僕らはみんな掛け出しの段差ー♪

2014年9月3日 at 1:36 AMCategory:お知らせ

ハウステンボス写真はなつかしいハウステンボスだが、いよいよ事前交流会{とき:9月7日受付開始10時、11時より昼食はさみ2時までの3時間。ところ:宮崎市原町2-22、県福祉総合センター1階ふれあいプラザ〜旅行説明、班・ペア編制、ゲーム(まあるい劇場メンバー指導)、サポート研修・介助レッスン他)を直前にした最新の実行委員会の模様。
夏風邪をものともせぬ迫力を感じさせる山崎光代から下見の報告。皆、一足先に佐賀へのバス旅に!想像力を全開にして。
スライドショウを眼で追いながら、現場で直面するであろう段差とトイレ、温泉問題に真剣に聴き入った。私は、途中何度か「何だ!わたしのおんな版ぢゃわー」とチャチャを入れるが、下見で対応して下さったイケメン達の優しさに触れ、既に30回の佐賀への旅はスタートしていた。バリアーな階段を協力により乗り越えた先の秘宝は、宮崎の狭い視野に生活する我々を驚かせ元気をくれるのである。先方の社協の手伝いがある有田焼会場がメインになりそうである。辻ゼミ学生を中心に動く実行委員たちにあと7、8人のボランティアが、特に女性が増えて欲しい!!!!!!!人員構成も発表された。現在53名の参加者。あゆみの里の6人以外にはこの日曜日には事前に会える。その事前交流会までに飛び込みの申し込みがあることを祈りたい。表題にしたのは、山下達郎の名曲。「僕らはみんな掛け出しのダンサー」をもじってみた。段差に立ち向かうとき刻む「セーノ」のリズムは解放感に溢れ、温泉のぬるり感が互いの皮膚を通して身体を温める時、いのちの鼓動が際立つ。是非是非、あと7人のボランティアを!そして、無理のない旅を。
下見のお土産の菓子を頬張りながら、実行委員それぞれがわたしにできることをシュミレーションするのであった。車中ゲームの景品も大分揃ってきた。狭いニッポン、段差の社会、格差も!それを狭いながらも楽しいニッポンにシテイコウデハナイカ!今回は特に、(ダンサー気分の)ボランティアのための旅を力説する野海実行委員長も退院して来てくれた。
学生料金20000円は、財布には痛いかもしれないが。お金だって友だち気分で喜ぶこのチャンス!

