マワリメグリテ

2015年12月27日 at 4:02 PMCategory:お知らせ

宮崎県ボランティア協会周辺も未から申へとアイコンを繋げる師走となった。振り返りをするとともにいくつかエピソードを拾ってみよう。12月開催の理事会には延岡市、都城市の遠方からの松下宏理事、有里泰憲理事も駆けつけて下さり辻会長を始め気分も盛り上がる後半への橋渡しとなった。激夏には疲労から自立生活者の会員2名の入院もあり、気候変動の余波は活動者をも容赦なく襲った。それぞれ、旧名・江南病院へ納宏子さん、宮崎生協病院へ野海靖治編集委員の思わぬ長期入院となった。第31回ふれあいの旅実行委員長として初の鹿屋方面への立案は山崎光代、永廣実行委員へ任せた。同実行委員の主要メンバー坂本夏美のヤッド!自立生活も始まりボランティア・アルバイト募集のチラシも発行された。旅行には三股町の会員大村なつみも参加して、中途障がいの初参加者らにはその元気な様子が刺激と発展し何かせねばとの協会入会ともなったようだ。

協会関連の「あわいや」らがアーティスト「松下太紀」を盛り立てる

協会関連の「あわいや」らがアーティスト「松下太紀」を盛り立てる


 そんな、ふれ旅の元気はその他のイベントにも拡散して行く新年になりそうだ。
さて、ふれあいPSKぴ〜すけとしての会員カードも全会員に配布された。QRコードは携帯電話でも読み取ることができるので、緊急時連絡先の入力を是非完了しておかれたい。マニュアルも提示される予定で準備が進んでいる。その担当者である、城戸氏がメスカ塾講師として事務局に月曜日復帰したので是非問い合わせられたし。
そのメスカ「みやざき教育支援協議会・亀沢克憲、川﨑郁夫氏らが」常駐する事務局を展開しているお陰で、休眠中のNPO法人ネットワークの存在意義が復活することにもなった。ミレニアム当時「四季塾」が活躍し、ワークショップを展開していた機運が新時代に復古した様相であるのも転換期におけるボランティア活動らしい。
日南市を通過したふれあいの旅であったが、飫肥在住の岩切秀樹会員が障がい者外出支援「ジパング」の名乗りをあげたのも頼もしい。
さて、1月11日にはダブルでイベントとなったが、差別解消法タウンミーティングが宮崎市で、遊びでバリアを取り払おうというポスターのイベントが都城市MJホールでと切り口を違えて訴えかける。条例へ当事者の参加をと呼び掛ける2016年の天王山となりそうだ。未年には新安保が声が届かず制定されたが、申年には福祉や教育の声が上がり参加型条例への道を進むということで、ボランティア活力が発揮されることは大いに想定しても良い。

