ふれ旅ボランティア募集はあと7日間続けます!

2015年10月7日 at 8:16 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

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ストレスを消し合う関係

人を感じさせて動かす

ダイナミックな活動訓練

人をその気にさせる技を学び

無償で体験しあえるハウツー

bodhránガールが必ず絡み

君は新米エージェント さあ 謎の運の月はどっちだ

水曜日のメスカとの共同事務所には、先日のふれあいの旅・事前交流会後の通知を手紙で受け取った女性ボランティアからの連絡電話が鳴った。
想像力豊かな初参加のご婦人。福祉総合センターに泊め置くマイカーのナンバーを伝えられ、入浴時の介護ボランティアの服装なども確かめたいとのこと。社福「翼」の施設旅行の経験も持たれていて、知人にボランティアを誘ったが、有料は当然とのご自身のポリシーとのギャップがあり、一人の参加なのも恐縮されてらっしゃる。何なら主人もとお声も考え方もポジティブなやりとりがあった。また、別の電話が鳴り尺八の演奏ボランティアにおもむきたいが、所属が無いので登録して身分を証明することは可能かという初老の男性。住まいの近さから宮崎市ボランティアセンターと市民プラザの窓口番号を伝えてたらい回しのようで申し訳ないと業界の導入部を説明した。成る程、アコーディオン奏者が個人会員に入会し熱心にふれあいの旅にも来て下さった事例もあるので、ボランティア気質が自身の中で高まり協会に繋がる、また、別の活動分野での活躍に繋がる時期は、ひたひたと近づくものである。また静かな夜のセンターの部屋では自助グループのネームプレートを掛けて仲間との語らいを待つそれぞれのグループ所属の当番の方も回復の道途上の姿を置いておられる。
そのグループでも長老といえば宮崎ダルク、くしくも創設者コウ河野俊夫氏の命日を告げに寄ってくれたりもする。
地道なグループ活動、私のような自画自賛型、それぞれが限りなく発色を拒むヒエラルキー安泰系の銀河に居続けようとの常識へ挑む内に、その常識が実は誤解だったと世界は新しいページへ向いてゆく。

演劇とれたて新鮮市からプロモーション

2015年10月5日 at 5:07 PMCategory:お知らせ

第31回ふれあいの旅事前交流会に飛び込みゲストがあった。一件は日本福祉タクシー協会宮崎支部の皆さん、自主的に後ろを付いて走りたいとのこと。31回目にして追っかけが出現する模様。遂に我らもスター⭐︎!
そしてもう一組は、10月10日と11日の2デーズ公演の不思議少年(熊本)この様子はビデオでどうぞ!
不思議少年プロモーション

宮崎の若い演劇人と、全国で活躍する新進気鋭の演劇人がそれぞれの作品を一挙上演。瑞々しい表現と出会える演劇三昧の2日間です。2つの会場をハシゴして演劇を楽しもう!

U25割 1000円(メロスは500円)の値段が示すように若者たちとともに!をうたい文句に宮崎県立芸術劇場 演劇ディレクター永山智行さんが開館20周年の一昨年から始めた新しい演劇フェスティバル。