アザミの唄・納宏子

2014年8月28日 at 1:51 PMCategory:お知らせ

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ボランティア協会は倉庫を自前で持つ。婦人の消費者団体が牛乳パックリサイクルの整理棚、あと半分は北海道~韓国へのふれあいの翼事業の遺産。その中からシャワーチェアー2台を引っ張り出した。なーんだ田野の学校にご面倒をお掛けした分、解散する頃には、寄附できるほど痛んで無いのである。ただ、歯付座金1枚がソウルのホテルの隅に転がっているはずだが。
いよいよ佐賀の旅も近い。組み立てて、最大の難関である温泉シーンをシュミレーションできるではないか!7日の事前交流会で使用してもらおう。もちろん着衣で。
さて、ここからは、回顧録で「アザミの唄.納宏子」を紹介する。
協会理事で月曜日事務局ボランティア担当の菊永恵子さんの受賞結果発表を待たず楽屋を後にした34回わたぼうしコンサートだったという。
協会とわたぼうしの連携を今も繋ぐ役割を果たしてくださっている納さん。協会初動期、彼女がかけた一本の電話がバタフライ効果となり、数多くの障害のある仲間とボランティア、家族、社会へとふれあいのさざなみが拡散していった。ぼっけもんの条件として人をビックリさせたい精神が必要だが、彼女のちょっといたずら少女感覚はスマートで、永遠のアンなのである。戦中派で長女として生を受けてから、伏しての障害生活はちょうど中年期に差し掛かる折り返し時点で第二の生に胎動をはじめる。もう一度、今度は社会という世界に生まれ落ちるために、握りしめた受話器は、たらい回しの末、29-2949に遂に繋がった。木曜教室を立ち上げたばかりの事務局関係者一同は、俄かに産院のナース体制で彼女の到着を待った。長机に毛布を掛けて寝た姿勢で教室に参加できるように。生後間もない40代の赤子は、それから20、30代くらいの家庭教師ボランティアにも囲まれ、もちろん同世代のおかあちゃん友達もできてドリームカムツルーのお姫様状態に。そんな解放感の躍動をかぼちゃ姫とステージで発表したわたぼうしコンサート。この楽しい家出感覚は共有化せねばと作詞投稿者の集合を呼び掛け、呼応も中途視覚障害の男性、松浦哲也氏らとつるんで開花した。その初回の組織内で得票が多かったのが「つくしんぼうの会」本人の心情からいえば、当然「アザミ」だったのだが。
当時の市民福祉文化シーンは、局アナの東治男氏をわたぼうし会会長に据えダイレクトに波及する勢いがあった。
具体的に新生、納宏子ただ目立ちたがりの夢は、ステージのみにとどまらず実生活にも改革は進んだ。バリアフリー化は、今となっては定年も近いが、バリバリの新人公務員岩浦厚信氏のアフター5の働きで排泄自立の改造、そしてイマセン号上下式電動車椅子の到着にいたった。
月日は流れ、一足先に後期高齢者になり、介護保険法との折り合いも新たな経験、賢母の他界で完全自立。
流石の猛者も、姉妹同居生活の今は、半分はひきこもり半分解放の数奇な人生を振り返り、にんまりと過ごす日々のようだ。
しかし、あざみの野に生きる精神性は彼女の紛れもない望んだとおりの生活。さだまさしや小椋佳の王子の歌に安らぐ静かな生活。
シャワーチェアーのエピソードに戻るが、あざみ姫も海を飛び越えた。
一緒に漢江やらの散策にはつきあえなかったが、まだこの先、何が待ち受けるか?とりあえずは12月7日に関係者大集合の還暦祝い倍返しは目論んでいらっしゃる。そうアザミ姫の白馬の王子様たちも、前髪薄く還暦となった。とほほ

猫の殺処分数減少を県との協働事業で目指してみよう、共に

2014年8月21日 at 3:02 PMCategory:お知らせ

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宮崎県NPOポータルサイトをご参照(という鶴島・県NPO活動支援センターからのおすすめより)すると愛猫家には他人事ではない内容。
かって、「死体運び屋」と朝日新聞地域版日曜コラムに記録作家川原一之氏が紹介記事を書いてくれた私は今や古家で11匹のネコに囲まれ、隣接地区には迷惑をかけている。社会全体を俯瞰する行政としても無軌道に繁殖し、特に衛生面上問題解決を迫られる動物愛護事業に地域と手をとりたいという主旨がわかりやすく示されている。協働が目指すウィンウィンでかつスマートなハンドメイドな地域づくりに手を上げよう!と賛意を送る。
 もう少し、作家の昔話に戻る。その頃送迎ボランティアだった私は、車椅子をたたみ、お姫様だっこや王子様支えで自家用車から昇降したナイスな友達を目的地へと走り降ろしまわった。そんな活動、実は降ろしてからヤンヤとイベントにも混ざるという目的があったから無償でできた訳で、人を掘り下げる作家には私の本質を言い当てる能力があるので、普段は新聞販売の仕事で走る途中、深夜に轢死した猫を埋葬している噂をスクープしたのだった。彼自身も土呂久鉱害訴訟で住友本社前で座り込む闘士だったので義を見てせざるは勇なきなりであって、生きてる仲間はもちろん死んだ猫さえ大事にする変わったわけもんとして描いてくれた。モータリーゼーションの功罪で撥ねたりぶつけたり、怪我を負わせたりの人間模様の中で、実は隠すことのほうが多いのだが賞賛はありがたく受け贖罪も忘れないようにしてきている。いのちそのものに視点を向けるそのうちに、事柄はたいせつに丁寧に扱うか、気持ちだけ寄せて余計な事には手出ししないという心鏡も曇らせないように気をつけるように道は続いてきた。一匹の死体にそうも立ち止まってはいられないので、その場の最良の選択で済ませるが、死体運び屋当時は、わざわざショベル持参で杉林へ埋める行為に奇異さを感じない程、思考が狭かった。多分カルトに走る若者にも似たこころばえだったかも。心理的抑圧との葛藤があったのだろう。狭い正当性で重い蓋を上から載せておくと充満したエネルギーは逃げ場を失い爆発する。そんな大迷惑を繰り返しながら徐々に人間性を会得しつつあった頃を忘れはしない。
 そんなタイミングでボランティア協会の事業中心に行動していった。嫁さんはボランティア365のOG。それまでとの異分野な活動は新鮮で、蓄えてきたエネルギーは存分に無償の世界に放出でき応分の貢献の手応えも決して小さくはなかった。社会が舵を切り替えたので、そのままNPOの世界にも移れた訳で、スタッフライターとして協会の今日を記録している。こうやって。
 話を本題に戻すと行政は段取りをつける!のが仕事で、地域の人を立ち上がらせるため協働を仕掛け、その仕組みをNPOが考え、まだ機運が盛り上がらないので少数者が取り掛かって波及効果までは及ばないのが現状。教育分野が得意とする手法に頼らず、できそうな事に手をつけ始める簡単性から動き出すヒント=いのち。いのちとは、「いのちそのものに視点を向けるそのうちに、事柄はたいせつに丁寧に扱うか、気持ちだけ寄せて余計な事には手出ししないという心鏡」のプロセス指向でいたほうがわかりやすいと今日の私は結論づける。
 動物愛護事業が、核心の人間同士の愛を深める哲学を含むことを願って、本日の作文は終わり。カムサハムニダ。
写真は、協会の湯呑じゃわんに書かれた「日本青年奉仕協会のプログラム一年間ボランティア参加者が陶芸で試作した寄贈品。通称さんろくご、は全国各地に青年協力隊や、森づくり若者事業、同様フルタイムボランティア制度を利用して活動家の卵として育った人々への」オマージュ。

