事務所WEB環境回復
2015年3月5日 at 6:47 PMCategory:お知らせ
2015年3月5日 at 6:47 PMCategory:お知らせ
2015年3月5日 at 1:59 AMCategory:お知らせ
山崎亮さんは社会福祉士を学びはじめると宣言された。ラスキンで完結するデザインを福祉でも山崎流をと他流試合に来た覚悟だった。大きいのが似合う人には、福祉が美しさのレベルまで到達させるプロジェクトに旗揚げする好機でもある。
刺激を持ち帰った300人の参加者を待ち受けるボランティアの野には、春の雑草でも黄色を咲き誇らせている春たけなわである。採蜜家であるコーディネーターにはワクワク感が似合う。
オープニングでこのように投げられた分科会は、二日目へと私たちの脳を回転させる。
今や、ボランティアに手を焼くのは既存の古物な我々だけでなく、地域活動支援センターなどますます、多様性に富み、ノウハウの物々交換やフリマなんか現にイベントは多発しているのだから、深めるチャプター2に入り双互作用も働き掛け合うことは可能なはず、熱を再び、これも加留部式お湯割り方式になろうか。
明日からやろう、5年後にはなりたいコーディネーター像を描くところまでたどり着いて大阪南港から門司を目指すに至った。何度か落書きのように脳から引き出した言葉から行けば、今後宮崎に戻ってやりたいのは、小さな成功を見落としてはいないかを検証する視点を磨くこととあいなった、自ら課すことにした。大きな成功に気を取られ、プロセスの緻密さやデザインの素晴らしさをも見落としてはいまいか、他者、我が身にも宮崎全体にもそんな眼差しで接していきたい死ぬまで、諦めずに、人を信じ、自然にも同様のリスペクトを毎日毎日捧げつつ。
新企画ショートプログラムは、効き目はなかなかあった。
〜ショート2での社協やめ市議の武さんは、政策に課題が上がるのを政治プロセスで翻訳したが、活動家フォローにタイミング合わずミスして無念な事も最近あったといい、近い政治選にも市民が出る準備がある宮崎でも多様性発の提案を議会は包み込む場であってほしい。どこでもドアーを立ち上げた時任博之さん風である。
ショート1。〜AさんBさんにぶつかって行き、自立センターへの仕掛けや協力者を得て成功事例となった岸和田だんじり前日ツアーかんかん場を流れないDVDに手を焼きながらも懸命さが伝わった可愛いママさん社協ウーマン青木さん。次の日雨に打たれる私に街頭で傘をプレゼントしてくれた好漢はなんと家庭で後押ししてくれるとプロフィールにあったご主人であった。なんとかをなす人の生活はそんなありふれた奇跡に満ちているのだ。心配ない。
そして、宗旨解明より詩人であろう、哲学に立ち往生する前に壁を政治やりくり営業展開していこう。
全体をつつみこむ小さい美しさであろう。課題は素材、問題はそのものが答えでヒント。
なるほど、都市や古都には知識の集積があり、経済の血流があることは認め褒めて余りある。しかし、ボランティアや後継づくりには余りある困難な条件もあるやがわかる。
飲酒もあり、再会も知り合いもあった交流会。ドーンセンターの磁場がなす技か、日向市出身で単身赴任先の地で視覚障害サポートをこなす黒木勢一さんは、母校が京都ということでランチ時に供にしている男女との席に加わったが、ヒゲの青年は釜ヶ崎の宿から会場入りという部落研究の、岡本栄一さんをして生まれ変わりやといわしめたとのこと。部落問題があってこそ、いろんな解決につながり、制度の不備も際立つのである。
ひるがえって、宮崎の過疎な生活に危機を煽ることに引かず、喜々として都会風をまねび、波動交流は増して、絶やさずにおればきっと新芽は出る。
