さとわ企画🔙子ども*若者の貧困を考えるシンポジウムin宮崎

2016年3月2日 at 3:36 PMCategory:お知らせ

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ディーン「お断わりする❗️」ふかきょん「しゅに〜ん?」
何とも愉しいドラマにうつつを抜かしている場合ではない。
メスカ事業がブレイクしつつある。昼食をはさんだ半日のイベントというのが肝なのか。
終えたばかりの「ふれあいPSK」を振り返りつつイベント成功の要因を整理しておこうか。
公立大凌雲会館に集まったのは婦人が多かったものの、空気は回想法にも使われる「昭和ジオラマ」の落ち着きが流れていた。「ふれあい」は辻会長が県ボランティア協会の指針として就任当初から掲げられ、ご自身のゼミネットワーク研究室のIT汎用ぴ~すけとも連動する理想のコミュニティの呼び名と解説しておこう。
さて、高齢者の居場所としてのサロンのメンバーが地域センター長にうながされ参加したイベントとは?、まずは彼女らの日常を体験する演歌体操で開始された。水戸黄門を操し終えた頃には身体が脳とつながった感触がみなぎってきた(ところで)、昼食を囲む本館ロビーへ移動。バラ寿司は民生委員さん方の作、豚汁は去川定番似たの具だくさん。そうそう、デスクワークで手始めに色カルタのデモもやったせいで、自己紹介に自身をPRする色をそれぞれが纏っているはずなのが面白い。もう多数に紛れた個人ではなく私としてイベントを愉しみ始めている。
ここのところ、権の利するところによって我々は学習する、学び続けることこそ生きること。昼食時間に遅れて駆け付けた純子さんもグループの机を囲んでいる。お腹が一杯で、、、なところという定番コメントの後、ふれあいアートの演技観賞は仮設シートの舞台に接近して。大きなかぶの読み聴かせは、一人芝居の域に達している和田翔吾。「力」を先に書した野海靖治の左に山崎光代の「協」が加わりメッセージが出来上がった。観覧者からも ❗️の誘いにシートに現れたのは、藤崎アヤ。二文字をうまく収めて「式部」。説明は後ほどということで、次第は進み、トークショウコーナー。前年までは無かったもので、ふれあいの新企画とは一体何と感心が否が応でも高まる。司会はもやいの会の写真家の小林さん。並んだ男女5名は、自己紹介をクイズ形式で三択でカミングアウトという、好奇心全開のやりとりが5人分あった。
医療が現場に遅れをとっていた、新種の障がいといっても差し支えない発達障がいのある仲間たちの交流会が希望に満ちたものであるか理解しやすいコーナーとなった。
違いを学ぶことが新境地を拓く。人は違いを学び続けて生きるのだということをふれあいをキーワードに掴むことができた。
さて、3月13日には貧困下に置かれた子ども若者に希望をもたらす知恵を生み出さねばならない。自然や食という要因が整えばおのずと直感がフル回転し始め、内在する力をよもや吸い揚げることなく、交流のネットワークに結び枯れることのない仕組みが広がることであろう。大地に生きる感覚こそが脱貧困のささやきに呼応する。文明的に貧困に陥ることがあっても自然との共生は閉ざされてはいまい。人格的な豊かさこそエネルギーの循環を回すことを可能にする。
最後に今の気持ちを色カルタで選ぶコーナーとなった。自分の高校時代の色という前段も設けられた。同じテーブルの旧知の瀬戸口康成さんから「世古札せこふだ」という言葉が出た。15年以上前のワークショップを瞬時には思い出せなかったが、繰り返し違いこそ重要という基本に立ち返ること違いを包摂したところでの磁場の重要性だ。そこに進化は萌芽する。

