部屋の雰囲気や飴、飲料のおもてなしなど、あなたはまだ未知のあなたを変えていく場を持つ機会が当然与えられているのですよとワークショップが包み込んでくれる様なWINWINともWELCOMEともいえるもの。振り返れば国策として国とその時の都合にあわせた人材づくりの連環にはまりすぎた自由度が怪しい先進国の我々。目覚めたはずのボランティアやリーダーさえも脱皮には手間暇がいるのだ。
 とにかく、まだ社会づくりへ協働ができていた頃から、ワークショップは宝の山(えにしや、カタツムリ社発行)なのだった。近年癌との闘病後亡くなられた加藤哲夫さんはその面でも先駆者だった。仙台の自然食品店から発刊された本を手にしたことからワークショップ的な考え方が早いうちに宮崎にも伝染していた。「覚醒のネットワーク」である。アジアの悪魔払いの地域での意義が、わたぼうしコンサートも引き合いに出され覚醒を呼びかけた。多分当時の宮崎の若者は自分の指針として関心をよせたものだ。私は麻原彰晃と安倍晋三と同年なのでそこそこリーダーを取る時にカリスマ性を用いたが、言い成りにするとは真逆の秘めた力を呼び覚ますのがワークショプの意義である。宮崎DARCが近所に出現した時、やっかいな依存症に唯一立ち向かえるのは仲間の存在と辛さと喜びの分かち合いの手法であるミーティングを最中させてもらうことで実体験した。日常を犯罪性と薬物から脱却するためにひたすた心情吐露の時間を最重要にしている様は、ワークショップの中で最高峰である。一方で私の妻が思秋期前に一点を突破できたのが演劇ワークであった。竹内敏晴理論を宮崎でも協会として講師に来ていただいたこともある。身体が既に生き抜くように機能していない、言葉が心から発していない、身体ほぐし、抱え込んだ地獄の蓋を開け放つというハードな内容。一時自己啓発セミナーなどオウムなどの自己高揚型で不具合も出やすいものがあった中、皆「心の中に風が吹いた」と覚醒感をごちた。私は横で奥さんの回復を見て納得しすぎのようだが。ただ、フォローが無ければ、精神科でも治らないものが完治?して立派なリーダー一丁上がりてなわけにはいかない。ボランティア夢想家はそんな超楽観的な所が許されているのかもしれないが。
 とにかく、ワークショップ技法でも使いこなさなければ、そして自分が変われなければ問題は解決しえないことだけは経験知として言える。そう、とっておきのワークショップだと思えるのは、デンマーク流のやはり身体ほぐし系の未知で新鮮なものだった。当時の事務局長るんるんこと西田守がおやこ劇場系の人脈で福岡から招聘した清水満さんのものであった。県体育館の道場を会場にした人と人の関係性に迫る。竹内敏晴では砂の上の出会いがあるらしい。その時、変わったかというと、日常の仕事も心から活き活きとはこなせてない心身だったので、ぎっくり腰になったのだった。その頃から私のこころはギブアップしていた。そんな風に
あなたのベースになるところの整備をまず始めましょうというタイミングでのワークショップは効果がある。

語り部回顧

2015年4月22日 at 5:29 PMCategory:お知らせ

語り部深夜、季節は春の嵐の様相で抜けた天井の下には容赦なく冷気が降りてきて、春蒲団の中で身体は冷えるばかり、馬鹿な男は携帯に夢中で蒲団をすっぽりかぶり止まらぬ鼻水を吸い込みながら一時をまんじりともせずにいた。サーフィンを切り上げておれば良かったものを、未読のメールに手をつけた途端急に胸を締め付けられ・・・。