ラジャー去川こども村

2015年12月22日 at 3:55 AMCategory:お知らせ

BASE バステシェカより メリークリスマス

BASE バステシェカより
メリークリスマス

バステシェカより

ジョソールより届いた祝ご生誕祭のツリー

日曜日、メスカの事業「生活貧困世帯支援をITで!eのあります」授業が高岡町去川小(統廃合で指定管理を株・SunGrow)の多目的室で初の野外授業を行った。三ヶ月を経過して10名の生徒を集め、それぞれのニーズに合う個別授業を三教室で展開している。毎日新聞の黒澤記者の取材を県ボランティア協会教室も受け、講師役の公立大生の日野葵さんと2名の女性生徒の講習様子が報道された。その全体版の息抜きイベントとして去川こども村を名乗る日曜教室が3回連続の初回となった。
 協会員へは直前のはがき通知で活動の告知をしたが、ヒット数は一件あり、サプライズで地元選出の参議院議員事務所から問い合わせの前触れがあり、授業前に覗いて行かれた。光栄なことである。とともに、貧困と不登校、ひいてはフリースクールという文言が物語るニッポンの2015年の締めの時期にタイムリーなイベントとしてピカッと点滅を発することができた。
 そして、午後の部のクイズ大会などが終わる頃には、大人も小学生も、女性も男性も程よくバリアから解放されて去川の大銀杏の樹を後にしたのだった。協会教室の生徒二人は風邪用心で欠席となったが、わたしを含めた3人の中高年トリオと受付担当の生駒理事はおおはしゃぎであった。メイン講師は不登校歴理学療法士の塩入好紀氏でお隣の綾町にも不登校当時に度々山口県から連れられてきた縁があり、25名の参加者のほぼ半数は成長した講師を訪ね、後の中学生男子3名、小学生女子1名とその家族らは、前出の株)SunGrowが展開する学遊館恒久に関わりがあるおとなとこども、講師らであった。
 今年、宮崎駅前で出張講座を開催した「不登校新聞」の当事者目線でのイベントのミニ・野外版というところであった。総元締のメスカ・亀沢克憲代表理事は自然の力とITの知恵の融合を何とか形にして、日常の教室兼居場所を構築せねばというミッションを確かなものとされた。
 西米良村所神楽真夜中帰りの私の背をそっと押してくれた理学療法士の手は暖かく、癒しのパワーにすぐ反応するのだった。生徒数は4人、講師は3、4人あとは普通のおとなという一つの群れが半日を聴いて、考えて、食べて、遊んでという時間をシェアしたわけであるが、自分を出すには程良い、距離感があったように思う。
 「なぜ勉強しなければならないのか」というある一人の問いに20数個の回答があった。勉強は正解をひたすら求め合否は人生をも左右するという「バカな」実態を疑うことなく信奉してやまない。勉強はこまった奴だ。元小学校では、風が自由に吹き、近くの大淀川は五月蝿く流れ続け、多分隣の集落の人は今ここで何があっているのかも知らない。しかし、神経衰弱ゲームでおとなもこどももポカをやるたび盛り上がり、景品を欲しがり、当然子どもにはやさしくあり、おとな同士も胸一杯に呼吸をしあった。
 もしかして、このツリーを送ってくれたバングラデシュのグループなんかでは共同体はより弱いものを真ん中において喜びを目指しているのではと、10年前に訪問したことと重ね合わせ想像できる。
 となれば、今のニッポンが探している姿は、過去でもない、よそのアジアでもない、ここからはじめる何かなのではないのかとも思えるのであった。身体が解放された時に感じる風にあふれた良いイベントだった。

コンサートエンパワーメント @ オルブライト

2015年12月15日 at 7:24 AMCategory:お知らせ

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宮市のボランティアの拠点がプラザに移って久しい。年季の入った活動は、ミーティングと情報発信印刷等は3F市民活動センターの諸施設を活用されている。ふれあいの旅の当事者メンバー由夏さんの事務局ボランティアとしての毎週水曜日のワークは管理団体の誰よりも永いらしい。彼女の存在に気づいて何気に挨拶して行く常連さんの数の推移は、そのまま宮市の地盤市民活動の栄枯盛衰をカウントしているのだろう。
ただし、本格的な活動が動き出すのはアフター5なのが常なので、比較的空いたフロアーの様子と事務局運営の結構激動期も見守ってきたと思える。そう、かって宮県のボランティアの拠点に伊東絹子氏が受付に居たように。由夏さんが様々な活動をサポートする面白さを体感したのは若草通のサテライトピアルームの盛況での生徒時代だったと聞いている。ミレニアム寸前当時、突如出現した奇跡的居場所には当事者が居るだけでボランティアが成り立つという現象があった。そこでは、誰もがエンデのモモになれるという磁場があり出逢いと巣立ちが思うままに繰り広げられていた。仕掛け人の社協は、逸材「西村寿一郎」を定年を待たずに喪失もした。
段々とボランティア昔話になり始めたので、要点に戻す。
その、宮市の市民活動のバロメーターであるオルブライトホール、市民プラザから始まりそうな伝説に注目したい。
真剣度、当事者層の関与度ともに濃いレベルの一連のイベントがブレイクしそうな面持ちである。傍観して居る場合では無いようだ。ここにリスペクトを捧げ、告知の一助をさせていただく。第二のわたぼうしムーブメントが立ち上がることに敬意を込め。なお、楠の会のサイトからのコピペであることをお赦しあれ。