新ー想い出のフェニックスハネムーンー

2016年2月26日 at 6:19 PMCategory:お知らせ

あなたのメロディ世代のすべてが宮崎県人で作った楽曲ー販売元ーMP夢結

あなたのメロディ世代のすべてが宮崎県人で作った楽曲ー販売元ーMP夢結


懐古ばかりではない。学生時代を宮崎で過ごした宮崎大学及びボランティアNPOシーンの卒業生がハネムーンで里帰りした。竹内周作さんとお嫁さんの影里さんはかって世話を受けた恩師的存在の女性から歓待を受け、縁起物の鵜戸神宮参拝などで宮崎を巡った。学生時代の空腹感=想い出ということで、馴染みの風来軒の看板に飛び込んだりと新生活に入る機会に共有物の構築に大事な旅路だったよう。彼氏に一年間ボランティア計画をそそのかした経緯もあり、青春の結末が伴侶との旅立ちになったという幸運に恵まれたことを喜ばずにはおれない。彼は当時キャンにも所属していた。廣嶋さんという学生がリーダーで市社協の坂本智子さんらの支援を受け当時大学生ボランティアのネットワークが自分探しの仲間作りに役立っていた。廣嶋さんは兄弟姉妹に障がいのある子どもがという境遇にも前向きな姿勢をと縁を結ぶ穏やかな個性で包み込む若者。その群れから我々にもアプローチしてくれた竹内さん。ボランティアと言いつつも、使いっパシリを言いつけられ駒のように活動を強いられるのにも耐えた数年間だったろう。
そして、ハネムーンにこの地を選んでくれてありがとう。昭和の伝説を懐かしむばかりの宮崎県に、活動の思い出を共有に回帰する旅もあることを示してくれている。紆余曲折あっての新生活、家庭の構築。そんな御二人に振舞って祝ってくださったご婦人が男女共同参画センターの新任所長さんであることはサプライズ出来すぎた新伝説ではないか。かって若草通のボランティアセンターサテライトにコーディネーターとして就いた方。
家庭というとDVがマスコミ的にはにぎにぎしい。しかし毎日の理解と試行の連続が実家庭のはずなので、ボランティアでコミュニケーション体験積んだ彼氏のスキルは充分生かされよう。どんなアドバイスの話に花が咲いたか想像するだけでワクワクなハネムーンの宮崎の一夜だったことだろう。
時は卒業シーズン、ふれあいの旅の辻ゼミ生ともお別れ。10年後くらいに竹内パターンのように宮崎へ回帰して、新生活へのスプリングボードと成せる人が続くことも夢に持ちたい。

大銀杏の里の学校

2016年2月24日 at 6:48 PMCategory:お知らせ

日曜日の去川小学校(旧)には、複数の野外イベントが人を呼び込み楽しい賑わいがあった。
我々のメスカ事業も仕上げの時期となり、進路に悩みを抱えている中、高校生の学習支援塾も、課外授業をここで繰り広げた。
ターゲットの若者の集約はなかなか困難な現状から、多彩な受講者を対象にワークショップを体験していただいた。
事前のデモンストレーションを協会のある交通公園で実験したので、生駒新一郎さんのファシリテーションに促され、僕らの道を探し出す目標は達成された。そしてその達成感のまま、最終イベント子ども・若者の貧困を考えるシンポジウムin宮崎3/13への助走を始めることとなった。講演と井戸端会議と称するライブ付きのシンポは、この去川こども村の2階の教室を会場にして企画が進んでいる。この担当者は、ふれあいのつばさ事業で活動してくれた物部聖子(現、いのうえさとこ氏)さんら。
廃校後に蘇るこどものおとなの楽園‼️
ほんとうの教育を取り戻そうと、学校の助っ人を任じるメスカの玄人達と我々も参入しての晴れの場が作られつつある。
冒険とも思えるシンポジウム、ドキドキ感を共有し、こどもと希望を探す道にいよいよ踏み出す時がやって来る。
今の気持ち

🍏ボランティア経済

2016年2月17日 at 3:56 PMCategory:お知らせ

NPO法人の王道を進撃するYAH DO!事務所に歩いた。昼休みなので閑散としている。用件は4月2日(土)に繰り広げられる
      「障害者差別解消法・障がいのある人もない人も共に暮らしやすい宮崎県づくり条例」 制定記念パレード&祝う会の祝う会を県ボランティア協会に企画実施して欲しいとのオファーを受けての打ち合わせ初回。解消法と県づくり条例を宮崎の地に根付かせましょう!との意図。障碍者自身とて障がいに対してネガティブな気持ちを持ち合わせてはいまいか?ということで自ら自嘲を払しょくする意味で仮装での参加大歓迎!!とはYAH DO!代表理事永山さん自身の叫びのようだ!
さて、いつ行っても面白い事務所。カウンターには様々なフライヤーが並ぶ。その中で2点ほどゲットした。そして置かせてもらってた綾照葉樹林文化シンポジウムのやつは回収した。それがこれ