いっとき、ほうれん荘を会場に語り部教室というのが盛り上がった。講師は歌うボランティア歌姫たちのクイーン日高淳子が宮崎女子短期大学の恩師を連れてきて宮崎わたぼうし会の目玉としてどんこや以前にスタートした。「ストリップも国立劇場で演ずれば芸術だ!君達よトリックスターたれ?」と奈良の地から檄を飛ばしにやって来た、たんぽぽの家のカリスマ播磨靖夫の国内戦略の一つで身体言語障がいをものともせぬ、目立ちたがりの演者たちに昔話等の語りを訓練するというもので、国際戦略同様に宮崎の地でも先駆的な呼応をした。長谷川星児氏ののどかなしゃべりを活かして、西俣実知子さんの表現力を引き出し講師の矢口裕康教授が普段女子学生に課した道場がそのまま飛んできて青葉町の長屋の一角で始まった。私は会員の送迎ができぬ時に車を出したが、当時は青葉陸橋時代で、坂に差しかかる寸前の赤信号でブレーキを踏む荒い運転をしでかし、語り部のおでこをゴツンとフロントにぶち当ててしまったことも。当時はシートベルト着用が?!と言い訳にもならないが語り部はその名の星をピカピカさせたものだった。というような夜間教室そのものが昔話のリズムで毎回続き、しばらくはコンサートの2部で好演を博したものだった。語り部熱も、その後の今度は北九州障がい者ボランティア福祉協会からのふうせんバレー熱へと関心が移り、演者たちの出番は消えてしまった。スポーツの発散への関心が語りの魅力に勝ったのか、舞台そのものへの希求が風前の灯火であるのは福祉の現場でも推進力を持てなかった。
しかし、矢口教室は、知的障がいしゃ部門では仲間の家のオプションとして継続している。昔話のかたりべの役割は今でこそ高評価を受け、図書館の読み聞かせや、高齢者界では、回想法・リハビリとしてのインタビュー聴き書きなど人間の深淵にせまる療法の価値まで範囲は広がってきている。なるほど、寝物語にわざと怖い話をリアルに爺婆から聴く体験は、冒頭のネットサーフィンで身体を冷やす馬鹿に爪の垢を煎じて飲ませる時代的知恵、宝である。昔話の懐の中で聴く残酷な話は、その仮想体験を記憶させ善行悪行の判断の脳系統に正確な倫理的転写をしたのに違いない。話を感情たっぷりにするだけ、聴くだけで成り立つ情緒育成。簡単な事の中に真実は宿るのだ。ニュースは、感情の未発達が原因かもしれぬ事件をそれこそ、興味本位な報道として語るが、自分のこととして語らなければ、いつのまにか感情があっても働きが悪くなっている普通に見える人たちになってはいないか。いざとなって、私は私の感情を語れるのだろうか、ゲームに飽いて聴く姿勢のタイミングに寝物語をすることができるのだろうか。
かって、語り部たちは聴かせる魅力のとりこになって、語り部の訓練を受け、何分割かしたりして、昔話やらを舞台で演じ興じた。壮大な実験だった訳である。10年早められた後期高齢者として老後を迎える現障がい者のうち、語り部経験者たちは文化的に先取りしていたともいえる。
歌うことが好きでうまかった障がい者に甲斐聖二がいる。車椅子のシンガーソングライターは神話的に定着して、目立ちたがり屋の本領は、たけしの医療番組に難手術の被験者として身体をさらすのも良しとした初老の域に達している。今秋、施設生活で第2の故郷である小林市ホールでの凱旋話が舞い込んできたという。二十歳前から描写力を褒められ猫画伯こと斎藤泉との合同二人展は一つの福祉エポックとなった。そんな折に寄贈した百号の絵が補修され某小学校に飾られたことともシンクロして久方ぶりのふるさとのステージが見えてきたと闘病中ながらも声を弾ませていた。そんな彼のMC、歌唱の間の語りが好評であったことは彼もまた語り部の役目を持つ人であることを示す。
誇張していることに気づくか気づかぬかのうちにメッセージは聴き手に届くのである。してよいこととしてはいけないこと。残念ながらネットには、そんな神業じみた力は無いようだ。あるとしたら、悪へのそそのかしは簡単に伝わるようだが。甲斐聖二ショウ舞台で裏方に回るチャンスが幾度かあった私が一番聴いて心したのはこんな彼の語りである。