病み上がりの野海さんや甲斐祐輔さんら演劇好きは行くというので会えるかも。

奥義・イベント系

2015年10月5日 at 2:15 PMCategory:お知らせ

imageたくさんの出会いがあり、二十日後の本番での元気な再会を期し旅への序章「第31回ふれあいの旅・鹿屋〜志布志、事前交流会」は強い色彩を残し終了した。欠席者を含め、定員確保に10月14日を改めてボランティア募集の期限として宣言し幹事山崎光代、進行の甲斐祐輔は役目を終えた安堵感に浸ってもおれず弁当殻処分やデスクワークに居残った様子。辻利則顧問、協会長も盛り上げてくださり、何より奇跡の健康復活の野海靖治実行委員長が挨拶にパワー全開!お陰で、副実行委員長に仮免を与えられた坂本夏美は自身の自立生活サポーター募集のチラシ配布の内職に専念できた。
31回の経験知からすれば、何と言ってもふれあいの旅当日のハプニングをどうその夜の内に克服するかが、それぞれ各人の課題であり、船全体を補修する実行委員会ミーティングで懸命の対策というダイナミックな流れが毎回あった。そう!イングランド戦で勝利に賭けたフィフティーンの如く進退は実行委員会の総意で決める。去年は嬉野温泉のホスピタリティーに包まれて、夜を徹したミーティングはなくカラオケ狂宴に飲まれたようだが、吉野ヶ里への不着、陶芸宮殿での不覚の転倒など対処すべきテーマは必ずある。現在の実行委員長のけだし名言「トラブルがなければ旅ではない!」宣言がでたのも実行委員会ミーティングであったことは語り継がれてゆく。とにかく、当日の夜のミーティングが軽く流れようが、ある決断をするのかクライマックスであることは間違いのないそして、伝統。
このことさえ伝えておけば良いので、ざっと交流会振り返ろう。
辻会長がこの旅への期待を黄色い薔薇を見てみたいと総括されたように、各自のモチベーションを激励する介護指導であり、班編成のテーブル、何故か美味しいお弁当、二組のゲスト、そして新企画の色カルタであった。
好日に当たり原町県福祉総合センターは駐車場も程良く7分入りで、幹事の裏方をかって出る私は、即駐車場係に外に出された。外は外でこの会館2棟の使命である福祉総合的なイベントで盛況である。研修館では介護福祉士国家試験への学習会。本館1階交流プラザではふれあいの旅、ミーティング室ではどこか?(五月蝿かったでしょう?ごめんなさい)そして、2階では宮腎協の人工透析学習会が入り乱れて。
もちろん究極の遊びなのでふれ旅の部分が光っていたのは当然だが。今や、ワークショップ全盛の時代。教室型の聴く形はもう古い。インプットアウトプットが鮮明な形で繰り広げられ、今年は最後の方で色カルタを使いアウトプットする知恵と力をその場で試してもらった訳である。
ロートルのわたしも5班でメモを取ったが、初参加のお二人もきつかっただろうに流れについてきてくださった。自己紹介、インタビュウによればジョイステップに通所されている裕也さんと父。同所からのリピーターの杉田さんの顔はなかったが、多分新聞記事の反響かもしれない新しい参加者の内一人が彼で、当然班長に使命。にぎやかにサポートしてくれたのが高岡の学生正稀くん。実行委員甲斐祐輔も加わるが全体を見るので、常連の林さん森さんコンビと裕也班長、正稀くん当日参加のあゆみの里の男性三人の9人が5班を編成し、大型バスの方に乗車する。
もっとゆっくりしたいの声が生かされ、近場の鹿屋、志布志ボルベリアダグリ泊日南海岸を帰るコースになったのだが、ボランティアとしてありとあらゆる知恵体力を駆使しての自分全開の体験が二日間待っている。参加者とて目の前の出来事は他人事では済まされない、過干渉にはフェンスとなり、そっと手渡す飴の一粒が慈雨に感じられるボランティアへのサポートに不可欠なのだそう!気づきの指令塔になっていただく。事前交流会はうまくさばけたが、当日の幹事や実行委員といえども、バスの中、バラ園、基地、酒造場、ホテル、イルカランド、各道の駅では視野狭窄におちいっているので、各班の班長が司令塔なのだ。
登山でのルールのように、ふれ旅では各車椅いすやADHDの方の頭上に見えないフラッグが五旗あり実行委員長と合わせ六旗がひゃらひゃーっ旅をゆく。イルカランドでは志布志のボランティアにも大いに活躍していただこう。
もうすでに、毎日の生活では、野海長期入院、菊永どんこや退所など動きがめまぐるしい時節となり、そのまた家庭内では喜怒哀楽の日々、日常をサポートするYAH!DOどこでもドアー、サポートしてみたいと新規参画の福祉タクシー業界が持ち味を協会に集結させてくださっている。
理想郷鹿屋薔薇園のような生活圏を形づくるためのイベントが定着する日々もすでに宮崎では展開してきたことは自負しつつ、より新しい想像力を掻き立てて止まない実験・旅、その奥義はまだまだ極められなければならない。

宮崎県福祉総合センター雑感

2015年10月2日 at 8:18 AMCategory:お知らせ

開館当初の二分の一のスペースになったのが駐車場側からみるとわかる現県ボラ協事務所。給湯室の配置はそのままで現倉庫部には録音室、廊下側から保育室。女性用・赤ちゃん設備サニタリーコーナーからがビューローで応接部三団体共用机、現在の事務所スペースが丸々会議コーナーというデザインで宮崎県初のボランティアビューローはリニューアルまでみんなの居場所を展開した。
後日、正面玄関のロータリーなどが取り払われ、新館の研修館が新築されるまで、児童施設や動物園舎などもあった、古くは西池の湿地帯広場ではサーカスもテントを張ったなどと記憶を地元民の財部豊隆さんと知ったかぶりをしてきたものだが、新たな新事実が判明するに至り、嘘っぽい語り部もほどほどに自粛しないと!思うのだ。

