ミラーゲーム

2014年9月8日 at 9:09 AMCategory:お知らせ

スキャン 109去年とは反対側のボランティアセンター前角になにげに椅子を決めた。常連の鳥巣御夫人が控え目にポツンとおられ空いていたからでもある。11時までに間はあったがスルスルと時計の針は上り、ニヤニヤと学生の池田さんが反対側の開き自動ドア前にポジションを決め第一打に備え素振りの様子。司会か?
この多目的ロビーは、パーテーションを隔て指定管理事務所の会場予約受付カウンター部が凹み、かってボラ協事務スペースがミーティングルームを成し、午前は中国語関連で宮崎在住の人が打ち合わせ、午後はわたぼうし会だった。交通公園に身体ならしに車椅子操作検証で出たとき擦れ違った男女は確かに広東語か台湾風なおしゃべりをしながら館外へ。昼食も終わりにぎやかな交流中に入ってきた山田良一会長らわたぼうし会の会員は普段の閑散さに較べ六テーブルを囲んだ満席状態に驚いていた。そんな様子を眺められるテーブルは後に6班となり、たまたま囲んでお弁当もご一緒した人に他の席からトレードと欠席のあゆみの里からの参加、車椅子台数を換算してペアも三人組も含め決まった。他の班もズンズン決まり。簡単なレポートを班で一枚提出して終わった。辻会長は大學リーグ開幕の日曜なので監督業、野海実行委員長と山崎光代、ゼミの学生に託されている。先ず、実行委員が呼び出され、先ず自分から意思表示すること、周りの実行委員に声かける事が一番に強調された。初めての参加者、ボランティアにいろはのいは、伝える事を刻印する。丁度その伝えきれるかを試すのに良いゲームが「青空カラー」を引っ提げ広島・鳥取公演を控えるまあるい劇場からオリエンテーションされ、ペアを組んでミラーゲームに取りかかる。横の岩切レディgagaとのペアのわたしは、右へ左へ(左へ右へ)30センチにエアーミラーを隔て動作や首をかしげ思わずはまった。車椅子とデスクチェアの高さは気持ちのバリアも取り払いいつまでもやっていたいくらい。臨席でくっつき蟲していた森菜都子さんが女優なので、生駒さんにキャスターごと正面に連れ去られて集中できたのもあった。この手のアイスブレイクは数々のワークショップでは効果が証明されている。今ひとつポストイットが成果を生みにくくKJ法を進化できない分、先ずは真似よ!は真理である。ハンディの個性化の認知はボランティア界での到達点でもある。ハンディは隠さず、しっかりお財布やこころの金庫には鍵をして社会と渡り合う、共生指向の障がい者に対するには、真似よ!である。私のゲームペアの岩切gagaは一見派手そうだが、カワイイフアッションが身に付いて、ステップに載せたままのシューズもピンクのアニマル柄。同調してわたしもハットのことが多い。それを取り上げ汗臭いなどと反対側の女優はコカコーラ柄のTシャツで意地悪する。その意地悪とも丁々発止が今度はボランティア側自身の身のため。過剰な甘えにはムチも振るう。そのためにも言葉は鍛錬されなければ。伝えようとする意志に非暴力的対応がマスターできたときボランティア発の社会像は一つ積み上げられる。悪は伝染するから。(このジョークは先週の実行委員会で南さんからの、私の冗談が止まらずバスジャックに及んだ時のリターン)
まだ、一月あるので体調管理を促し2時には解散。その後ボディーガードとして宮崎銀行本店営業部ATMに参加費が吸い込まれ安堵する山崎光代に従い、留守番してくれていた生駒、藤原、原田のおしゃべりに加わり、さっっと夕立雲が街を洗い流すようにそれぞれの感想で振り返り、事前交流会の一日は終わました。とさ。