僕は、未熟児で生まれて、生まれた時に抱き上げた祖母が、こりゃうりんこのごつあるが!と振り返ったこと。つまり、彼が聴かされた昔話は、お前が生まれた時は手のひらに乗るごつちいせかったつよ。まるでうりんこ、うりんぼうのごつかわいらしゅうやったわい。うーんちいさしてかわいかった、かわいかった。とよくばあちゃんが繰り返し話したという。のを私は本人から聴いて妙に理解した、腑に落ちた。今の目立ちたがり屋の誕生時は波乱の幕開けだったのだと。彼はその運命と一生格闘していく身なんだと、だから、普通に付き合えば良いことをその昔話から、おばあちゃんの話は直接聴かなかったが、素直に子どもの聖二が理解できたことと同じようなメカニズムで友達にも伝わったこととして。

さて、今身近に野海靖治さんが水曜日の事務局にメスカの川崎さんと共々いるが、彼は言語障害を持つ。その分日記として協会誌に行動見聞俄かボランティアとの絡みなどを寄稿してくれる。しかし、彼との対話が実に面白い。これもまた、語り部であろう。一言一句正確に読み込まなければなかなかうんと首を振らない。話の組み立てが起承転結、序破急の論法にのっとっているので、誤字の解釈は許されない。自然と流れはどう失敗したかに行きつくのだが、シチュエーションが曖昧ではオチがつかないのである。彼は犯罪者でも、違反者でもないので難解な発音には危険物は含まれないのである。そこの正解がなかなか読み取れないので、悪い方に誤訳すると上半身を乗り出してち、違うと糺す。いやらしく曲解すればはにかみながらも身体を揺すり馬鹿じゃないのと軽蔑してくる。とにかく語り部は警句、アフォリズムを吐きかけてくる。ポジティブである。今は高齢療養の日々を皆に先んじて送る稲垣政安も語りの構成までは熟成しえなかったが、身体言語で売り歩きを果たした傑物であった。どちらかというと語り部に語られる出演者としての生活があった。東北の昔語りの熊や頓知者の登場人物同様、昭和宮崎の語られ部だった。そのエピソードの数々は、是々非々受け取られようが、宮崎の福祉の定点観測であったことは間違いない。百人の候補者のスキルをしてもおとらぬ行動をおこさせるやさしさ引き出し係であり続ける。
机上では私がこの語り部論を、床の畳の間では野海編集長がふれあい5月号の原稿を書き上げた。冷えて飲みやすくなったコーヒーを電動に乗り移り飲み干す。来週火曜日は彼が委員長のふれあいの旅実行委員会がスタートする。
昼食介助のヘルパーを試験的に登用してもらっていたが、制度的に居宅介護制度を外出先までに延ばすことはまだ無理があって辞めざるを得ないと嘆く。したがって昼食後の出勤に今後はなるという。介護保険制度の下、あらゆる普通のご老人も自由を狭められながら、老いと追っかけっこの日々だ。今様昔話には頓智を効かせたポジティブな語り部に生き抜くすべを語らせたい。
来週の理事会開催の知らせに各地各界の理事から返事FAXが届き始めた。役員改選期(任期2年)である。すでにメスカみやざき教育支援協議会との事務所シェアがスタートしている事務局体制から理事会へ情報をボトムアップし、5月総会で会長が今後2017年春までの展望を語り合意形成し新たな船出となる。事務所は確保でき流浪のボランティア団とはならずに奇跡的に継続している前向きさの意味を遠い先の子孫に伝えよう。ニーズが宝に見えてしょうがない懲りない面々ののんびりした日々を社会的問題解決弱者協力絵巻編として。

特報:シアターフェスティバル2015
尚、野海さんが昨年一年かけて創作した脚本がショートプログラムとして今週末の都城ウェルネス交流プラザで上演され、本人も出演する.
シアターフェスティバル「ipadよりすごいもの」と題された劇。14時から旧大丸デパート裏のホールの茶霧茶霧ギャラリーにて
正確には、「君は歌うことができる」が成果だったが、その器量を永山こふく劇場監督に認められてのまあるい劇場座付き作者としてのデビュウのようだ。トイレ介助の際に漏れ聞いたので間違いない。決して誤報ではない!私は観劇に行くしかない。ランチはMJのなのはな食堂だもんね。

