EXPOSED アート展覧会

2015年11月16日 at 5:29 PMCategory:お知らせ

【会場】UMKギャラリー

【会場】UMKギャラリー


11月19日(木)→23日(月・祝)午前10時→午後4時
入場無料
会場住所 UMK本社内 宮崎県宮崎市祇園2丁目78番地
〔主催〕ひだまり 080-4280-7513

アーティスト紹介
雨宮コウ 詩人。画家。中卒
藤咲咲弥 宮崎青年・成人発達障害当事者会 shikibu、
宮崎成人発達自助クローバー会の代表としてあちこちで活動中。
仕事に活動に忙しい中、自由気ままに塗りつぶした作品をチラッとでいいので見ていただけると嬉しいです。
kanata:写真歴 3年。主に風景撮影が好きで、宮崎県内の様々な自然風景を撮影しています。
写真を通して、何かを伝えられたらと思っています。
shima:会議中など、集中しすぎて疲れてしまうことを防ぐため、
落書きをしながら話を聞くことがあります。
そこで生まれた作品たちです。
落書きをしていた方が、会議の内容もよく頭に入ります。
発達障害者のちょっと不思議な生態を、認めてもらえればうれしいです。
特徴:発達障害。二次障害・・・摂食障害・うつ病・強迫神経症など。
現在は主に当事者活動をしています。

平成27年度グリーンコープみやざき福祉活動組合員基金助成事業

勤労感謝の日の次はボランティア感謝の日!

2015年11月13日 at 10:02 PMCategory:お知らせ

今月の23日(月)は、宮崎DARC(ダルク)の20周年フォーラムが宮崎市福祉保健センター視聴覚室で開催される。ポスターも綺麗な出来栄えで、創設者河野俊男氏の亡き後の真っさらな女子たちの懸命な生き様を祝い、自分のこととしても祝うとともに、大麻、薬物への学びとして注目している。若干お手伝いもさせて頂く。

さて、勤労感謝の日ということで祝日開館する宮崎県立美術館県民ギャラリーⅠ、Ⅱでは、
翌日が休館日。そして25日(水)より
宮崎ドリームアート作品展(第1回)と第16回ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎が揃い踏みする。

多分、「久しぶり〜!」の声が飛び交うだろう両方のイベント関係者たちは、宮崎のボランタリーシーンでは馴染みのある方々のはずだ。瑛九を頂点とする宮崎アートの写真分野で活躍する群落には有障者アートを支援する方々も多く、その分布は
若山牧水のみならず文学、俳諧の系譜、また今年のオペラ鬼八の再演等と音楽界とも多層に重複する人間模様も見え隠れしている。

勿論、プロが勤労として作り上げる芸術は地産されてはいないので、いわば、ボランティアが文化をそこそこに担っているという解釈は失礼をかえりみず、リスペクトとして宮崎アートのボランタリー度を想い慕い愛する。だから、勤労感謝の日の次にアート展が展開する日はボランティア感謝の日なのだと思う。

ドリームアートを手がけるSさんもドキュメンタリーフォトの事務局長の永友さんも県で働きながらもアートの重要性を仕事と両立させ思い手仕事としてコツコツ継続されリタイア後には益々本格的にボランティアされていらっしゃる。

アートほどボランティアの熱い気持ちが支えになっている現象はないのでは・・・。我々は福祉的なことに熱いのと同じ。

そして、それぞれが満足を目指す、それは若干より威勢の良いスポーツ界でも応援を含めた盛り上がりしかり。無数のボランティアが支えている。

ということは、何らかの影響でボランティアが消えてしまったら、地方文化スポーツとも成り立たないのは必定なのだ。

あまり大きな声では言えないが、本家ボランティアの我々シーンでは少子化と似た減少化は確かにある。虚無感がおおいつくす日が来るのかもしれない。それは年老いたつぶやきと幻想であってほしい。実際何か始めよう!まだまだ続けようという人たちの活動こそが空白を埋めている。その場その場での出会いと感動が伝染していくメカニズムは不変。おおいにイベントたちを楽しみ、ボランティアたちに感謝する日としよう。