山本太郎&ネパールトライT

山本太郎&ネパールトライT


熊本では、全国に先駆け市民派候補を参院選に擁立する動きが活発だそうだが、そんな機運を宮崎でもと山本太郎トークライブ(無料)というのがあった。当協会の企画するメスカ塾野外体験イベント「ぼくらの道をつくろうZ」(子ども若者の貧困を考えるシンポジウムin去川の方は3/13)と同期してはいるが2月21日(日)。間近。
もう一枚のは、デーンフジオカ風の若者が着用しているチャリT通販(YAH DO!で集約☎0985-31-4800)。アジアに縁を持つ山之内俊夫さんが徒歩with車いすの仲間がカトマンズを目指すイベントを応援するためのTを売りまくるのだ。政治も動きアジアを歩く元気が二枚のフライヤーからはうかがえる。
さて、フライヤーを土産に江平小学校への路地を歩いていると。買物難民風に両手を買物でつらそうなご婦人。つい、持ちましょうと声を掛け、一つ預かると、どうもバランスがもう一つと抱え、ぶらさげながら角を曲がった三階という住居まで随行することになった。席をゆずるといった光景にはなかなか出会わないが、たまたま目前を歩く重荷の隣人にはスムーズに声掛けとサポートができたのは不思議だった。向かいにマンションが建ってから日当たりが悪いという地域問題まで知った。老マンションは一階が駐車場に改造してあるようで、そこまでで良いと遠慮されたが、二階の踊り場に荷は降ろした。大変喜ばれた様子で、朝食のパンと食されるという林檎を一つ頂いて去ったのであった。
 自らが巻き起こした小さなできごとであったが、咄嗟の機転は林檎一個として実を結んだ訳である。長野産であろうか?流通の経費など換算すれば値は付いてゆくことだろう。りんごのうかの農の技は時給としてもはじきだされる。そして、この林檎の終着駅は、ご婦人の食卓ではなく県ボランティア協会の事務所の机の上。お茶中の野海さんの目の前。剥こうかと聞くと胃カメラを思い切り噛んじゃって歯が普通じゃないそうで辞退。入院以来、服薬を辞めたせいで、胃酸逆流が悪化とのことらしい。入院で内臓を療養する長期間が体力低下を招くという誤算のおまけつきだったのの後日談。また、胃の薬再開らしい。彼の身体はまことに正直であるのだ。麻痺とアテトーゼという厄介な反応と付き合い続け奇跡の一人暮らし。12年の幼児期から少年期のリハビリの底力が蓄えられているからこその奇跡の一人暮らし。そんな彼と、川﨑さんと水曜日の午後を過せるのは至福の時間。
 ボランティア協会という居場所につどう我々にとって当初からマイナス金利のボランティア経済は、人が生きて行く生活には時として必要欠くべからざるものではないか。メスカとのルームシェア、協働の一年であったが、この事務所内に自発的ケア空間が確かに広がった。誰かが観ていてくれる、時として手も貸す、そんな気配が流れる状況は換算する必要はないが立派に経済している。本当の経済も、その気配の流れを取り戻せば結構正常に戻る方向があるのでは?

金利下がる

2016年2月10日 at 6:48 PMCategory:お知らせ

「お金つかいなさい」珍妙なお客が野海さん、純子さん相手に無駄話に花が咲く水曜日の夕方。ふうせんバレー大会5/1開催の後援依頼を車で配布した最後に事務所に寄って下さったのはわたぼうし会の財部豊隆さん。首の痛みが引かずチューバッカの風貌。理髪店にも行けぬ有様。すこしチョキチョキすると落ち着きジェームスブラウン風に。省エネのため薄着などとのブロークンはステッキ姿と相まって内田裕也とも自嘲気味。養護学校設置以前の世代なのでポリオが多かったため一クラスに一人二人は障がい者がおったとの証言も昔話のループから飛び出す。小林のありのみ園でしいたけ原木産のしいたけが出回っていた、やや話が食い気に走ったのは自炊の時間が近づいたせいか。もう六時と話を切り上げてお帰りに。茶器の仕舞を率先してやってくれる純子さんにはタブレット保持で学習パワーが宿った様子。メスカ塾生にも名を連ねてITC独学の道も拓けつつある。
さて、年度末もカウントダウンとなり春へ春へと華やぎ気分のイベントが待機中。