一度なりと廃墟と化した、トラウマの上に今の繁栄があるなら、われらみな新芽自身のはず、新芽の持つ力の記憶を持つ。恐れず、食べて生活に専念するのだ。社協職員から市議になった武さんと同じく研究者になった女性のショート分科会の方もなかなか良く、制度が変わる、いや造る制度は、宮崎あたりの方がうまくいくやもとも。
B5分科会の主役3人では、カリスマ町内会長木村さんに幅を持たせての事例をテーブル一杯の模造紙に落書きメモ式に自由筆記させ参加者は知恵を言葉に訳すことに専念できた。
朝来町の副主幹のパワフルさは官僚の迫力で迫るものが有り、き
クロージングでは多文化系、社協系パネラーが筒井女史と漫画さんと絡み合い、もたれ合いながらもトレンドを出し合った。万葉の歌会みたいいに。若者の貧困を見逃せないで福祉を学んだプロフィールの気合いマンは、高卒をクリアさせたい!と指針を掲げ、外国からの移住者ファミリーへの法絡みの支援を広げたい女性は、我々側福祉分野に巻き込まれ当惑しつつ共生が可能な文化の纏いを祈っておられた。
関西圏で生殖する串食系おとなたちは、後継のこどもたちに、まるで子供スタイルの冒険を繰り広げる。
ここのところは、冷や汁南蛮食系の日向じんは模倣したい。
そろそろ、航路から鉄路中津を出る。土産を一つ用意する。
いよいよ制度がボランティア込みで降りて来た。免疫力は付けているつもりだが、させられるなどと悠長な気分は吹っ飛ばされる勢いでねばならない社会に舵を切った我が国は、真剣に提案型協働を旗印し新年度を重ね緊急に社会を再生してくる。カウントされなくなれば、寄せ場の老労働者気分に滅入りかねない。ならば、まず小さいことから、協働の型に慣れていき、たぶん小さいままの方がやりがいも失せぬから、さらに美しき協働にしていけばよろしい。行政の窓口はとっくに、また特区としても開いている、本気で。
宮崎を離れずに、このことに気づき意見交換の場と時に積極的になりましょう。これが案外私の私たちの本気を出すきっかけとなるから、ここの窓口は、地域にもできているし、協力してくれそうなプロ集団のトップは万事会う覚悟はもっている。さらに政治プロも団体プロにも同様なミッションは秘伝され使われたがっている。小ささで、細かさで、頼りなげさでやるしかないですが、いかがなものでしょうか?と手をそっと差し出してみようでは。と。
2015年3月2日 at 1:27 AMCategory:お知らせ
まるで鉄人の様、大阪ボランティア協会
制度のシャワーを否応無しにあびさせられる私たち。セシウムをあびせられた上に。
決して対決姿勢では無いのが、大阪なボランティア運営。CANVAS家賃60万の上にのし掛かる経費、それでも愉しげに11月7日50周年を自ら称える大阪ボランティア協会の軌跡は、動物愛護支援団体のグルーミングイベントに会場提供を身体を張って特例で実現させたエピソードの如く、最期の希望の綱、駆込みなんでも社会の繋ぎ手の伝統は益々輝きを増し、ついウォロを買わされる。
どうやら関西はなんでやねんを研究する磁場のようである。差し当たっては、全国一斉に制度が降りてきて既製品のボランティアが出揃う中、その個体へイキイキを吹き込むコーディネートがニーズと踏まえ、ケース会議手法やらを伝授しながら出版とで廉価販促でやりくりされている。ようだ。
岡本栄一さんも僕も若い頃やってくれんかとこわれて、とよくぞここまでの感がおありのようであった。
11月の式典では、すがすがしい泪がいく筋も多数の眼から滴るのであろう。
ここまでで報告その2
2015年3月1日 at 11:34 PMCategory:お知らせ