いささか疲れモード:Vo.倫太郎

2015年4月15日 at 6:13 PMCategory:お知らせ

住吉
4月1日以来、住吉の渡辺康造さん宅に場所を代えてのシアターミヤザキの時間を楽しんだ。十年数来、声を掛けて下さっている松田俊彦さんとお弁当(ブライトハウス謹製)を囲み、おもに患者歴の談義に加わる。時折しもDr.○○○というドラマが始まるというので、事務所に戻ってから水曜当番の野海さんと隣席のメスカ川崎さんに報告する。例によって頓智が効く野海編集長曰く「倍返しならぬ、罰が当たる!○○○」。
さて、掲示ポスターにも精神保健関連のものが永く多種貼られている。死(想うに、定かに判断を失なう状態)へ到る病気でもあり、三障がいとしてボランティアへの理解も求められる。当事者本人の気持ちを揚げるのは得意とする?が社会への認知力へのアイデアはなかなか湧いてこない。二人とも患者中の中では率先して助け合おうという開かれたパーソナリティーなので対等感が心地よくもある。
松田さんとは数年、康造さんとは十歳年長であるがお二人の病気歴と私の来し方を重ねれば、タイミング良くセーフティネットに掬われた危機が私にも在り、トラウマと過労から病気が進んだ同じ青春期を怒涛のように過ぎ越し、いまだ療養の日々があられる。宮崎では放映が遅れるだろうが、堺雅人は傾聴で治癒への道筋を探る名医を演じる。もちの論、目の前に座したお二人も、効き目のある薬に助けられての試行錯誤はつづくと述懐する。ドラマではこの病理への取り組みも興味深いものがある。
そして、彼らからは我々ボランティアシーンへも一緒に回復の場の模索を提案されている。ずっと。松田さんはかってふれあいの旅の実行委員も体験し、患者仲間への広がりも期待されてきた。ずっと。康造さんは、どんこやの作業に参画している。そんな稀有といっていいお二人とやっと膝を突き合わせて時間を共有する段階へ辿り着いたという訳である。相当お待たせした次第。
またある時は、相乗効果が効きすぎてつい言葉にできずぶん殴ったことさえあった。そんな新たなトラウマまでも加えても付き合ってもらえてるのには感謝している。こちらが内的ビョウキな部分を発する時には受け止めてももらえている。
頻繁な松田さんとの関係を横目で見聞する我が良妻は「もたれあい」とうまいことを言う。
ボランティアを通り越し「もたれあい」段階に至ってしまっているが・・・。
しかし、もたれあっても核心にあるのは、抜け出せないでいる人への想い、塀で取り囲んでいる社会の突破への渇望ははっきりと描けそうな可能性への期待。この感覚は手放してはならない。
ばらけた三人。私はバスで野海さんと川崎さんが仕事する事務所にむかい、二人は住吉支援センターに場所を替えこころのメンテナンスにいそしむこととなり、ピアカウンセリンググループの長友由美さんらに交わった。いわば、ヴォランティア相手にでアイドリングしたのち、自助グループならではのスキルでわかちあいされたということだ。
患者さんケアとしての病院ボランティアという分野は淀川キリスト病院などで歴史的展開をみせてきたことは大阪ボランティア協会50年史にも光るものがあるようだが、他にもホスピスでの活動や小児病棟などもう一度振り返ってみたいものだ。国立東病院Ⅲ病棟にもその刻印は鮮明にあったのを中年層は知る。
さて、4月28日(火)16:30からふれあいの旅実行員会を立ち上げるからと野海実行委員長。光代さんと考え、集まりやすい日曜日開催にも取り組むのだそうだ。増やそう!ボランティアの掛け声は明るい!
さて、おっとり刀で精神保健系Vo.○○○を名乗りはじめの私だが、着地点は知的障がいVoに定めている。やさしく呆けてすんなり溶け込んでいける晩年までは、野海さんらをかかえたり、松田さんらと語らい伸びるなら少しでもスキルを高めようと思う。
今夜のドラマを検索すると愛犬が連れ添うらしい、猫屋敷を名乗る我が家の猫たちとの関係性も大方極まってきている。人間関係なら尚更のことだろう。夫婦も親子も友人も時間をかけてそばに居やすくするものだ。間接的にその役割をボランティアができるのなら、他者との積極性と冷静を磨く場として活動が両方に効くのではないか。そんなやさしさの発露が自然発生する世界でなければ面白くない。わくわくする日常を。

チケット発売します。

2015年4月15日 at 2:51 PMCategory:お知らせ

4月22日~24日から事務所にて発売協力。

4月22日~24日から事務所にて発売協力。


オハイエ2の宮崎市上映分のチケットの販売協力をします。
なお、県内では前日5/21(木)が日向市で、翌日5/23(土)が西都市。扱いチケットは5/22(金)オルブライトホールの宮崎市分。
主催者:宮崎市肢体不自由児父母の会

THANKS!