大屋さん、芸人さんまるで長屋の花見「さるかわ子どもむら」

大屋さん、芸人さんまるで長屋の花見「さるかわ子どもむら」


テーマが子どもの貧困と重層低音を奏でているため逆方向から光線を当てようと企画に奮闘中なのはかっての県ボラミューズたちのおひとり物部聖子さん。もうふれつば伝説を語り継げる現役は彼女をおいてはいない。その他女性陣が動かすシンポジュウムに載って采配を振るうのは我らの亀さん。余興で力をつけてくれるのはよろずや日本太郎!
裃着用の議員の議論は首都にまかせ、知恵を参加者一体で産んで持ち帰ってもらおうと高岡郷のリサイクル学校を叡智応援の泉に変えてしまうのは必定。いや井戸端と名乗っているのでまだ見えていない黄金水脈に必ず繋がっていることを信じたくなること必定。このほか、2/21、2/28、そして3月13日の大団円にむけネットワーク再興の旗印で三本立てが控えているので引き続き告知をお楽しみに。

メスカ塾告知

2016年2月3日 at 6:22 PMCategory:お知らせ

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ねこ展

2016年2月3日 at 3:55 PMCategory:お知らせ

MYねこ展
 会員の動向が協会事務所に入る。入院したと日南の病院個室からからFACETIMEで報告してくれたのは岩切秀樹さん。病院側も重度の障がい者の入院となると過干渉になりすぎる?対応を経験済みの野海さんも彼の大変さが推察できるようで苦笑いを見せ声を掛けた。年賀状では協会監事の婦人から手術とリハビリで仕事に差し支えそうとご容赦をとの丁寧な文面。婦人ボランティアの草分けリーダーのお一人も懸命な日々のご様子。お二人とも活動でつちかわれた対人関係スキルを大いに発揮されんことを願うばかり。昨年無事退院した納宏子さんは、私生活面での公的ケアの範囲を十分活かし在宅での障がいの老後をくみ上げている。みな自分が編み上げてきた絆をたぐりよせるように高齢期への道をつくっていく。絆は急坂を登るとき引き上げる力となる。そして他者との係わり無くしては絆は編みあがらない。
閑話休題。自宅は猫屋敷と自虐するほどのあり様だが、その姿に癒され、生きて行く喜怒哀楽感のシェアは犬のエネルギシュさ(我が猫屋敷のメス犬の場合)とは対照的でわがまま三昧な分ねこの思考、猫世界の暗黙の掟など謎が好奇心をたきつけるものではないだろうか。今年は障がい者に関する制度上、まず意識改革がクローズアップされるだろう。
紙面で再び連載されはじめた薬物依存者の更生の主たる舞台のDARCも障がい者施設としてやりくりする。今夜のテレビMRTわけもんGTにはダウン症ヘルパー湯川さんが登場するようだ。たしかに障がいを前提に社会参加の窓にはシャッターが降ろされた状態といっても過言ではない。それは高齢化自体が問題化されるのと同じで、あらゆる場面に社会のほうが対応不全を起こしている状況は、想像力と創出力不足で改革が進まなかった結果という段階なのだ。
 そこに、彗星のように新障がい者の登場がみられる。高度な有知識者である自閉傾向の特徴をもつ彼、彼女ら(もちろん難病者へのホスピタリティそしてLGBTと認知されている人達)。それぞれ個性を発揮することで困りながらも社会を活性化してくれている。障がい者が迷惑なんてつぶやきは既にぶっ飛んだ世界2016年もはや節分なのである。
スピード感を発揮して差別禁止法と政策は打たれるが、理解が伴わない限り、個人の危機にとどまらず有機的な補完関係の構築を断ちかねない。ボランティアとて理解への精進を怠れない。そしてますます共生の場の広がりに手だてをしていかなければならない。
 では、発達障害としてくくられる外見上見極めにくい、ポイント的な有能性を秘めたひとたちと共に社会を改良していく方法へと活動のテーマをシフトしなければならない。障がいは医学的見地でラベリングされる現状に、いや同じなんだという呼びかけは声を上げ続けなければ!これまでのように。もし何らかの障がいが見えていてもイクオール。
自身が一番周りに合わせにくく困っている本人から、例えれば「私は猫みたいなところを強く持つ」というカミングアウトを聴きとる時。頼りがいのある対応をとらなければならない。ケースバイケースでのやり方を一緒になって考えてあげなければならない。
 そしてまた、障がいのくくりとは重なるがマイナー認知のままのひきこもりという選択者の存在がケースバイケースの場で、スキルを持つボランティアとして機能している自助グループ層の存在を重視する必要性も決して忘れてはならない。否定や逸脱や競争を止しにして、自らを肯定することで突き抜けて生きる覚醒を得た者らにボランティアのフォースは確かに宿っている。理解の方法の話にもどるが、カンパーバッチが演じたウィキリークス、チューリングの二役は新しい障がいのある人々を主人公として描いた映画であった。歴史的な統合失調症のある人々への対応も含め、我々が正規の発達と断定している領域以外の、隣人が観ているDREAMの中に解決策は隠れていそうなことは大宇宙のことからすれば案外と自明の理である。