東へ西へ散って行ったボランティアコーディネーターたちは、2016年同時期に多分横浜で集結するまでまるまる一年を別れの余韻を糧にして、業務にいそしむ。わたしの新しいファイルに収められた数名は、大阪ボランティア協会職員だが54名の運営委員枠には入らず自由にうごけていた梅田純平さんの顔を筆頭に息づき私の頭の中の細胞に酸素を運んでくれている。次世代を担うボランティアが制度のシャワー浴びる公式にも我々の得意分野、非公式にも若者の通過儀礼の意味合いは尻の蒙古斑の様に人類の本性なる活動をくっきりと刻む。
しょっぱな、コリアセンター・コミュニティーカフェ「ナドゥリ」でであった尹東柱の美しい詩から、真逆の釜ヶ崎の空気を大探検サポートしてくれた森本さんがつぶやくように感じさせてくれたオモロさのシャイさ加減、頭脳が集結してミキサーにかけられた怒涛の分科会、ほんたふの競泳は金槌な私だが奇跡に遊泳して帰還を果たしている。イデオロギーとしてのボラがあるとすれば、反体制、火のついた統治を救うべく姿なき活躍の志士。
声を聴き、なさいと言いたい領袖。やはり、加留部さんのファシリテートは文学の香りに満ちていた。誰もが褒めさやす山崎亮流より
トーンが重層感に溢れ出す真摯さを呼び覚ます。聴くは庁の字体でありユルすなのだそうだ。あの県庁の庁は聴く処なのに本来、あー出がけに聴きに行ったのは正解正解。
ここまでで報告その1。
2015年2月24日 at 8:55 AMCategory:お知らせ
出張日程表
旅立ちの歌が繰り返し流れていた。小室等と六文銭による楽曲は当時がヴォランティア未明であったにもかかわらず社会が息づいていた証人か?1969年には、野海さんやスティーブマックィーン監督が産まれもしている。いよいよ時代の落とし子達が力量を示し始めた今期今週大阪へ向かう。
男女協働参画の担当者からも研修の誘いを受けた本邦きっての研究集会である。迎えてくれる大阪ボランティア協会は早瀬昇さんらの仕掛けが充分で露出度はWEB上でも最高潮に達している模様。定員越えの参加希望者に49番目に滑り込んで抜かりなし。思えばヴォランティア歴の大半は研修参加そのものであった。消失した団体JYVAの名は復興の兆しが聴こえて来ないが、大戦後の焼け跡から生じた中間支援組織JYVAと大ボラは民間ボランティア懇話会を率い今のNPO世界の礎となった。・・・と大九州島のさらに南から熱く思いを馳せていたものだ。阪神淡路大震災後20年の今年3.11を目前にする28、1の二日間の日程に参加する。
言葉が溢れすぎている割には、制度の陰に窮屈な姿勢をとっているボランティア。しかし、老舗の大阪ではまだ、色褪せず息ずくボランタリズムちゅうもんがあるんやろからいちみろかいという訳で細かく計画した。
ハンドブックとしてウォロをめくりながら、案内人ツアーで釜ヶ崎、山王、新世界へのオプションも決めている。宿泊はJT生命誌館のある高槻に取り、船旅で5日間とした。
ボランティアコーディネーター職業に就いたキャリアはないものの在野のコーディネーター、県ボラ理事、こうやって好きこそ物の上手なれのスタッフライターで遊び仕事に専念しているので行かねばならぬのである。つごう4回目の研修で得たものは大きく真剣さに満ちる。東京では立教キャンパスに震災後の統制下の重たい空気を感じ、名古屋淑徳では、カラフルなファシリテーションにリフレッシュ、昨年の栃木白鴎ではドリームマップを作成でき、懸案のホテルボランティアが2022年には完成ということをでっちあげた。
今年の成果も宮崎県のNPOマネジメントアドバイザー会議へ報告するとともに協会へ返して、会員ならびに県民のボランティア気風涵養に応える。同時進行で携わる第19回照葉樹林文化シンポにも通ずる「結束」力と再生へのメカニズムを見識して来る。総ての事物、事柄が再び春を迎えるこの列島を行きて。