以下、ギャラリーArtSpace色空ホームページ 狩集武志写真展「諸塚神楽百彩」11・17〜29(24休み)
関連写真展のサイトをコピーさせていただきました。川添和良氏に感謝いたします。

* 第16回ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎について
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◆『石川文洋写真展 -ベトナム戦争と沖縄の基地-』

2015.11/25(水)─11/29(日)
宮崎県立美術館県民ギャラリーII
◆『石川文洋 講演会』

2015.11/25(水) 14:00-16:00
宮崎県立美術館アートホール・入場無料
◆『小林順一写真教室』

2015.11/29(日) 10:00-16:00
アートスペース色空 1F
◆『宮崎県高等学校総合文化祭写真部優秀作品展』

2015.11/20(金)─11/27(金)
宮日会館1F イベントプラザ・入場無料
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詳細はこちら

障がい者差別解消法

2015年11月11日 at 3:22 PMCategory:お知らせ

盛んに議論されている模様の、障がい者差別解消法施行と我が地域・日本のひなた宮崎県。
我々はボランティアとして失敗を段に足がかりし、階段をスロープ・エレベーターへと常に状況の変化に大きな関心を持ち続けて今・2011NPO元年と言われる第2次震災行動年を経てイマニイタッテいる。実際はハートビル法などの法整備でモノは出来上がる。そして、その端緒や実験段階ではボランティアレベルでの調査や遊び仕事も大いに後押ししてきた。
さて、本日、宮崎市自立支援協議会・障害者差別解消法促進プロジェクト第5回会議が開催されていたので、当協会監事である永山昌彦氏に概略を説明していただいた。

ぶしつけだが、わたしのような勝手にお節介ボラは罰せらるっちゃねどかいと?聴くと心配せんで!事業所への提言であって個人へというわけじゃね。と笑って安心させてくれた。来年に向けて県が議会に議案を上げるのだそうだ。
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12月にはパブリックコメント募集予定とあるので、ボランティア中に気づいた差別な事例を思い出しておこうっと。
そして、何よりボランティア協会も事業所として合理的配慮とはどんなことなのか周知しておかねば。

すでに、宮崎大学教育文化部専門教育入門セミナーでは、どう理解を深めるかが講義で取り上げられている最中。
そして、宮崎工業高校インテリア科 部活動では、永山氏らの要請に応え、早くも11月末の完成を目指しPR媒体 ポスター
の作製もあるようだ。

2016年4月とは言わず、今からでも解消されるためのアクションをボランティアとしては肝に命じておこうではないか。
もっと積極的に声掛けをと言ったところか。
永山氏は、かって
米国旅行で、その場で老人からメイアイヘルピューと声掛けられ、気持ちが楽になったと報告してくれた。
そうだ、ボランティア的に、声掛けからこの法の施行に賛同していこう。

ストリートウォッチング

2015年11月9日 at 3:15 PMCategory:お知らせ

11月4日(水)8:15西池小学校を出発した児童たちは10:40には体育館に帰着した。それから手元の地図に気づいた危険箇所をメモした結果を今度は大地図に色分けしたシール(交通・地震津波・台風洪水・自由)で付箋を付け手作りの防災マップを完成させた。それが、学校教育の一環で取り組まれているストリートウォッチングである。