宮崎市生目の杜運動公園陸上競技場

2015年12月13日 at 9:07 AMCategory:お知らせ

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12月12日(土)第20回児童養護施設駅伝を観戦。協会の事務所が入る福祉総合センターで熱心に準備がなされていたようなので、現地へと期待してスタンドに立った。持久走の部を走った児童に並び、各施設走者への拍手に加わった。スタンドからは外の周回コースを自転車で先導されタスキをつなぐ様子がマイクでアナウンスされ、トップにも最終 ランナーにも平等な声援が途切れることもなく続いた。苦しさのあまり喘ぎ半泣きで駆ける女の子にはハラハラさせられもしたが、アンツーカーを回る内に、気持ちも落ち着いたようで正気を取り戻しタスキを渡す場面も。
力走のあまり上位組は走り終えると倒れ込む者が続き、抱きかかえるスタッフも真剣であった。
講評で大会会長は、全園長とともにねぎらった後、
5連覇を果たした施設に負けないように来年への希望と冬の楽しいイベントを愉しむことを約束した。

ニート

2015年12月9日 at 6:37 AMCategory:お知らせ

歳末の流行語ランキングはいささか盛り上がりに欠けた。個人一押しは「ドローン」なのだが。
さて、事務所で机を並べる誕生日が同じのメスカK氏とシンポジュウムに出かけた。会場が県庁東の企業局ホールということで考え深く挑んだ。宮崎県NPO活動支援センターの井上優氏からの誘いを受け正月気分の明けやらぬ雨後のひなた県らしい好天下の野外のプログラム有の一日充実したワークショップであった。某社の新車の社会的効用を議論しようという斬新なプロモーションを大手広告代理店が仕掛け、グループで来るべき社会への道を真剣に考え合うとい稀有な参加発信型イベント。テスト走行で駅前通過周回コースを宮崎文化本舗スタッフと乗り合わせ、記録のインタビュウに彼女の方が答え「宮崎市内がなお綺麗に観えたウインドビュウ」との感想は封印したまま。他県からの参加もありこれぞワークショップという醍醐味だった。そして2か月後が3.11。未来は後戻りが未だ停まらない。

さて、私的には61歳になった一日ということで、会場内をしげしげと眺め開会を待った。私らの為だけではないが豪華な生花の飾りが雰囲気をやわらげていた。司会はペコであった。講演者は最近テレビの密着取材を受けたという時の女性。半生を織り交ぜスクールソーシャルワーカー職がいかに学校へ行こう!を実践苦闘しているか、ワンツーワンのひきこもり生徒との義務教育復帰のミッションを「私たちは電車に乗せるまで!」とクールに宮崎県西での仕事の模様を驚きを隠せない聴衆に向かい講演された。お目当ての青木一生氏が登場するディスカッションでは、ニート、ニート予備軍を納税者へ育てるという国の施策が課せられた部分は譲れない雰囲気の中ではあったが、本人たちは欠いているものの印象に残る講演会イベントBY九州コミュニティカレッジであった。

義務教育学校外での教育の場の保障も政権が認可の姿勢ではあるが、学校に企業のノウハウをというビジネス感覚が聖域にも及ぶに至り、ボランタリーシーンでの個人立の塾の歴史もあったことも参考になるはずだと家に帰っても家人と子育て及びグループの歴史を振り返るのであった。講師の大田原という同じ名字の看護学生がいたこと、彼女はひむか村文庫に所属し同世代と混じり合い、宮大生にもサポートされ地域の子供と遊び、婦人グループにもかわいがられそれぞれの思春期を遊びで社会を学んだ。様々な居場所がボランタリーに展開されていた。私塾は大手に取ってかわり、それにつれセーフティーネットの目は粗くなり、しかし学校以外での学びとプラスアルファを求めどこの塾という居場所もあふれかえっているのが目につく。