その新事実は、天満福祉タクシーの串間勝さんから発せられた。わ、私はここで産まれたんです。ここは病院でしたよね。10月9日に江南病院374号室を骨折完治で退院する納宏子さんのカンファレンスで使用しなくなり引き受けた、自立生活者愛用アイテム五代目の電動車椅子を搭載したリフト車が駐車場に入る時発せられた。病室で小一時間の充電ではバッテリー上がりが速く、奥野うどんで停止し、急遽呼んだ福祉タクシーだった。市社協路線でもあるので低床式ノンステップバスも行き交うのだが、俄か電動ユーザーのふりをするのも迷惑を掛けるので、イタズラの誘惑はあきらめ、うどんを食べながら串間さんを待ったのだった。事務所には折りたためる電動でスペースはないので、YAH!DOの昌彦監事のスペースにお願いしようと考える。あそこも3年後には引越しを余儀なくされるというが。里親プロジェクトも加わった子ども文化センターの2NPO団体入居の公共性の高いビルなどで行き先が気になるところではあるが?現鶴島のNPOハウスも古いから、それぞれの次は総合的に自立を余儀なくされている訳だ。

アクセス、駐車場、適切な指定管理と三拍子揃ったセンターに創設当初から居られるのは幸運であるのだ。それだけ有利な条件下に置かれた社会福祉協議会におんぶされた揺籃期から、今は細々と壮年期に至っている現状。かわらぬ皆様の温情。

北南に長い本県全域に影響を行き渡らせるにはもっと北部のまぼろしの宮崎城あたりが適切だ、いつの日かは自前の会館をと夢想した時期もあったが、あの頃は思えばバブル期だったよなあ。仕事と夢が両立でき上昇志向が今の異常気象みたいに人の気持ちを押し上げていた。基本的生活感がそこでニツポンから逸脱してしまった。ようだ。

北側一面が窓なのでブラインドを上げている日中はガラス拭きもあったばかりなので外の駐輪場とダストスペースがよく見て取れる。ディスプレーから目を上げ椅子を引いてぼんやりすると落ち葉を集めた袋を運び込む様子が目に止まった。館内、玄関パン販売、公園清掃と作業所に仕事を提供している福祉総合な場所ではデスクワークの入居者と交通公園利用の園児たち、一般公園利用者が過ごすことができる。かっては一角に児童相談所の一時預かり施設も併設されており、ワーカーと球技に興じるボールだけが垣根越しに見えたりもした。ジソウはいまは、JA隣の旧工学部敷地県保健所ビルと並び婦人相談所などと体育館もある母子センターに入居している。

そこに配慮がもっととおもわされる光景が偶然見えた。仕事といっても労働色の強いストレスをともなうもののようで、掃いても掃いても落葉を繰り返す交通公園。ここで、この日曜日にはふれあいの旅事前交流会のデモンストレーションの散策をさせてもらう。汗をながして掃いてくださった作業所の皆さんありがとう。いつの日かにはふれあいの旅で是非交流いたしましょう。

戦後70周年記念事業・NPO法人宮崎市日中友好協会

2015年10月1日 at 4:07 PMCategory:お知らせ

これからの日中友好交流を考える
〜中国帰国者の歴史・今、これからについて〜

〜プログラム〜
★来賓挨拶
★行政説明
★特別講演・中国駐福岡総領事館総領事
★基調講演(実践報告)
「支えられる側から支える側へ」
講師:王榮(木下貴雄)氏
NPO東海外国人生活サポートセンター代表
★事例発表
★津軽三味線「村上三絃堂」演奏
・津軽じょんがら節・天地創造
・俵つみ歌・ソーラン節・太陽じょんがら
★中国帰国者「腰鼓(ヤオグー)隊」披露

日時:平成27年10月25日(日曜日)
午後2:00〜午後4:30[午後1時半受付開始]
場所:宮崎公立大学 講堂 (宮崎市船塚1丁目1-2)
参加費:無料
主催:九州中国帰国者支援・交流センター
宮崎県日中友好協会/NPO法人宮崎市日中友好協会
後援:宮崎県・宮崎市
申込方法:申込用紙に必要事項をご記入いただき、FAX・Eメールでお申し込みください。