広報紙YUI

2016年1月27日 at 11:59 AMCategory:お知らせ

どこか遠くへ 四季の変化を感じながら すがすがしい空気新たな出会いに 嬉しさを感じる なんて 人との出会いは楽しんだろう どこの誰か分からないのに 出会いがしらに会う人挨拶すると心も気持ちがいいよね 武智 秀之

 報道は西日本広域の水道管破損による断水を報じ、自宅が無事な分被害に鈍感になっている矢先、野尻町追分の友人から、風呂に三日入ってなく・・・。と気分転換のメールが届き唖然となる。甚大な被害を身近な家々で受けているのだ。それもポイント的に新燃岳噴火を彷彿とさせる山間部の沃野裾野に及ぶ、しかも同時期。2010年~2011年が蘇る。
 冒頭の詩は、ふれあいの旅やわたぼうしコンサートを毎年楽しんでいるあゆみの里勤務の仲間からのもの。出会いの楽しさが素直に表現されている。そうだ出会いから始まる総てのことは、さて本題に移ろう。

命の水を届けよう

KK羅漢こと川原一之さんの連続講座2/4よりNPOハウス4階にてスタート

川原一之さんは元朝日新聞記者、宮日の新年特集でトップを飾った土呂久のその後連載記事の最終回では67歳で、県の砒素汚染の蓄積データはアジアへ後発発癌性などの証明として生かされるべきだと出ている。どうやら今年の顔となりそうである。我々との関りは平成元年2月11日に遡る。全国ボランティア研究集会が青島橘ホテルで成功した要因は彼に託されていた。そう五郎丸のように宮崎のシーンを代表するゴールを決めてくれた。当時は和解への道筋を辿る裁判の渦中で記者を辞めてまでも踏み込んだ鉱害にまつわる弱者宇宙から天狗党を名乗る横井、芥川、川原らの闘士がニッポン市民活動を席捲した時代が峠にさしかかった頃だった。水俣は現在、地元学から新フェーズに至っているようだが
土呂久はアジアへと救済の翼を拡げている。
 水銀と砒素は繁栄に役立つものとして利用された反面、命の水に溶け込んだとき、そのダークサイドは負の連鎖を巻き起こしてきた。無償を覚悟で誰かが立ちあがらなければ、問題解決にはつながらない。そして遂にはネットワークの力で解決の鍵を見つけ出すことに成功している。その反面汚染は収束に向かってはいない。そしてまた無償を覚悟で次のフェーズへ取り組まなければならない。そんな自明のことを、学ぶ価値は大きい。