ザ・ボランティア笑・夜明けは地球の笑顔と供に

2014年8月20日 at 11:52 AMCategory:お知らせ

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市街地から海岸線4、5㌔に平行して走る道路に建つ病院に、精神しょうがい手帳を持つT.M氏と同行で野海靖治さんを見舞った。317号室は手前にご老人が臥しておられた。椅子と車椅子を広げ漫談を始めたふたりに眼を細めてくれた入院患者としての実行委員長は、電動という銀翼を失った喪失感写メされた2枚に映った憔悴は抜けたようで、会話中に咳き込む事もない。
気になっていた事にも、スラスラと応答してくれ、イ行の凸音が苦手なところを繰り返して理解させる技も取り戻していた。ラジオ出演前夜に異変の自覚があったので、サンシャインFMへは行けない、欠場をメールで知らせたとのこと。優香のコンサートには代わりに行こうかと意地悪言うと、絢香には絶対行くと打ち消した。この正確なリターンが、勘が戻っている証拠。行動力で蓄えた引き出しの中味もキチンと整理されていて相手に好感をリターンできる。ドクターの回診と、痰の吸入にナースが訪れたが、我々同様自由な応対をされていてストレスを目立たせない病院のポリシーも垣間みた。
お盆入りから俎板の鯉状態であったろうに、今回が自立生活での初入院ではなかったことも幸いしたのだろう。
ブラインド越しには、南の市街地が広がっているが燃える太陽の時間にははばかられる。YAH!DO自立室跡青葉町54番地方面へも視線が届く。その当初、T.M氏が夜の尿意解消のため近いアパートから駆けつけるという場面もあった。そう、初心者マーク同士の路地での激突流血騒ぎなんていうのもYAH!DO時代。二十歳の若い女性と三十路の自立開始男子は自動車と電動で見事に激しすぎる出会いを、一度だけのをやっちゃった。
そんな風に伝説を作ってきた男が45歳の余裕を病室で展開している。
笑顔のドクターの退院の目処の良かったの弾む声に、臨月らしいナースの優しい仕事ぶりに、笑顔で応対する余裕。その余裕が醸し出す笑顔。笑顔が産む更なる余裕。
(写真:横になったままで、眺める夜明けはこんな感じだろう)
我が宮崎では毎朝、太平洋に向かい夜が開け、上機嫌のときは、笑顔の如く空が海空をピンクに染めて笑うしばし。
街へ出る電動が、ボランティア交流で笑顔を運ぶ日々の再開も近い。
60名の笑顔が塊になって佐賀に出かける10月。その予行ももうすぐ9月になれば。
下見の様子の次回実行委員会には復帰してるだろう実行委員長。笑顔をあびたい人は是非。