教育の過剰の中で、ゆっくり育ちたい子どもは途中下車しているのかもしれない。不登校新聞からの引用で、生の声を代弁された県精神保健福祉センターの石川氏は「話を最後まで聴いてくれる」ことが一番安心させられた。というメッセージを紹介。先走りし過ぎる電車に勇敢に再び乗り込む子どもたち、やがて彼らがその電車を走らせる。乗らないままの子どもたちだって朝日をあびる時は近い。あちこちで目覚めはかならず訪れよう。

12/20(日)去川こども村 MESC倶楽部の交流会

12/20(日)去川こども村
MESC倶楽部の交流会

ここで、野海さんの一言。「いっぱい勉強はしなくても良い。」彼は大人になった今、関心と必要のあるエクセルをメスカのアドバイスで勉強を始めた。
さらに二言。「勉強して頭が良くなってもオウムのような人もいるから。」「勉強はしなくて良い。」その眼光のように説得力があるではないか。

活動

2015年12月2日 at 3:32 PMCategory:お知らせ

シンプル・シモン
来年度2016年4月2日(土)~8日(金)国は「世界自閉症啓発デー4/2」および「発達障害啓発週間4/2~4/8」を、社会全体で自閉症等の発達障がいに関する理解の促進を図るため県へも建物のライトアップと広報啓発拡散を呼び掛けている。
ググッてみると、一般公開は終わって、自主上映会やDVD販売で啓発向きに評判の良いスウェーデン映画シンプル・シモン(2011)の上映啓発に知恵を絞るところもみられる。年内は横須賀市、呉市。

 当然、当事者や親たちの社会参加への使命感は、すでに活動となっているようだ。我々ボランティア協会のイベントにも積極的な参加がある。彼らとの旅行は刺激的で、常識にがんじがらめな身体をほぐす体験でもある。ただの行き交う人のあなたへも、ボランティアの気持ちが背中を押し、少々係わりを持ってみれば、人間の不思議と魅力に気づかされること請け合いだ。出来ないことは丁重にお断りすれば良い。仲間になったり誘ったりすれば力強い。やみつきになればいよいよ活動への道に入る事になる。カルトでないことを見極めれば大丈夫。その場でどんな動きを自分がしだすかはお楽しみといったところ。
 一つの活動として形になるためにボランティアは試行錯誤を繰り返す。しかし、ある程度形になり、それが継続するならば、その場は無限の可能性を持つ基地となるが、一つの活動を作り上げていくのは簡単ではない。自分の子供の事が主であるが、範囲を広げ力を結集することで活動が姿を現す親達の奮闘がボランティアシーンでは展開されてきた。やがて育った子供が当事者意識を持ち自立への挑戦を始める。親達への共感から当事者へのリスペクトへとボランティアの視線も角度を上げて行く。普通の成長にも近隣の賢人・他人の示唆が大いにものをいう。障がいのある人にはバリアを越えて加勢の手がかりが伸びてくるものだ。そして、誰かが核になることを引き受ければ、活動への車輪が動き出す。色々と困ることを手助けするだけではなく、活動として成り立てば人員配置や報酬にまで気が回るというものだ。コンスタントに継続を望むのみという場合がほとんどだろうが、NPO法人の場合は雇用を生むという副産物も出てくる。核になる人、または場には、人を呼び寄せるかぐわしいフェロモンが必要である。通常の仕事の場合は賃金がそれにあたると確信されてきたが、モノにあふれた世界では今「こころ」が求められている。自分には無いものに魅かれる。暗い人には明るさ、速すぎる人には落ち着き、満ちすぎる人には飢え、飢える人にはほどほど。
 我々は、生きることと活動がうまく呼吸し合える場をまだまだ開拓しなければならない。