10月4日は、事前交流会(31回ふれあいの旅)

2015年9月30日 at 4:52 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

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幹事、山崎光代の顔にもようやく笑顔が。電話のやり取りにも安堵感が。事前交流会のお弁当の手配の様子では35個ということで、締め切りした参加者募集には45、6名の申し込み。志布志市社会福祉協議会の呼び掛けでは高校生も含む十数名が揃っている。4日は、初参加の方には不安を安心に変えられる出会いの場になる。
なお、ボランティアは10月14日(水)までは募集を続ける。
人とふれあう楽しさややさしさを感じられる充実した二日間になることでしょう!

なお、事前交流会のスケジュールは、
実行委員9:30集合10:00受付
会場は、宮崎県福祉総合センター本館1階

11:00開会・行程説明
11:10グループ・ペア決め
11:20介護体験1(車いす
12:00昼食
13:00介護体験2階段ののぼり、上がり)
14:00終了

みんなネット福岡大会分科会「当時者の力、自立と経験を活かす」

2015年9月29日 at 7:12 AMCategory:お知らせ

昨日、9/28から開催されている精神障がい者が共に暮らせる地域づくり第8回全国精神保健福祉家族大会〜当事者の力、家族の力、地域の力が未来を拓く〜が本日9/29午前福岡国際会議場で分科会を催す。
その発表者の一人が長友さん。宮崎市民文化ホール・バイキングレストランカフェコリドールと地域センターすみよしでのぴあカウンセリングでご活躍されているご様子を経験報告をされる。
今年は猛暑で悲鳴をあげたという北海道浦河町でのべてるの家生活から帰郷後、宮崎での活動は全国にも発信すべき好事例と評価される結果。
当事者という言葉が定着するまでかれこれ40年ぐらいの間、ボランティアまた家族として三障がいで生じている格差に対処してきた家族会の運動の集大成の大会での発表者が身近に居られることは頼もしい。一度だけ上京して参加してきたデモには障がい当事者の連帯として精神の参加があって盛り上がったのは確かだった。YAHDOの旅行ボランティアとして多摩・永山駅にも遠征し駅のホームで初孫ゆうらちゃん出産の報を受けた。雨で中止の運動会の5年生ということで、そのデモの盛り上がりから11年ということになろうか。自立支援の法制の流れに当事者の声を届けようと厚労省ビルから虎ノ門、霞が関のアップダウンを電動車いすの後先で⚪︎⚪︎シローッシュプレヒコール。カラオケ以外はあんな怒声を上げることは今はもうない。
そうこうで、当事者が強く感じてらっしゃる障がい間格差というものに鈍感なままボランティアシーンが続いているのは悔しい限り。昨今の災害ボランティアでますます光る自発性などが、精神しょうがい理解へ簡単には向かわない理由は差別史に塗り込められ、戦争の何故と平行して70年経った。時代の先端ではGRBTIの性差も乗り越えようとするテーマは脚光を得ているのに、不安と孤独感にさいなまれる患者さん、高齢と認知への想像力と理解はタブー視という隠れ蓑世論困難の上に、賛成か反対という形式で隔離収斂されてしまう絶望感に突き当る。・・・と書き出すと堂々巡りになる。ただ、苦しいのをわかって!という声はなかなか届けられていない。
そんな中、どう理解するのかの先例を実行しているのがぴあカウンセリングであろう。当事者同士でそれぞれの苦しさを理解し合うやさしさを社会全体が教えて貰えば徐々に理解の輪が広がる。
このやさしさを習うべきぴあの世界が伸びているだろう宮崎の地から、好感のもたれる発表を長友さんがなさる。
その知恵を知った時のモチベーションこそがボランティアにつながる。その長友さんと遭遇するチャンスを持つ宮崎のボランティアは幸運と言いたい。

miyazakidarcforum 20th

2015年9月27日 at 9:47 AMCategory:お知らせ

宮崎DARC

当協会も後援している「宮崎ダルクフォーラム20th記念」内容が発信された。
日時:平成27年11月23日(月)13時半受付開始/14時開演
場所:宮崎市総合福祉保健センター 宮崎市花山手3丁目25番地2
プログラム
近藤恒夫(ダルク創設者)/ナンシー・セキザワ(海外講師)
外山憲治(名古屋ダルク創設者)
西村直之(認定NPO法人リカバリー・ネットワーク代表理事 精神科医)/仲間達の体験談/ビデオ放映etc