複雑系

2016年1月20日 at 5:43 PMCategory:お知らせ

ひとり親家庭、教育資金が困難な家庭、中途退学者、ひきこもり、軽度の発達障害などの中高生を応援します。

ひとり親家庭、教育資金が困難な家庭、中途退学者、ひきこもり、軽度の発達障害などの中高生を応援します。

 ギャゼットマーケットプレースが駅前から消えて久しい。水曜日事務局ボランティアの同志野海靖治さんは、一時居場所として大いに活用されていた。小規模複合商業施設はミレニアムの頃の経済のめぐりにフィットしていた。マチがドーナツ化して、中心市街地から過疎が波及しつつあるとき倉庫群を再構築したセンターは使い手とともにやりくりしていく姿に好感が持てた。電動車椅子のぶらりひまつぶしの若者、壮年も顧客として余暇を堪能できる場であった。駅前にはその他は建物が無く、駐車場として市が利用する以外に空き地まであった。大阪ボランティア協会職員の早瀬昇さんが講演で駅に降り立った時に、この空間の持つ意味と利便性に先進都市では考えられない価値をもらしていったものだ。そうしてやがては、宮崎県の経済成長は止まり、その中心地の余白は取り払われた。ビルが建った北側にあの広場のなごりが芝生広場として残されたのが息苦しさを緩和させている。そして、アベノミクスの号令のもと再構築が動いている。こどもにまつわる保育園は園舎が新築され始め、コンビニや郊外レストランが立地を競い合う。津波のことで海岸線や河川沿いは忌避されたようだったが大型モールの増床計画も出てきた。何より、シャッター商店街だったところに起業の店舗が出来始め我々の生活の舞台も次の進化に駒をすすめたようだ。
 あらゆる手法でタコツボから抜け出る策をニッポン全体津々浦々で模索中。しかしどこかでだれかが手がかりを見つけるだろう、はたしてコペルニクス的転回を呼び込むことができるか、全く考えもしなかった常識を打ち破る動きはすぐ隣で胎動しているだろう。ボランティアにもその進化の断片を見つけ出すチャンスがあろう。経済へボランティア効果が描き出す関数は存在する。教育によって思考の深まりへと誘導が成されれば子供が大人へとなるように、大人さえさらなる思考を獲得してゆこう。しあわせの上昇へと導く思考へ。
1995生まれ。ブランドを立ち上げた若者

1995生まれ。ブランドを立ち上げた若者


 現在、県ボラ協事務所では福祉と教育の出会いと研鑽が日々日常となっている。今度の日曜日には宮崎市公民館で中村暖講演会を開催する。「夢を叶える生き方とは?」たしかに若くして成長著しい若者から聴き取ることはある。そのために生活貧困状況と教育へのヒントを考えて出してもらおうと多くの人に参加して頂きたい。

台所からつくる明るい未来

2016年1月17日 at 10:16 PMCategory:お知らせ

写真(2016-01-17 21.18)
第4回オーガニックフェスティバルは冷たい雨に午後からはうたれた。その分、空気は清涼感いっぱいで、回を重ねるごとにイベント的には進化を見せてくれる。帰り際、ドームのエントランス廃墟に足を踏み入れるにつけ思いはつのるばかりである。そのことは、三戸サツエさんの在りし日のこの場所での姿との遭遇のこと。彼女はリゾートが目前に迫っていた頃、反対しようもない時点でも拡大する前のフェニックス球場横の集合場所に立ち、南の松林群に向かい祈りのような反対ともお別れともつかぬスピーチをした。どうゆう訳か経緯は知らぬまま、車椅子の同志としてマッチたちと立ち会ったのだった。多分なのはな村とか経由だったのかは定かではないが。
そして、短くも美しくリゾートは半分は廃墟となったまんま。
しかし、最小の手はずで駐車場ビルではフリーマーケットがあったりと、愛する一ツ葉時代からこの沿岸は過疎のようでしっかりと息づいてきた。そんなリゾートと連結するようにグリーン博開催のために作られた大植物園空間はニューカマーとして愛され続け、前回と今回の市民的手作りイベントの格好の会場としてみんなを包み込んでくれている。IMG_6018
市民活動は野に放たれるならば、究極のミッションが鮮やかに出現するのであろう。生活の質を問うことが、様々なメニューとして活動となる。食と健康と同様である。このイベントを生み出す側には知人も多い。今回は客にブライアンもいた。英語教師として来日し、宮崎の人になって久しい。チョムスキーのことを教えてくれたり、前の結婚のことで手話もたしなむ。売り手にはニューカマーとしてサトちゃんも玄米珈琲の売り子になっていた。
閑話休題。やがては、三戸サツエさんが寄り添ってくださったように、福祉まつりにももっと開放感と生活の質を選んだ風が同様に吹き始めることだろう。3.11がたんぽぽのわたぼうしのようにこころをたくさん西へ飛ばしたようだ。そして、未来にたくすキーワードは台所からつくるなのだということらしい。都城市の市民活動助成での啓発イベントのチラシにあるコピーだ。われわれボランティア派はもちろんのこと、未来のあるべき方向性をわたしの台所から模索しはじめることが確実な一歩であろう。
雨のリゾートを帰路につきながらこの5年10年20年を思い出さずにはいられない日となった。ここちよいあめだった。