弱さパワー・野海実行委員長緊急入院に寄せて

2014年8月14日 at 11:26 AMCategory:お知らせ

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咳き込みの激しさに、掛かり付けヘルパーどこドアの幹部に大島通線生協病院にERされたと、火曜日事務局ボランティア生駒氏から一報。さらにふれ旅にも個人参加するヘルパー黒木氏より詳報を聴く。
ところで、春夏秋冬を駅や福祉センターを中継しながら街の散歩を日常とする電動の人を想うに、我らそれぞれの持つ弱い部分こそが光を放つことを考える。弱く汚いと避けていては、とんだチャンスを逃す事になる。たまたま厳寒の駅前交差点で洟をたらし不快そうな氏とでっくわした時、駆け寄って首の手拭で顔をぬぐった時があった。氏はスッキリし、私は現れたハンサムな髭面にうっとりしたものだ。すぐに行き交ったが、わたしの方に美と云うものを識った気づきにごちたものだ。
自身を振り返っても、組織的にもぺーぺーでなさけなさばかりの頃に記憶をもどせば、もがいている自分の姿にこそリスペクトできることに確信を持つ。もーダメです。できません。と演技がかってるかにみえても底の底に近づく事ができると、そこに案外ぼんやりと光が発していて救われてきたものだ。そう、春や秋がゆっくりと自然の安心な成り立ちを操作してくれるが如く。
ベッドに居て、ナースや医師の適度な、もしや過剰な気持ちを込めたケアを受けているだろう野海さん。回復すれば再び街に出て風来坊として好奇心と勇気ある人々と交流を重ね、秋には本番の佐賀へ旅団を率いる。
常識的には情けないことが、ちょっとしたケア交流のきっかけとなることの実験台を認じながら。
もし、咳き込みが収まらぬ電動の人に遭遇することがあったら、気持ちだけでいいのである。少しポジションを整えてあげられれば、尚いいし、気持ちだけでもちろんいいのである。歩道でたたずんでいると、勝手に反対側に連れ去られたというおせっかいボラエピソードは、野海氏のリスペクトする松兼功氏の著書に出て来るし、よく甲斐聖二氏がライブのMCに言うものだ。
写真は、宮崎・国富でも公演して行った北欧のバンドEKO.弱さパワーを炸裂させて帰国して行った。

歴史は西橘通りナイトで作られる

2014年8月12日 at 8:52 AMCategory:お知らせ

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今夏、2回車椅子のシンガーソングライター甲斐聖二氏より無駄話の電話があった。老犬たちとの浅草雷門7階での生活も永い。池さんというボランティア活動家の名が黎明期のみやざき若者福祉シーンでは回顧されるが、元祖・宮崎大学学園生活のメッカ神宮西町に施設/整肢学園〜野菊の里からアパート紅葉荘の一室に舞い降りたのも彼らの尽力ありと聞く。80年代初頭である。同時期評価を受け始めた在宅の猫画家斉藤泉氏との相乗効果で彼の方は写実力を売り物にした二人展の勢いもあり、まだ新進画家の呼び声を受けた若干二十歳前後の脱施設生活の始まりだった。
口先にくわえ歯で固定し脳の指示のまま、あるいは頭と首の微妙な振動をカンバスにぶつけた点描を駆使し、質感までも正確ななぞりは若者の奔放さも明るく表現した。しかし、音楽の虜に若さは傾き、一気に全生活を自身の音楽活動と気晴らしに傾注する自家製自立生活に飛び込み、未だ泳ぎつづけている。
概要は以上のようだが、初回のNHK宮崎放送局の番組化以来、特にUMKテレビ宮崎、上阪後のTV朝日の番組、レポートなど話題に上る存在感の方が、秘めた(公言しすぎ)紅白出演のタレント性は諦め気味だが、先進医療の施術体験として果敢に手術台に乗る医療番組へも顔を出す事で、障がい者自身の発信は続けてくれている。
長い前置きになったが、自立支援法以前、おもに夜の西橘の行きつけのスナックのリラックスでデラックスな福祉放談が当事者主導でどこそこで行われた。元気すぎた者たちが自分で縁を築き、掛かり付けスナックを開拓し、友人を繋ぎ、客を確保する事でホステスらに貢献しながら経済にも参画した時代だった。財源が年金と細々と働き得た賃金を合わせた、(甲斐氏の場合、勘が良く銀鉄球技の報償加算も一時はあったかも)お宝であればなおさら、彼らはボランティアを引き連れ痛快に呑み謳い夢の中に居続けられた。
中置きも程々にして、甲斐氏の電話は、再び手術を東京女子医大で今月中に受ける予定と、手術日が早まったことだった。インターネットで知る旧友たちの様子で消化不良の分を、電話してくるところは術前の心細い心境なのだろう。うまく聴いてあげられなかったかもしれないが、無事と成功を祈ると応えて切り上げた。
写真は、甲斐氏ならずも行きつけの数件の広い時の花紋。松浦哲也さんや東治夫さんとの縁が始まり。当時現役の仲間の家一年間ボランティアや、稲垣政安氏、中村幸広氏などと。背筋が伸びたのが甲斐氏。