*フォーラム終了後にフェローシップの場として懇親会を予定しております。
お問い合わせ・・・宮崎ダルク Tel0985-38-5099

また、案内文には会場は奇しくも、20年前に初めて宮崎ダルクフォーラムを行った場所での開催となります。とあり、当協会も和室休憩室の湯茶担当をさせていただいた初体験を大切にしまってあることを光栄にも思う。

その少しの記憶をして、このフォーラムの意味に迫りたい。

宮崎DARCとは薬物依存者回復の専門家集団の一翼を担う、稀なる仲間達のことである。世界に太く繋がって自助グループのジャンルを越えたiosなのだと考えたほうが理解しやすいと判断できる。
そんな頼りない理解が20年間かけて知ったことだが、事務所玄関に「この扉の向こうには愛があります」という看板があり愛とはに対する疑問の答えがそこにあることは最初からこれからも間違いのない事実である。
大木さんという名前と宮崎カトリック教会が創設期の立役者として耳にしていたが、開所記念フォーラムから代表のコウが20周年を待たずに癌に命を閉じるまで気を休めることなく依存者へ愛を注ぎ続ける仕事を成し終えたことが真実である。

あの日の午後の数時間、和室で用意されている湯茶、定番のコーヒーサーバー菓子等を点検していれば済むのだったが、気分を悪くし、あるいは湧いた焦燥感を鎮めるためか、座敷で身体を安めながらも身の上を吐露せざるを得ない仲間と家族を見聞した。稀有な初体験である。本会場ではもっとリアルなカミングアウトが壇上でされていたのだろう。俗に言う地獄の釜の蓋を開ける(鳥山敏子ら演劇の基礎づくりで云う)ワークショップであるスピーチが次々とされ、ただ聴くだけ。しかし、自分の魂に同期させるという壺は、葛藤を引き受け赦しを限りなく目指した上で終える。ただ。約束事は他言しない事の一点。
だから、休憩所にはそんなプレッシャーを一休みさせる人たちが入れ替わり訪れた。日々がミーティングと呼ぶこころの作用を見つめ続けるプログラムが中心なので、クリーンの喜びをわかちあい、たたえあい、スリップには寛容に対処する愛の本質の力を育てていくことが生きていることだといつのまにかわかっている。
だから、ダルクの仲間達は切れ味の良い優しさを持って接してくれる。ダルク体系(そんな言い方はなく12のステップのポスターが総てを教えている)からいえば個性を包むなんらかの膜をみんな持っている、その膜の部分を薬物に取り替えた、取り替えられた自分という見方があるようだ。依存の膜が自分を守っているようで、実は個性を窒息させかけている。だから薬物にしろアダルトチャイルドにしろ依存から12のステップで個性のままでいられるような自習を課す。ボロボロになるまで開いたテキストを閉じ、輪をつくり静かな内にミーティングを終える。

先日の96歳の画家の証言はそぎ落とし続けることがアートの力を生むことになるであったが、ミーティングを繰り返しこころをメンテナンスし続け、余計なものを取り除くと愛が見えて来る、そこには泉のような愛があり、パワーがある。少しづつその道につく、犯罪性も巻き込めば量刑も受けた上で、真の自分への回復は何かが際立ってくる。

サバイバーたちは、控えめに愛を求めている、ボランティアとて個性を何か善意で包んで仮想で安堵している傾向を持つものだと考えれば、真剣さに強く答え、回復への待ち時間を見つめ続けたいものだ。西池町に拠点を持ち20年を記念する彼、彼女たちは住所的には一番近い会員でもある。そして今フォーラムは最高峰の講演者たちが愛を教えて下さるめったにない好機である。

そして必ずとったほうが良いクールダウンのためにはコーヒーコーナーにお立ち寄りなればよい。そこにもきっと愛があります精神が。

アザミ姫プロジェクトチーム募集開始!