ふれあいの旅で燃え尽きたかに見えた山崎光代が担当の旅行直後の県ボランティア協会関連事業でもある。
ここでの役割は、鈴木健太郎・財部豊隆・渡辺純子・和田祥吾が地域の方、障がいのある方が一緒に行動するというシチュエーションへの協会メンバーの配置である。
公立大も福祉総合センターもまた居住者であるここ中央西地区。全体の集合場所文化公園をスタートして立ち寄る先はグループごとに交流センター・消防署・ボランティアセンター・デイサービス・保健所・スーパー・劇場・銀行とある。
streetwatching
常連となったメンバーにはひそかに心待ちにしている好々爺もいる。お楽しみのクイズも盛り込んであり、通行の人や車への配慮も厳守とマニュアルにはある。
改めて、地形を知り、危険個所の発見にも繋がるという防災意識のための授業に協力しながら童心にも戻るという寄り添い合う半日であったことだろう。

50周年、お祝い申し上げます!ウォロ=大阪ボランティア協会

2015年11月5日 at 12:21 PMCategory:お知らせ

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市民活動総合情報誌ウォロを発行する大阪ボランティア協会が国内支援組織に先駆け50周年を今秋祝う。事務所の書架にあるご存知ウォロ表紙に記してある如く「喜んで〜する」を意味する[volo]は[volunteer]の由来となった古典ラテン語で市民の自発性を表します。と明記あり。大阪ボランティア協会は一貫して我々の自発性を刺激し市民社会の到来へと牽引して行ってくれた。
宮崎県のボランティア活動萌芽の頃からいろはから講演していただき、今も事象を先取りし咀嚼してレポートを届けてくれるスタイルは不変であり、自発性の普遍性を市民帯として現実化する手立てを事務所から発信し続けてこられた。
今春、その活動メッカである大阪のプログラムを体験していっそう魅力に魅せられた。
文化の多彩さが保障されている伝統の関西、実は民衆力も多層。その中で底辺からの発信を見逃すまいと見張塔からずっと定点観測し続けた50年だろうとリスペクトしてやまない。まあ、見張塔から・・はディランの表現だが。フォークなど関西からであったはず。
そして、知るや知らぬや大阪があってこその市民活動支援業界とも言える。その大阪そして東京の時代はもう古い都といわせようとライバル意識で各地のボランティア組織が頑張ったことも確かで、まだその時代は終わらないことも。
しかし、枠組みはすでにIT化のネットワーク力で取り払われた。無料で広がるネット環境を手にした活動家たちはさらにソフトを生み出す可能性に邁進できる時代である。
先駆性に秀でた大阪からの発信に呼応し続け、我々もまたフロンティア精神に常に立ち返ろうではないか。

明日 ザ・グレート ミヤザキ シェークアウト2015

2015年11月4日 at 5:25 PMCategory:お知らせ

クェイクくんには5匹の手下がいます!の漫画の説明も楽しげなシェークアウト(いっせい・どこでも短時間防災訓練)に参加してみようと家族2人で申し込んだ。明朝10時に、ドロップ・カバー・ホールドオンの安全行動の1・2・3くらいは試みてみたい。咄嗟の動きはペット達の本能を見習うとともに想定を現実的にこなすシュミレーション力を付けておこう。

本日の事務局には電車で野海さんが、わたしはバス通であった。眼前のポスターでこの記事を知った。野海さんの方は、電車もカード化乗車券が導入されると教えてくれた。ぴ〜すけカードもすでに会員には配布され、色んな便利がIT化されてゆく。これは見える化されることで安心安全な社会に繋がり感という雰囲気を生み出してくれる。

特に、行動力次第のボランティアも繋がり感が増せば効果が上がるというもの。

バスのシェークアウト広告(宮崎県)に惹きつけられたが、車窓からの景色の一点には、路上の雑草をさっそうと刈り集める初老の男性があった。仕事で集団でというのは目にするが、目に余る植え込みの雑草を自転車を止めてカゴにビニール袋一つ分の草取りをされているようだ。企業として近隣の掃除というのも定着して久しいようだが、街路樹の雑草に思い立ってされていたのだと思われる。気になるのが発端で、軽く済ませてという行動派はどれくらい存在しているだろうか?
先日、久しぶりに矢口裕康さんにお会いできて、通勤の山あいで動物や礫死体に出会うことを話され、君のような真似はできないが、気持ちは弔いをして行くのだと語って下すった。