ボランティア身の丈論(写真は、第1回ふれあいの旅。飫肥へ大盛況)

2014年8月11日 at 10:15 AMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

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NPO法に参画する前に、協会のビジョンを描くのに「身の丈」にあった現実的歩みをという見識があり、しかしそれを現実に出来ないまま走り抜けた経緯を記憶する。今となっては世の中にも許容範囲というものがあり、そぐわぬものははみ出してしまうという教訓を言われていたのだと良く理解できるのだが、ペースを保つ知恵が回らなかったようだ。数百人規模のふれあいの旅人気もその筆頭なのだ。福祉から世界を変えようと大きく出たのは確かに良かった。しかし、経済発展の力に振り落とされたか、便利さは得たものの、貧困や規格外視される側がちりじりにばらけた自由社会というところまで物語は進んできたようだ。あげくに頼りの経済が破綻中という見識も嘘とは言えないかも。世の中自体が全体の身の丈論に知恵を注がなかったとも。
今、60人規模でそれほど波及効果も目立たないかもしれないが、淡々と実行委員の手で進捗するふれあいの旅は、次年度の募金助成のプレゼンも控えている。まさに身の丈にあったふれ旅をしばらく継続出来ている。母胎のボランティア協会の方は相当スリム化されて事務所維持に徹する。
福祉を変えようビジョンは写真の第1回の飫肥に置き忘れたままに近い。ボランティアは参加する福祉と訳され進展し、災害時の貢献は定番となっているが、目の前の気づきに動く学びの本能的実感は便利さと引き換えに薄れる。それぞれの生活レベルで助け合える自己完結型社会を構築するなら、身の丈を測る心配以前に、どう変身したいかデザインの愉しみを試行錯誤できる。案外、若草通り界隈でもごく一部の若けもんが履いたロンドンブーツなる、所謂下駄があった。そんな奇抜な意思表示が硬質した社会の柔軟許容範囲を広げる。身体をくねらせた電動車椅子の人が行き交う社会づくりの仕舞い込んだままの旗を、ふれ旅の時ぐらいは降りながら佐賀に行こう!

30回ふれあいの旅・メディア情報

2014年8月7日 at 3:27 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

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務所に初めての参加者から友達の申込み用紙も取りに来ると嬉しい電話。ここのところ、台風ばかりなので参加者の襲来は大歓迎!そして、メディアを通じ一番訴えたいところは!ボランティアを増やすこと。人間として生まれたからには、大いに楽しんでボランティアしよう。毎日がどこかでボランティアが生まれている日。障がいのある人がその活動の仕掛け人。さあ、新聞記事で一人のボランティアをゲット、今日8月7日からは、ケーブルTVの番組内でも告知が始まる。下見や広報も猛暑の中動いている。
恒例のラジオ出演も8月12日(火)朝の生。車椅子が3階のスタジオに入るというので紹介者の活動センターのコーディネーターをヤキモキさせたが、トラブルが無ければ活動じゃない!と言い切る実行委員長はじめ場慣れしたメンバーは毎日の生活の楽しさを説くことだろう。おせっかいでも良い。昔はほとんど婚活シーンだったボランティア。下心ありありでもそんな小さな動機から知的に人間は成長する。あと、34人くらいの定員枠のようだ、さあ、申込用紙に手を掛けよう。佐賀で美味しい旅が待っている!そして、メディアやポスターの力にも注目!一番不思議で底力を持つ何かが通じ合うボランティアシーン。

トヨタ「国内助成プログラム」に日向市から発信!