では、ふれ旅同様充分に楽しんできまーす。
2015年2月18日 at 6:26 PMCategory:お知らせ
幾分風の冷たさや底冷えにも春の予感が発ちあがり、バス停で南九州の温暖さを語りかける婦人の香水に混じる。集まったシアター・ミヤザキのメンバー松田俊彦さんと渡辺康造さんはバイクライダーなのでそれなりの防寒だが、北窓の事務所は冷える冷える。ブライトハウス住吉から配達された弁当を会食し、映画構想チャプターに手をつけていると、ガラス扉上方の掲示チラシの陰から顔が覗き、苺パックのレジ袋を提げた河野省吾さんが歩いて入って来た。車椅子時代が永く、リーダー役も低いところから丸刈り頭で川南弁をまくす怪人であったので、知ってはいても歩く姿にはあっけにとられる。詳細は、松葉杖姿の外見を気に入らず体調もあって車椅子ライダーとして事務所に日参の日々がかってあった。元々が赤十字青年奉仕団員の縁もあり、児湯地区の福祉研修で放し飼いの公務員落合盛冶さんに結び付けられた高鍋での初対面は鮮烈であった。こだわりの人でもあり、つばさ21事業の参加者つながりが残る代は少ないが仁義は途絶えさせない健さんや文太さんに執拗さを加味した団塊のひとり。
ということで、旧暦暦愛好家として静かなおおつごもり迎えの一日となった。jvcc2015分科会決定通知も届き、2015年へ離陸、さあ。生きて出会って悩み転び年老いて語り尽くすボランティア星座座標。
2015年2月15日 at 9:34 PMCategory:お知らせ
拙宅の玄関ジャンクギャラリーに、展示ぶつが一個増え、生々しい記憶が十数枚ファイリングされた本日、そして県ボラ協会は主要事業ファイナルを完遂した。前々回のドキュメントにプログラムをお知らせしておいた。その振り返りをご参考までに。
圧巻は、二人の電気椅子パフォーマーの渾身の体躯、言語表現であったことは参集者一致であろうが、この多世代同居サロンの賑わいを初体験した街中オアシス感は、トレンドそのものと言えよう。
観光都市のプロキャンプシーズンに沸き返っているものの、大学の町だった昭和に比較すれば灰銀色を選ぶだろうここ中央西地区界隈。政府の改革は元工学部跡地のJAをも巻き込みますます地域自立の下地にあらゆる草の種を蒔く終末感をたたえている。
しかし、新大学に蘇った宮崎公立大學も最新の授業内容の成果物をご近所さまにフルに活躍していただく今回のワークショップをして確実な事例を示した。地域を蘇らす新細胞が本人である私たちの体内胸中に着床し今夜すでに増殖をはじめているではないか。
会食を交え、カルタに興じ、ストレッチを体感と説明の順序は前後するが、身体から取り憑いた徒労感を幾度か払い除けた部位に、スーッと元気は入ってきた。メスカの亀澤さんが流れを読んだ色での感想を求めた時、高齢者を代表するかのようなご婦人は、ためらわず「老人イジメっ!ですわ」と見事に逆襲のスピーチを満面の笑みでしてくれた。とても勇気あるトーンで実にチャーミングな謝辞でもあった。体験感動型授業のクライマックスの色カルタ遊びのあのテーブルの進行は推測しかねるが、わたしのテーブル6人の盛り上がりから想像するに、それぞれの取り札の色は回想に火を付け、一瞬で若葉の頃の香りさえかもし出しはじめたのは間違いないだろう。
イベントの評価基準は、動員力、対費用効果とあろうが、予測される波及効果の点からいってもふれあいぴーすけは成功と発見に満ちていた。そのことがトレンドの証明である。