攻撃

2015年11月30日 at 4:30 PMCategory:お知らせ

内海港 宮田三男画時節柄、おだやかではないが、「施設へ行けば!」との心無い言葉にフリーズしたかの電話のやりとりを耳にした奥さん(亥年)がきっぱり「攻撃よ」とつぶやいた。いちいち余計な言葉を吐くご仁には、議論無用・攻撃の姿勢を持つぐらいでないと増々つけ入れられる。強い自立生活の意志を見せておかなければ。
こんなやり取りの後、イナちゃんを思った。「ブバキャア(馬鹿)」が口癖で寄らば斬るぞの体制で、人生の大半は長い杖を器用にあやつりもたれながら突く歩行の達人で、後半生は電動車椅子ライダーに仲間入りした。現在は自宅の隣の老人施設に入居、甥御さんの世話になりならがということで電動も降りられた由。電話口では云云としっかりやり取りをしてくれた。ぴ~すけカードの説明の用件で再会訪問を約束することもできた。
 その彼の姿勢は、まさに攻撃、突破型であった。近所では人気者、やや離れると誤解から恐い人と見られ、行商を生業とし商品とお客相手関係には丁寧な印象を第一とする紳士であった。ただ遠巻きの余計な視線には専守防衛どころではなく攻撃のオーラで寄せ付けない。見事な日常であった。女子高校に通っていた娘の目線には、恐い人では無いという思いが、気づきがあったのが後に、ボランティア協会に出入りする内に輪の中にイナちゃんを見聞し、やっぱり恐くなかったと確認したと述懐するものもあった。
 生まれ育った地域での人生完結まで、ぎりぎりの自宅自立は、もう攻撃する必要もないかもしれない。中年期の身体は筋肉質で細胞ごと野性味を帯びていた。そして、かわいいものへの愛情は妹さん譲りで暖かだった。どんこやに行くと言い出し年齢は若い先輩たちが取り組み始めた紙漉きの和紙材づくりの職人として創造性もキャラクターに加味された。何事も「ブバキャア(馬鹿)」のやり取りで簡潔に完結してしまいがちだったので実は宝石原石の一部しか我々には発見できなかった馬鹿者だったかもしれない。
 しかし、「施設に行けば!」などの虚言を投げられ余計な動揺をしないように、攻撃のイナちゃんの爪の垢は煎じて飲んでみる価値がありそうだ。普通に生きることが天国に等しく、この生活がいとおしければ、魔の誘いには唸りを上げよう。不服従の眼は大事なこと。
パステル画「内海港」作者・宮田三男。1923年生。早期退職後は初期県ボランティア協会の事務局に専念。晩年はパステル画教室で指導にあたる。2007年4月没。

〝こころ”のふれあうフェスタ2015(心)・気象変動複合化

2015年11月26日 at 2:35 PMCategory:お知らせ

宮崎県福祉総合センターの昼休み、気象予報士が歩かれているのを見つけると質問するが、丁寧に応えてくださる。
この気象変動はCO2排出のためだけとは言い切れない。太陽の黒点が消えることで届かぬエネルギー。そもそも自らが調整して巡る気象であるのだが、複合的な影響下にあると言えよう。との深い考察までして下さった。
60年この地で生活してきて、7年間はより都会に住んだが、身についた南国穏やかたおやかな天候は寄る年波のせいとは言えぬ変動しているのを感じざるを得ない。九州山地が風をさえぎり、黒潮は岸に暖かく常に気持ちは南向きだった。
さて、天と連動して明るかった〝こころ”の現実も複合的な変化の影響に左右されているのかもしれない。別に人のふれあいの基本であるこころ通いを天気のせいにする訳ではないが、知らず知らずの内に、生活の心映えを支えていてくれたかもしれぬ天の気が複合的な原因の結果として変動期に入っているとすれば、何らかの影響がこころにもあるのではと解決策を求める方策の一つとして考えてみるのも良い。何の解決策なのかというと、総ての問題解決には実施者のこころと身体という土台のことにも目を向けようよ。〇〇〇には地域おこしやら、人集めやら、お金儲けなど総ての問題とされる難問が並ぶ。そんな問題解決の手法が前時代の会議・教室型を解体したワークショップとして定着してきたが、それにも増して問題は混沌さを帯びている。だから、スピード感とも言われる。つまりは動けない身体は、動けるはずなのに動けてない麻痺やアテトーゼを呈している。ならば、障がいのある人への接し方をわが身にあてはめたらヒントが得られるかもしれぬ連帯の力が登場してくる。かってイデオロギーが格差世界に平等をたいらに成したごとくに。今世紀は自分が心と身体にエネルギーを取り戻し、余剰分は天の変動へ助けとして返上することも可能ではないか。消費から生産、消耗から発生、光合成が有益な酸素を発生させるように、浪費にみえても愛を発するなら種を広げることはできる。誰かの心がすりへり消えてしまわなければ、頑張って天も雲を裂き分け光と雨をふらせ発芽を応援するプロセスの可能性は岩石のように残る。岩石に根をまわし、巨樹が百年の森を作るように、土台がのこれば,,,
ちょうど、野海さんも行くと言っているこころをふれあわせるイベントが告知されている。きっとヒントを掴むことができるだろう。