気持ちは行動を呼び起こす。播磨靖夫さんがわたぼうしの表彰に書いているのも、あなたの詩が、曲がみんなに思いやりの気持ちを呼び覚ましましたとあったと思う。想像力や常識を疑う無意識に近い気持ちベーションがホスピタリティの源流である。宮崎の地にはそれが生来満ち溢れているのだからと励まして下すった。

神話というと霊的な世界のことを指す。霊的=愛のある世界に生きようとすれば、気持ちから入って何かしらの行動を起こす。そうやって祖先は工夫しながら今に至る運ぶ労働や楽しみを作り出した。

気づきや気持ちから行動に移るプロセスこそ創造的であるということだ。

そんなことをもっと見える化しなければ、引き継いで行けない未来へは。

長文になったが、締めはリニューアルしたメスカ倶楽部のフライヤーを紹介する。

ネットで学習の見える化

無料で学ぶ

そして31回は終わる

2015年10月27日 at 9:03 AMCategory:お知らせ

玄関口での実行委員会一本締め。忘れない内に反省会に集まることで!お疲れッ

玄関口での実行委員会一本締め。忘れない内に反省会に集まることで!お疲れッ

「辻会長のお人柄と皆さんの活躍ぶりに感動し・・・。主人なしでもボランティアとして是非」一巡して一言感想を前列のご夫人が上手く取り纏めて下すった。当事者のご主人は真剣にこの盛り上がりの旅にどう加勢ができるか考えたいがとポジティブな発言だった。バスは順序が替わりリフトバスを追う形で秋の休日のまだ陽のある橘通へ凱旋した。出迎えのご家族の顔の方が何故か数段嬉しそうなのもこの旅の達成感が既に電波的に繋がっているからだろう。無事を確かめようとする母親に、バスの窓越しに土産の袋を先渡しした。「冷たいのは、カツオを買ったものですから保冷の氷が!」

そして、テキパキと行動を取った実行委員は福祉総合センター玄関口に最後の集合をした。各人ほとんど脳細胞の細部まで使い果たしそのため認識共有度が振り切れるほど一つになっている。何かと長老を立ててくださる会長が一本締めを促して来られたものだからバスのリーダー学生の昨夜の素晴らしいダンスパフォーマンスに触発されて暴走しかけたが、この瞬間まで全体を影で統率してきた実行委員長がすかさず暴走を抑制して「ヨーポン」と無事締めてくれた。そして31回は終わる。さっそくの反省会〜公立大生は凌雲祭が待っている。最新情報では大活躍だった生駒新一郎さん(協会理事・あわいや)がふれ旅中枢とコラボして表現展をギャラリー開催とのDM郵便も舞い込んでイルカランドの白馬りんたろう號の勇姿遭遇並みに驚いている。

志布志ボランティアの皆さんとしぶきを浴びながら鑑賞した、イルカからのピンクのハートの手渡しをいつもは身を持て余し気味のNATTUCHANが一世一代の授かり役を果たしたのが旅のハイライトだったのではなかろうか。

力強い ~ごあいさつ~(ふれ旅しおり・先行お披露目)

2015年10月21日 at 3:54 PMCategory:お知らせ

― ごあいさつ ―
今年も「ふれあいの旅」の日がやってきました!