方程式はこのように分析、まあ私論なので文責は私として。先ず、完璧にバリアを取り除けば、そこに真理が萌芽を出し始める。このことは障がい者を正視すること、つまり野海さんの「知る」を体験したこと。本当のことを知る。知れば自ずと答えを活きれば良い。宗教でも魔術でもサービスでもなく、ひたすら反応を掴む連続体の自分への気づきがあるだけである。
まるで掛け算九九を言える喜びを授業で獲得していったような、慌てなくても充分人生には時間があることさえ知ることとなった。
わたしのレポートはこれだが、多数の参加者には、もっと宝を見つけた方々がいるやも知れぬ。同席した皆さんへ感謝と感動を伝えられる方々も多いと思われる。誰も名残を惜しまず生活にもどって行かれ、爽やかな空間が大學にはあった。
2015年2月12日 at 10:58 PMCategory:お知らせ
4 在宅障害者とボランティアによる「木曜教室」
昭和56年、宮崎県ボランティア協会が設立されてまもなく、障害者教室企画会議が協会内に作られた。在宅障害者の外出要求と創造性を高め、新たな友人関係を構築していき、ボランティアの養成もしていこうと、発足したばかりの宮崎県ボランティア協会の大きな事業の一つとして計画されていった。
この教室は奈良にある財団法人「たんぽ・・・」以下省略。
木曜日は、30年前のボランティア協会にとってはひときわ賑やかな日だった。のだ。
友人関係、つまりトモダチが在宅の障害者にとっては欠くべからざるモノだった。何より外へ出たいという望みを託されたボランティアだった。
今、現在はヘルパーをどう使役できるかが試される自立の時代となっている。ボランティアは暇をもらったようだ。
制度自体はなかなかやりくりが難しいと聴く。あなたは社長です!というデンマーク流生活にはなっていないという。遠慮や我慢賛美の風潮が引かなければ
いつまでたってもワガママな障害者の幻影がバリアとなってしまっている。
木曜日、編集会議は中止だったがフラリと現れた野海さん。同居が始まったメスカ事務局が置いてくれているバングラ紅茶をすすり、ヘルパーとの約束の時間まで街中を探検して帰途につく。もはや木曜教室の役目は終わった。しかし、風のように渡り歩く障害者たちのためにいつも事務所を開けておくのは、重要であることは間違いない。
そして、新たなボランティア始動のきっかけづくりのためにも出来る限り、事務所は開放しておくべきなのは言うまでもない。
2015年2月4日 at 7:13 AMCategory:お知らせ
33年の軌跡の内に、今はわたし達の瞳を通して(現実世界から離れて)見ていて下さる協会関連の方々にもご報告すべき椿事。かっての若者たちも還暦となりました。事務局ボランティア個人連が懸命に呼びかけをして下さり、写真のような面々が当日4人プラス誕生日に当たった古老財部豊隆さんを祝いました。
まだ還暦には早い辻利則会長も盛り上げて下さり、一つの約束が成就した訳です。その約束とは、前席に横たわる納宏子さんらの御礼参り。当時は社会面でも驚きで取り上げられた自立生活障がい者コンビ、友井絹子さんとの二人を祝う会と近年同様に祝う会を持った理事・月曜日事務局ボランティアの菊永恵子さんからの御礼が重なって続いた私的イベントです。
時期が合わさり忘年会の意味も含め、望年会ともキャチコピーした協会至近のホテルマリックス宴会場貸切の豪華なメニュー。名幹事の山崎光代さんは延岡養護学校同窓会を飫肥の若殿岩切秀樹さんと企画したことのある会場で、雰囲気はふれあいの旅、又、ふれあいの翼のような異次元を成し、写真は合成ですが、無事約束は果たされました。伝統になったので、キーパーソン山崎さんの時や辻会長の時へとやっていきたいものです。ただしここでは年齢はオフレコということで。