申(サル)2016

いつもまでもフレッシュな婦人団体が進呈してくださる干支2016「申」{折り紙}へ未から移行


“こころ”のふれあうフェスタ2015
12月6日(日)にUMKスポーツスタジオで、「“こころ”のふれあうフェスタ2015」が開催されます。(10時~15時30分)
★障がいのある方のステージ発表(11:25~12:10)
★障がいのある方の作品展示
★野田あすかさんのピアノ演奏(13:10~13:40)
★講演会(10:00~11:10)「障害者差別解消法について」
★柳田哲志氏による講演会(14:00~15:30)
★その他
 ・ぜんざいのふるまい(無料)
 ・まつぼっくりツリー作り(無料)(午前50名、午後50名)
 ・ふあふあ(エア遊具)(無料)
✳︎お昼(12時~13時頃)に、盲導犬コーナーやボッチャ体験 もあります。
*福祉施設の物品販売や軽食販売もあります。
 皆様、お誘い合わせのうえ、『“こころ”のふれあうフェスタ
 2015』へ是非お越しください❤️

募集2件

2015年11月25日 at 6:25 PMCategory:お知らせ

もう既に一件は解決したので実質1件。人が見つかったと電話があった方は、脚本執筆の精神障がいのある男性の口述筆記ボランティア。二時間ほど会場を貸してくれるところも、お住まいから今度開設される男女共同参画センターの辰身信子さんをおたずねなさいと情報提供。
そして、もう1件は日南市に産声を上げる介護、外出介助ボランティア育成組織「ジパング」のロゴデザインをしてくれる人。日南らしく浜木綿をモチーフにジパングの文字をあしらったものだそう。日南市のボランティアセンターにも団体登録して人を集める機運をロゴで盛り上げたいとは、岩切秀樹さん。
さて、こちらのロゴはご存じだろうか。
内部障がいマーク
野海さんが通う「吹き矢で元気」からの届け物を受け取りに来られた廣志秀月さんのバッグに付けられているもの。
内部障がいへの理解を広めるために付けていらっしゃる。オストミー(ご本人)の他6つの目には見えない内部障がいのある方々が気づきを促すために利用されている。本県でも昨年には、入浴時に下着を着用した温泉が黒川温泉のハンセン氏病患者への配慮が問題化された以来の全国報道(東京新聞)となって、県の患者さんのリーダーである廣志さんは詳しい。特に、トイレの問題には開拓期から係わっておられる。ぴ~すけカードにも積極的に取り組まれている。還暦祝いにオストメイトになったのだと22年の生活、仲間づくりをお聴きした。行政スタッフが先ず理解できる研修の機会を制度化することが目下の取り組み。29名参加の三股町役場でのオストミー研修のような力の入れ方を内部障がいのある人への理解の進展図として持たれている。聴きにくいレベルではなく、トイレにこだわり一つ一つ現実を理想に近づけてきた。野海さんも参加するという防災イベント12月6日生目の杜には、被災地用に準備されているトイレも公表されるという。便器の高さ、三角の土台に取り外し式の手すり、車いす利用者の使い勝手考えられたもの。そして器具を洗浄する備品等、また、痰の吸入と同等の医療行為的なオストメイト生活手助けと被災時のみならず、おいしく食べすっきり出すという大方の日常に較べたらは建物・そのトイレットに装備は極端に少ない。そして多数者の群れにしか目が行っていない消費社会の現実は遅々として改善には動こうとはしていない。都城ジャスコ建設の時に相当交渉したことも懐かしく思い出されるという。もう一つ、日向道の駅の障がい者トイレでは逆に間に合わない段階での意見が通ったこともあるという。