2015年4月14日 at 2:25 PMCategory:お知らせ

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平成27年度もスタートしはや半月。5月16日(土)には定時総会を予定し、会員の皆様へはふれあい誌5月号を送付にて今年予想図、仔細をお知らせします。
年会費で支えていただいている事に会長以下事務局は感謝し使命を果たす元気とさせていただいております。非会員の市民の皆様、ボランティア同志にも特に、リサイクル品を介して協力していただいております。かって消費者団体系会員が推進したリサイクル運動はコツコツと市民生活をおくることの旗印としての役目を続けております。前々コラムで回顧した野戸事務局長時代に設置された倉庫には、半分は生活学校が牛乳パックを整理し出荷する部署。半分がふれあいの翼事業の遺産が占拠しておりましたが、思い切ってリサイクル品の置き場にしました。これも割り箸(竹以外)を製紙工場に持ち込む会員へ引き渡します。リサイクルといっても考えが必要なのです。一例が飲料缶回収。放置よりリサイクルが度を越した広がりを見せ、プルタブ回収という指に傷がつきそうな余波もありました。製缶業者が対処して一体型へと変わりました、もうわざわざ外す価値はもうないのです。このプルタブ神話は困り物。協会では手馴れた事務局ボランティアがコツコツとアルミとスチルの選別を頑張ってくれますが、磁石で価値ある方のアルミを選ぶ。誰かはその意味を考えないまま切り取る。これは危険なのです。プルタブが捨てられモラル的に回収というのが集めれば役に立つ噂となった訳です。誰だってさせられるボランティアに魅力は感じません。やみくもに収集して、又誰かの手が必要になるのは一先ず卒業して、アイデアを探す活動がトレンドです。
閑話休題。経済循環が悪化する中、社会貢献性も購買を左右します。今月はもう過ぎてしまいましたが、会員団体が恩恵を受け取る黄色いレシートデー。今年もレジ近くに並んだポストがアピールする中、当協会のポストに投入されたレシートが8500円分のチャージをしていただけました。タイミング良く印刷用紙などの事務用品購入として活躍してくれます。何処のどなたか存じませぬがたまたまか、意識していただいてか買い物ついでの一瞬の立ち止まりの行為が「ふれあい」を呼びかける一ページにメタモルフォーゼした訳です。他の団体、協会加入団体も競争で並んで口を開けて待つレシートデー。この企業アイデアもどのように先を行くのか気になります。わくわくもしてきます。行政機関が主な公助と自助が両輪となり福祉が進化し、夢のある社会がゴールであることを信じて。
そして、福祉がより良い文化を生んでゆく可能性こそアイデアを掘り起こしたい。当面足場を福祉に置いて、無償性の可能性が文化化され生命や魂に関わる分野へとそのやりがい感が広がることへと夢想は広がります。レシートを投入してみた誰かが自分もと何かを掴むためにこの企業戦略はあるのだとごちるのです。
なお、公式セレモニーは28日に開催され、当会からは菊永恵子理事が列席し黄色い善意に大きな感謝を。
蛇足だがご近所の宮崎DARCは今年11月22日に薬物依存者からのメッセージフォーラムを開催する。彼女らもポストを構えている同志で協会会員団体でもある。