天草、長崎、湯布院、佐賀と最近は遠いところに行く旅が続いた

ので、今年は近場の鹿屋・志布志でゆっくりしてもらいたいと

思って計画しました。

いろいろとハプニングが起こると思いますけど、普段できないこと

を発見してください。

それでは、よろしくお願い申し上げます。

第31回ふれあいの旅実行委員会
実行委員長 野海靖治

退院後、自宅で休養中の実行委員長の原稿を入手したのでその挨拶文を手にふれ旅をシュミレーションをしてみる。
永峰観光バスのデラックスバスを追走する宮崎市福祉リフトバスゆうあい号、凸凹コンビ2台が宮崎インターから高速に入るのは8時30分頃であろうか。イトウドライバー(永峰)とヤナギダ運転手(たぶん?!@宮崎市社協)の快適な
走行で弥五郎伝説の郷へは一時間余の経過で。最初の休憩でもあり足取り軽く30分を過ごす。ちなみに筆者は5班なので裕也班長にくっ付き、にぎやかな川越ちゃんと買い食いなどしたいものだ。班メンバーのH氏は充分に一服して次の降車地・海上自衛隊鹿屋航空基地資料館までの45分を耐えねばならない。トイレに列ができるのは想定済、あわてないあわてない。
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お楽しみを裏切らないだろう「かのやバラ園」、ここではランチも。次の寄り道大久保酒造でも一時間遊べるが、わたしはバラ園に秋晴れの白昼をひたりたい。鹿屋市霧島ケ丘公園に広がる花園、ハロウィン飾りとバラガールが親切に迎えてくれる・・・、5班は男子10名の班なので紳士的に振舞うのである。もち、スロープが大変そうな女子の車いすなどは率先して引っ張り上げ、ぬかるみではコートを広げエスコート、ん?はしないが、学生実行委員二人は力仕事に撮影等に動き役立つ5班精神で活躍。そう、演劇まあるい劇場「奏でる」のシーンのように異次元空間を満喫するのだ。バラ、ばら、薔薇の花園で。

そうか?ボランティアシーンでは、できるだけ素のままで動くことだ。手を出したい、声掛けをと念じるだけで普段押さえているおせっかい衝動を、ここでは躊躇することなく実行に移せる。ただし、余程タイミングを見極めないと、おせっかいがほんとの余計なお世話になる場合だってある。だから、対話が生まれ、思い込みで終わらせない善意が発生する。聴いたほうが良い、という当たり前のことに気づき、あの人は親切だと気づかれ、気疲れしない程度のやり取りがリズムを生み、そこここのありがとう、いいえが大きな一体感を呼ぶものだ。ありがイエィ!な丸二日間を体験すれば、温泉につかるし、寿命が一年は伸びるというもの。数十回は参加させてもらったのでわたしは、数十年はありがイェイ!なまま生きて行きたい。だが、あんまし書くとテンションがもたないのでここいらで〆。

県ボラ協会員(団体・個人・賛助)様、お手元にカードが届きましたか!?

2015年10月19日 at 6:18 PMCategory:お知らせ

県ボラ・ぴ~すけカード
「ふれあい406号」A4サイズ裏表、付録:野海靖治旅行日記・奏でる編1に同封して各人氏名・県ボランティア協会の連絡先が既に印刷されたカードが、諸フライヤーとともに発送を終えております。(一部未発送もあり)
避難所などでの人員把握に利用可能な携帯型会員証として利用する目的の他、(詳しくは11月21日(土)セミナールーム2(都合でお知らせの3から変更)での説明会で・・・)限りなくボランティアシーンをスマートに展開させるツールとしてお手元にお届けいたしました。人と人とが疎遠になり始めた結果、様々な出来事が身の回りに起きています。わたしはここに居ます!という情報でどれだけ安心が生まれるか、から始まってネットの有効活用を。

なお、今週末はいよいよ「ふれあいの旅」7:30受付開始ですのでくれぐれも参加者、ボランティア一同寝坊なさらないように。

障害があってもやっちみろ会・再見!(さらば!)