野海さんが持つ持論「介助はヘルパーがという困った風潮」のために新たなバリアーが、そこをボランティアの浸透で丁度の社会へと似た課題がありそうだ。それぞれの専門性が常に開かれている、つながりを重要視するものであることは訴えられ続ける。来年度の差別解消法とともなう合理的配慮という言葉の咀嚼はスピード感を持ってボランティア側からも発信したい。たまたまMESCの代表理事から呼称について問われたが、これは自信をもって答えられた。「障がいのある方」という言い回しがすっきりしたのは昔のことではないことも付け加え、どういう言葉を使用すればという疑問を持たれたこと自体にリスペクトを送った。
さて、宮崎ダルクフォーラムは10年の空白を超え、20周年を全国的に祝ってもらい開催された。女性ハウスという看板なので日常のビデオも上映され明るい日常は賛同を呼んだ。誰しも頭脳で考え生きていることには変わりなく、思考にダメージを与える薬物の依存の害は普通の思考では理解できない。しかし誰だってトラウマ影響による脳内のトランス状態に嵌ってしまうことはありうる。その思考が薬物へと手を伸ばすかほかのクリーンな状態での回復を待つかが分かれ目のようだ。講演したProject HEAL (Healing, Empowering, and Living) に長い勤務経歴を持つナンシーセキザワは、そんなどんよりした未覚醒の中に埋没していた車暮らしの男性がロサンジェルスで回復していく過程を支援できたことで依存症者回復の道を確信していると述べ、アメリカ社会でのHIV患者との共生というニッポン社会とは開きのありすぎる状況下からの風を感じさせてくれた。
私も支援者としてスピーチさせてもらえたが。悲惨な私が次々に素のままの自分を取り戻す時に発散するオーラもまたクリーンな覚醒を呼び込むことを知らされたつい最近のことは述べなかったが、そのシーンはこうだった。ビデオでの日常の中に洗車のシーンが出てきたが、それを遠目で目撃したわたしにはみんなでわっしょいとばかりインド象をホースの水で洗っているように見たのだった。気を付けなきゃ我がトランス状態。原因はトラウマ。
クリーンであり続けることが真に生きることだということに気付けた仲間たちは、互いを祝い合った。私はトランス状態がゆえに前日に薬指を怪我した片手ともう片手でイベント的にも成功への拍手を贈ったのだった。

ぴ〜すけカード説明会番外編

2015年11月21日 at 5:21 PMCategory:お知らせ

説明会の後、日南市から来てくれたいわきりひでき氏をもてなすため、4人で近所のカフェに入った。
そこで、ジパングの建国宣言があった。
導線となった今月4日、日南市でのシンポジウムで10分の持ち時間に、自己紹介
脳性麻痺とアテトーゼと呼ばれる不随運動の52年間を説明し、日頃の生活ではネット三昧、アマゾンで買い物という日常も。そして、この前の和田翔吾さんの自立生活を研究しに行ったことを紹介。受けたのは、夕方の安売りを目指す電動車椅子の節約生活。
そして、結構話が受けたので、日頃から考えていた在宅ネットワーク作りをとりあえずFB活用の広がりしたいとカミングアウトしたそうだ。その後の打ち上げ黒木屋吾田店で更に盛り上がりもう、在宅自立生活への勢いは上昇するばかり。
そんな意気込みを4人で共有して、車椅子でも飲みに行ける日南作りをジパングと名付け、始動した次第。
当面は900FBの内の日南仲間を充実させ、300FBの野海さんも呼び出せるようなネットワーク作りをと気勢を挙げた。
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