末次一郎 回顧

2015年4月8日 at 2:17 PMCategory:お知らせ

その人の刻印は、末期に至らしめた病の終焉、ホスピタルと葬祭場に不随活動として在る。しかし小さき体躯が駆けたこの世界には戦いの印が整理され、門を叩く人に答える準備を人生を掛けて済ませておられる。少し読み取り回想してみよう。検索すると随所に時節柄復古イデオロギーがらみのコメントの中に国士としての評価があり、我々地方ボランティア界で見せていたカリスマ的励まし手であった以外に、首相へのアドバイザーなど、父親世代の人としては特異な存在であった。直接に会話がなりたったのは戦友をたよってはとの宮崎在住の方の世間話くらいだった。しかし、奈良の播磨靖夫氏と代々木の末次さんが醸し出す覚醒感は当時三十代の我々には愛と自由をめぐる二つのベクトルとしてリスペクトしきりであった。お二人ともベースには大陸進出をめぐる幼小と青年期の記憶が世界に向いて開けてあられたようだ。そして、ことあるごとに九州のこの地に寄せる想いは、特攻の地へのオマージュを佐賀出身者としても感じられていたのと、播磨氏にとってはこの地の持つ原始ホスピタリティーへの気づきだったようだ。
残念ながら末次氏に関するエピソードはもうこれ以上書きようがない。しかし、長崎県開催の先を越してのボランティア研究集会宮崎の成功の奇跡を語り継ぐ時に、大会でのボランティア意識高揚の番外で戦友とのしばしの回顧と希望の宴をプレゼントできたのではとごちる。昭和から平成へと年号が変わるというこれ以上ない節目に準備され、手塚治虫の訃報を運んで来たようなタイミングで青島の会場に参集した800人が新たな意味を持たせた2月11日の恒例開催日に集い知恵を寄せ合った二泊三日。まさに神話と呼べる集会の頂点にまだ壮健な姿を見せておられた。
しかし、27年前は戦後53年であり、戦後9年生まれくらいの狭間の世代がリーダーをつとめたボランティアVS大消費社会の見えない奮戦時代に体系化ビジョンは個人的にも固まらず、平成7年には初頭に阪神淡路大震災を経て、ここをボランティア元年として活動と非営利が特定化されていくのであった。くにづくりに応分の関与を願い続けるちいさなけれど熱い内発性。他人事なれどアイデアは湧きでる自由度の大きな創造性、鍛えようでは新入社員以上に戦力化できる人材の宝庫、真正総力戦には欠かせぬ制度ありなしのボランティア。一応受け皿としてNPO法制化となっていった経緯で、なお原始性のまま何でもアリのタイプ型ボランティアが堅持されている我が協会などなど。
そんな細かなポリシーの団体へも援助の気持ちを惜しみなく注いだ中央組織の長老としてある意味大戦の贖罪的貢献を働いた国士へのオマージュとしてふって湧いた様なミニ寸評を気まぐれに書きとどめた次第。
施設サービスと私的生活のコラボレーションの一隅に事務所を使う、野海編集長には、5月号への投稿が依頼され、先ほどから簡易畳の上でipad作業が次第に熱を帯びてきている。私の方は新ドラマ「まれ」に浮かれながらも、福祉シーンとボランティアがその自由度の針が振り切れるほどのリビドーをまた、まだこの事務所で湧きたたせながら居るのである。
誰が撒いたかは定かでなくとも、強い意志で織られているボランティアDNAと活動するうちに転写したRNA因子の存在を喜びつつ、新たな発芽と生誕の春を感じながら。
みやざき教育支援協議会メスカと野海個人とみつどもえの事務所にて。水曜日の事務所
                              釈迦誕生の日とされる日に