2015年10月16日 at 6:34 AMCategory:お知らせ

永山昌明・クニ&昌彦

或る家族の生き方が、そのまま家を開き、障害があっても・・精神を創り上げた


「家を開く」生き方が困難さを可能にする。誰とでも話しができる。どんな相手とでも辛抱強く傾聴できる。そんなメンタリティーは家族の生き方が作り上げた。そして受け継がれていく。

10月14日午後一時「みなさんの記憶にどうぞ残してあげて下さい」父との別れ、親族からの礼を喪主・永山昌彦はこう力強く、労いを込めしっかりとした口調で伝えた。太刀洗という太平洋戦争歴戦の地での青春を息子に語り伝え、それに耐え生き抜いた誇りを胸に秘め全力で家庭を守り続けた86年の故人の生涯は常にオープンであった。戦後70年の話題が安保法制に関して喧しい夏の終焉とも重なった2015年秋。人のライフスタイルとして輝くものがあったことをボランティアシーンエピソードとしてここに記憶しておきたい。

永山昌明は小児麻痺の長男と介護に専念する妻を商店の家庭に置き、青果行商のミゼットで新興青葉町内を駆け回り、今でこそ買い物難民という皮肉で称されるが物の不足する時代の主婦たちに直売をして回った。長屋に身を寄せ合う新興生活圏が国鉄線路を隔てるというだけで、決定的に部落の様相をする着の身着のままの生活が各地区で始まった戦後7、8年のことである。農村はすでに農地改革のメスが入り近郊農地、荒廃地が住宅地として新天地へと変化して若い世代を受け入れていく。復興の号令もなしに自発的生活圏の開拓が成され、一人一人が奮闘し助け合い励まし合い、とって付けたように「高度経済成長」の看板が遠い政府では上げられた。九州の南端では様々な地域が起こり台風銀座と災害も陽気に受け流し、皆んなで小規模からのスタートを切った訳だ。そこは究極のスモールイズビューティフルな生活。ほぼ江戸の頃にタイムスリップし、生活そのものが簡素でボランタリー。人は正義を信じ、モラルを守り、親切心で支え合った。
そんな日常の中での未熟児の訓練、就学と人目につく頃から、商店の軒先に乳母車に乗った幼児は誰彼となく介護を受け、成人後はタバコ店の店番としていらっしゃい!と商売上手に成長した。
同じように障害を持ちながらも成長し大島の職業訓練センターに前後して県内から集結した若者たちには硬い友情も生まれていた。社交性は否が応でも身につき、一言話しが出来さえすれば、外見からのバリアーは外れその全身渾身の生きるエネルギーには魅了されさえするのであった。
ただ、世間的には全国民が戦争のトラウマにかかって人のことどころでは無いわいというネガティブさも差別意識を助長して地域で個性たちが輝くチャンスはめったにはなかった。
そんなこんなでそれぞれが成人し、その夢をまだ持て余していた頃、ボランティアシーンが受け皿となり、「障害があってもやっちみろ会」がグループ活動の仲間からスピンオフして躍り出た。
いきなり、ニシタチのホールが後のバブル期にパラパラダンスのワンレンボディコンが出現するのを予告したような一夜の狂乱が!!!その男子たちによって誕生し、そのまま障害があっても大人になるのだという通過儀礼をやってのけた。
その中心人物、青空市場吉木青果店の息子、この話しの主人公の息子、油津から出てきた池上商店の息子、それに広瀬大炊田の清六ことわたぼうし会ボランティアリーダーが化学反応を起こしたのだった。
筆者も親族としてのスタンスをとっていたが、ニシタチで彼ら女装軍団と遭遇してからは、その輪に躊躇なく入った。

その一部始終を見守っているうちに年老いた永山昌明は、目の前の変化に驚かされ続けたものの、家を開かざるを得なかった生き方の主人公であったことをどう述懐するのであったか。今は、これからは我々がその回想を続けるしか無い。家を開く生き方が普遍的に役立つことを生きているものが証明するしかない。そんな現実の前でひるんではいられない。彼の煩悶も喜びも全てを継承していきたい。永山商店チルドレンのひとりとしてそう誓う。