2014年7月26日 at 6:33 PMCategory:お知らせ

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2013年度 年次報告書によると、(宮崎)林 幸広 AOZORA Social Beauty Association さんが、日向市から発信!美容の力を福祉に生かす「AOZORA」プロジェクト キレイで元気に。移動型総合美容サロンを地域に根付かせる という題目で助成を受けている。
大テーマは「人がつながり、地域が動く 活力溢れる地域の実現」に申請しウェブ応募231件から選ばれた。
選後評[中村安秀 選考委員長]の総括には、
地域に暮らす人びとが主体となり、地域の特性を踏まえ、多様な人びとや団体が協力し、地域に根ざした持続的かつ具体的なはたらきかけを可能にする仕組みづくりが重要です。地域の自助・自立を促す、さまざまな人びとが共に生きる地域社会の実現を目指す、地域社会を支える人材を育み地域の持続可能性を高める、といったイメージを提示しました。 と呼び掛けたとある。その中の20件に選考された。

日本ボランティア学会 ひとまずの閉会 未完の可能性

2014年7月24日 at 5:12 PMCategory:お知らせ

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「私はもっとボランティアを増やしたい。今は、ヘルパーの時代だから」野海実行委員長より
播磨靖夫さんからのわたぼうしコンサートを超えた提案「ネットワーキング」も、ひとまず辞め!2014盛夏。

以下、掉尾を飾るイベント案内をコピペ。

トークセッション

市民知は科学されたのか:日本ボランティア学会 未完の可能性

日本ボランティア学会は、「経験知の科学」「市民主体の研究」「知と実践の関係づくり」の3つを柱に15年余り活動してきました。また毎年開催される研究大会はさまざまな地域でユニークな活動をされている方々に支えられて行われてきました。

このたび、ひとまずの閉会を迎えるにあたり、設立当時めざしたことはどれだけ実現し、いかなる知が紡がれたのかを振り返り、<今・ここ>の先に一歩を踏み出すための目標とネットワーキングのあり方を探ります。

あなたにとって日本ボランティア学会とは何だったのか、そして日本ボランティア学会の先にあるものに何を期待するのかを語り合いに、ぜひお集まりください。
会期2014年7月27日(日)会場立教大学池袋キャンパス太刀川記念館3階ホール(アクセスマップを開く)プログラム 13:00-17:10日本ボランティア学会のこれまでとこれからを語り合うトークセッション
市民知は科学されたのか:日本ボランティア学会 未完の可能性

Part1 発起人による語り:日本ボランティア学会とは

基調講演(栗原 彬)
発起人おおいに語る(播磨靖夫・岡本栄一)コーディネーター:中村陽一

Part2 車座トーク:日本ボランティア学会のこれから

過去の大会開催地から、ボランティア学会に寄せる思い、今後への提案 等
コーディネーター:川中大輔

まとめにかえて
栗原 彬(日本ボランティア学会代表) 18:00
交流会

会場:隆昌園(立教大学から徒歩3分 当日ご案内します)
参加費:2,000円
※希望者のみ
資料代500円(当日受付にて申し受けます)参加申込
トークセッションに先立ち、同会場にて総会を開催します
12:00-12:45
総会
(議題) 1.2013年度事業報告・決算案について
2.日本ボランティア学会の解散(会員組織としての日本ボランティア学会の閉会)について
3.今後の進め方について
※オブザーバー参加可
※総会の議案は2014年3月現在に日本ボランティア学会に在籍する個人会員(一般/学生)および賛助会員により議決されます

(注)第17回日本ボランティア学習学会は学会の会場予定の宮崎公立大学で今秋開催されます。