野戸哲哉回顧

2015年4月2日 at 6:35 AMCategory:お知らせ

その人の刻印は、末期に至らしめた病の終焉、ホスピタルと葬祭場に不随活動として在る。しかし小さき体躯が駆けた宮崎平野随所には戦いの印が整理され、門を叩く人に答える準備を人生を掛けて済ませておられる。少し読み取り回想してみよう。有力な聴き手であったはずの私にマスターキーを授けられているような気がしてならない。そして、関門の一つが現美郷町であり、村所であることは疑う余地が無い。天国の最上に座す長に、証拠が提出され検察官と国選弁護人の質疑が始まるのを傍聴する私は、固唾を飲んで場面を読み取る。そんな証言を確かに聴いた30年前のレコードに針を落としてみよう。
31回目のふれあいの旅の候補地が決められるプロセスには、オブザーバーから助言が欠かせない。南さんという人柄は重宝されている。このことは補助を受けた事業経験の功罪でもある。それは、自らの意思を貫くことの不可能であった人生体験に由来するが、岩盤を突破してきた集団力からすれば認知せざるを得ぬ。まあ選択肢の提供は何でもありだからと。しかし、言いなりに育つ、おりこうさん、優等生路線はダサいというのが、突破力を得た集団の合意であった。つまり細部に渡りオリジナルでなければならないことへのこだわりこそボランティアたちが持ち込んできた大量創造どこでもドアーであった。オレオレにも似た誘惑を果敢に駆使し障がい者教育に挑んだ汎社会な勢力であった。いつも辛口に実行委員会評をここで繰り広げている訳は、統計的に見てもおりこうさんやおじょうさんおぼっちゃんをワンダーランドに連れ出す魅力に取り憑かれたボランティア憲章なるものがまだ揺るぎない可能性を失っていないからだ。この主張は脚色しすぎでも、ご本人は知恩院信仰に厚い方で、その点でも聖書系ベースの方とのバランスが取れていた。美味しい珈琲とくゆらす煙に目を細める時思考に遊ばれていた。

またまた前説に力を入れてしまったが、その人野戸哲哉は、宮田三男事務局長の補佐役という格好の場を得て、宮崎県内で国民保険を地ならしした仕事を今度は自由な立場で補填していきたいとボランティア協会に飛び込んで来られた。まあ、省庁が通達した制度を下ろす立場のお役人が自らの英知を注ぎこみ正義を果たしたいという美談である。まあ、は余計。まあ、と真のジャーナリストを揶揄して雷を落とされ真剣の重みを測る力をつけてもらった経験から言わせてもらえる。
県域にボランティアコミュニケーションを広げるのは、彼が制度準備を説いて担当地を巡回した経緯をなぞるようで楽しかったのだ。きっかけも愉快。彼が選んだボランティア講座は点字点訳であった。業界が歴史的にも存在する視覚障害者への援助は、既に縦割り、派閥といった政治的要素の上に成り立つ。ボランティアはそこに分け入り自由な風を吹き荒らしたわけである、まあ。しかし、会議としては整然と両派閥が肩を並べる議会機能をこの部屋ではしっかり果たせていた。その舵取りが宮田事務局長であった。そんな鉄火場に浪人として飛び込み一目で中枢にスカウトされた訳である。シニアライフの毎日はここに通うのがわくわくだった。
いつしか、車椅子運び専門の私は野戸さんのお抱え運転手役も増えた訳で、公務員研究を走りながらさせてもらえた。いづみの会に秋波をおくるなどと二股かけている訳にはいかず、野戸さんは男道へと指示を出され、入郷地区へ幾度か足を運んだ。その結果ふれあいの旅上米良泊という回が実現した。二度と出来ない経験を残した訳である。しかも重度の人の参加が多くすわ道行かの様相もあり、おまけに近場ならということでわたぼうしコンサートのユニットまで持ち込んでの一大ページェントが繰り広げられた。第3回初の一泊高千穂、2舎分泊の感動も薄らぐほどであった。唯一無比。今の西米良桃源郷観光ブームを予言したかのようなふれあいの旅であった。それはその回きりの幻でもある。あの谷間に響いたコンサート!気合を入れた原田恒夫さん持ち込みの打ち上げ花火!せめてものおもてなしの柚子湯!寸劇白鳥の湖も!めくるめく幻想!あーとため息が出る。
そして、まちづくりの一過性を経て米良の里は双子キャンプ場、ゆたーと、小川作小屋など後進に隆盛をゆだね、元の過疎の鄙にもどって眠りについている。