2015年9月25日 at 4:22 PMCategory:お知らせ

こんにちわ私が退院したら、ヘルパーの入浴介護なくなり、妹達の負担をけいげんさせるため、週二日デーサービス行く事になったのですが、そのデーの候補が未来図と安らぎライフのかなと二つあって、皆は未来図に行けと私は安らぎを希望しています。
安らぎはごしまさんがやっている所です。
でも五嶋さん選びたいわけは、これまで毎日治療していたところが全く治療しなくなったら、動けなくなるのです。
これまでも何度も繰り返してきたことをなるべく、避けたいのです。
今も痛くてたまらないのだけど…ねこれ以上うごけなくなったら、それこそ施設行きに…それで五島さんに相談したら「治療院来れば安らぎからの往復は自分がする」と言ってくれているのです。それでもし私の希望が叶った時!
ここからが本題。日・木を除いて、月・金 火・土 水・土 火・金 という具合に、週二日 治療院に送って行って下さる人を捜して下さいませんか。ながながとわけのわからないことをいったかも…ごめんなさい。 宏子 お願いする時間を忘れてました。五島に9時までに行ければ…

このメールの発信者、納 宏子さんはいよいよ天満大橋を渡り自宅へ凱旋後
自立生活を再開します。

わたぼうしコンサート作詞入選が縁で支援ネットワークも広がり、自宅での生活を謳歌されてきました。
音楽好きが功を奏し、さつきフレンドコンサートを自宅にて開催、親友の菊永恵子さんへのサプライズ還暦コンサートを
地域自治会の会場提供で開催する等、一貫して自立生活地域展開を試みた自称チャレンジャーでもありました。

そして、遂に本格的介護生活が始まります。(既に長年、後期高齢介護サービスを事業者コンパス利用で過ごしておられます。)
此の期に及んで、ナイーブさを纏ってはおれない情況判断で、より少しづつ改めて家を開く時がやってきました。それがこのプロジェクトです。
タイミング良く、介護保険制度も緩やかに改善されたとは言え、10年待てども地域の受け皿が整うかな?というのが現状のようです。

しかし、随分と介護の仕事が出来ていて、後は当事者が活用する手順は出来上がってもいます。ただしメンタル面を中心に支えは重要。
つまり、これまで通りのお付き合いが平行してこそ柱の制度利用が活きてきます。

それは、ボランティアに頼ることです。就学免除の時期を過ごさざるを得なかった幼さのままの彼女を羽化させたのは、多種多様な
ボランティアたちでした。また、彼女が果敢に迫ったラジオというメディアのパーソナリティーや歌手たちでした。

その頃の沸き立つ気持ちを再び持って貰えば済みそうですが、老いはそこまで親切ではありません。

どうか、今回の退院を機に立ち上がる「アザミ姫プロジェクトチーム」をご声援下さい。

求む!ヴォランティア

2015年9月25日 at 8:14 AMCategory:お知らせ

需給調整という仕事がボランティア運営組織の本命。1980年浪人プラス留年を計3年して遂に帰郷した私は、早速わたぼうしコンサート入賞の初陣を切らんとしている同年の従兄弟を見届けようと舞台袖に馳せた。都会からの甘美な官能な荷も吹っ飛ばすほどの魅力の数々が生まれ育った地には芽吹き育っていて、コンサートを起点に確認と収集をはじめた。それは、まぎれもなく地の文化の数々で、無償で同行してくれる仲間も得た。アート・ミュージックという必須アイテムも点在する喫茶店を媒介に発信されて、まだ街そのものが7年前の高校の頃のようにアンプとなって音を出していた。大学の意義が末期ながらも息づいていたのも要因。そして、新たな恋にも当然落ちた。相手は都合3人いた。そうこうする間に長男長女次男次女と順序良く増え一人っ子の私の世界は帰郷後の十年でほぼ固まった。
私は、何かしたい気持ちがやむにやまれぬ青春を需給調整してもらい人生の具の部分をボランティア活動で謳歌した。そして、それを包む後半バンズ期に入っている。仲間たちと共にも。そして、載せたバンズで完成させ後世へと差し出すのである。私とボランティア活動味のバーガーを。

その最後のバンズ期は真の自立へ挑む、それに尽きる。日本国は大国との協働を選択するが、ボランティアシーンで培ってきたものは当事者自立以外は選ばない。自分の責任を持つことが潔いのである。そんな強い意志を堅持し残った会員さんへの需給調整が公私共々佳境に入ってきた。

蓋を空けてみると、やっぱり地域はつながってなかった、かもしれないが蓋を取り除いてみると、光があたる全貌にはつながりの芽が吹いている。そんなけっしてあきらめない世界はなくならない。