野戸哲哉物語の刻印を感じさせて止まない。

野戸哲哉物語の刻印を感じさせて止まない。

4月1日辞令交付

2015年4月1日 at 3:49 PMCategory:お知らせ

4月1日辞令交付
新年度が開始した事務局に行くと、ホワイトボードを前にテーブルではメスカの発送作業。手前のテーブルをたたんだスペースには以前、和田祥吾さんが座していたすのこベースの簡易畳の上で、野海委員が初仕事をされている。MiyakenVolのWi-Fiのパスワードを入力できぬまま自力4Gで熱中されている。時折SNSをチェックしながら一人爆笑しつつ。無駄話を持ちかけると待ってましたとばかりに、「延岡」ショートトリップの巻を発表。はしょると、卒業証明添付不備で通信制といえど願書を受け付けられず、慌てた電動男は電車男になり、無我夢中でそこだったはずの母校を訪ねるも、移転後で尚、慌てたという彼らしい顛末。このことはメスカ職員には手に取るように理解してもらえ、延西高校が統合された結果であることに一同納得。宮崎駿を彷彿とさせる方で仕事の手を休めることなくすごい集中力は、学校という怪獣を飼育されてきたキャリアをオーラとして放たれている。頼もしいルームメイトであり、今後協会事業への協働もあり得る。
野海実行委員長としてふれあいの旅も牽引するので、さっそく事務職の光代との打ち合わせも即決。まさに膝を突き合わせての。

という具合に、リアルなネットワークが展開すれば思い込み判断が極力削減され、SNSの利用で瞬時の合意形成も可能な事務局体制の4月幕開けとなった。

April Clever

2015年3月27日 at 8:37 PMCategory:お知らせ

四月の初めに
長友眸先生が他界されたのを知らされたのは、老犬の引き取り手探しの輪からである。点字のエピソードに続くが手話通訳の世界も深遠である。全国大会開催の縁と元事務局長の伊東絹子さんが手話も点訳のスキルも堪能だった関係で出入りが多かった頃にさかのぼる話。当時は同じ部屋に、協会と活動センターが同居していて、さらに明るい社会づくり運動の机もあり寺松勇一さんの東北弁が明るく響いていたボランティアビューロー。初任の山中先生に続き県社協の活動センター部には管理職退職者が出てこられていた。学校教育界からである。アイデアの豊富さでイベントにも盛んに加わって下さっていた方々の中のお一人が長友眸先生だった。多分一匹残された愛犬と暮らすと同じ時期に愛娘さんがアートの世界から手話通訳の専門機関「全通研」でも活躍の場を持たれたようだ。大山さんと呼んだほう通りが良いのが美幸さんであるが、ボランティアから職能へと進化する人材の最古参かもしれぬ彼女が伝えた死と犬であった。
取り急ぎ、お悔やみに神宮西町内へと向かうのだった。これまた最古参わたぼうしの財部豊隆さんからも一報を受けていたが、このわたぼうし会と神宮西界隈は縁が深い。まず、月曜例会の余韻をそのまま運び閉店まで座席を占めるのが許されていたグルッぺ。平和台県知事公舎の真下にあたり、現コンビニ。溜まり場と化した福祉総合センターも閉館時間は厳格で、ガードマンさんに手を合わせても10時くらいの熱が最高潮の頃には乗り合いで初期のファミレスへ再集結したものだった。ご主人が航海中、子供も遊学中というご婦人が家に呼んでもくれたが、そこも神宮西の雲山家。当時は宮大の町であったから行ったことはないがカルテェラタンのような磁場だった。学生運動末期でもあり障害者権利運動の余波で施設を出て紅葉荘一人暮らしを始めた甲斐聖二の部屋は実に多彩な男衆の溜まり場であった。もちろん神宮西。
話が神宮西に集中し始めたが、長年そこで暮らされた長友眸先生の御霊前にご報告がある。先生がボランティアに気遣って下さっていたもう古い時代に少し感じが戻ってまいりましたよ。それは、教職、事務系退職者結成によるNPOメスカさんと事務所シェアが始まります。機器も共用でき、カラーコピーやシュレッダーなど教育現場のプロ集団ならではの様子なんです。そこへ、意を決して電動車椅子ごと野海編集委員が水曜にはヘルパー氏を従え当番にあたります。稲垣政安さんや木曜教室の松浦哲也さんたちを彷彿とされるんぢゃないですか。各地にセンター機能が充実し、住民ぐるみのまちづくりが進みます。ボランティア界も、また一つまた一つと持ち寄りで身の丈の解決を産んでいくことなります。老犬の寿命が一番気にかかることですね。しばし神宮上空から南の原町辺りも俯瞰していてください。ご冥福をお祈りいたします。4月の初めに。