市民力へのアプローチ

2014年9月7日 at 7:53 AMCategory:お知らせ

IMG_336730回のふれあいの旅の始動・事前交流会の朝を迎えた。60名に設定した定員に遜色のない集客を果し、これまでの無事故記録も延ばす確信も自負したい。それでも明るく立ち上がろうとする不屈の精神にリスペクトするボランティア活動の灯火。たった一人でも動こうとする明かりがほの見えたなら、きっと呼応するボランティアが現れる。そんな見通せる距離感を保つ為に、主体である協会は事務所を33年開き続けている。会員同士の支え合いにより。高層ビルから見下ろせる規模にはならず、一時は退去の命も乗り越えた秘めた力も発揮して、借家の2階くらいのささやかな燈台を維持して建て、活動したい人の登場に応え続けるミッションを堅持。「ふれあい」事業にしぼって。
  さて、写真の新しい活動のイベントに参加したので少し我が領域の活動界を俯瞰してみる。2回ほど前月曜日事務局ボランティアの村田晋吾さん(イケメン芸人兄)と手伝わせてもらったので現在の様子を垣間みる好機となった。若いママひとりの活動が波紋を広げている様子に、アンケート用紙には「また、郷土を誇れる気持ち」と記した。のだが、web検索すると後半の盛り上げ役放浪の作曲家は佐賀在住。前半の講演は人気のある地産みやざき中央新聞編集長だったので、投函してしまったアンケートの「宮崎の井上ひさしとビリージョエルと賞賛した」のは手遅れだが訂正。若いママさんの感涙に会場も言葉にならないまとめであったが、いのちに特化した活動は勢いを得たようだ。感動しすぎるのも活動の身の丈には支障来す数々の事例は当然ある訳である。冷静に舵を執る事こそが必定。できれば手渡して行けるようであれば良い型。それも社会全体のひとりひとりへと。行政の制度化などというおおそれたことより、講師が言う「情」に訴え、それが自然な常識になってこそ夢実現というところか。若いママから泪が消える日も見えてきた好イベントであった。
 
このイベントというやつには、泣きはしないが鍛えられた。ビギナーズラックで800人規模の青島での成功に端を発し、日本財団の豊かな補助金啓発イベント、県主導のイベント、正式委託事業と33年間には、係わった実行委員に格好の学びの場を単発ながら展開してきて、県ボランティアの旗をひるがえしたものだ。
また、会員主体のイベントからも学んだ。古い記憶には「地球村」高木善之講演会なども誘われ聴衆に回った。
(盟友の落合たかみち氏が歌で参加ということで、)環境問題啓発のうねりは大きいものがあった。直後に震災やオウム事件もあり、感動や驚きに人々が活動だましいを揺さぶられた頃だったのか。ただ、組織維持の経費と営利の整理が伴わないと初心の貫徹はかなわないという点もあり、2014年現在はその点はなお、困難さを増している。そう振り返ればバブル経済の余波で活動したい意欲も高まったのか?
例えば、訃報に接し驚いたが気さくな市社協マン、西村寿一郎氏が県社協に出向していた時、上々颱風クリスマスコンサートをぶち上げた。震災前の奥尻・普賢支援ゲリラライブ泉谷しげるを日南大學とコラボレーション。
田野の専門校学生イベント。それに触発された前出の日本財団補助金啓発イベント。それぞれ参集した実行委員は今は散り散り、中年リーダーとしてそれぞれの場で、また活動の灯火を掲げる時を模索しているに違いない。

そろそろ、本日開催の事前交流会に向かわねばならないが、ともしびと云えば延岡市ボランティア協会がコラボする薪能のシーズンイン。市民力市場を名乗るにふさわしい延岡らしさ。当協会の副会長をお願いしている松下会長らの地域づくりの戦略は確固たるものが。夕べ観たDVDと円ブリオイベントが交錯して浅いボランティアともしび論となったが、あああそこを訪ねてみようという燈台の火をともし続ける、活動に目覚めた人のちいさな心の灯火を見逃さない初代事務局長宮田三男の言葉を今日も守りたい。

なお、観たDVDは湊かなえ原作をゴールデンスランバーの監督が爽やかに描いた「白雪姫殺人事件」。参加したイベントはワンオンリーいのちの会から円ブリオの会に進化する講演会。
 

僕らはみんな掛け出しの段差ー♪

2014年9月3日 at 1:36 AMCategory:お知らせ

ハウステンボス写真はなつかしいハウステンボスだが、いよいよ事前交流会{とき:9月7日受付開始10時、11時より昼食はさみ2時までの3時間。ところ:宮崎市原町2-22、県福祉総合センター1階ふれあいプラザ〜旅行説明、班・ペア編制、ゲーム(まあるい劇場メンバー指導)、サポート研修・介助レッスン他)を直前にした最新の実行委員会の模様。
夏風邪をものともせぬ迫力を感じさせる山崎光代から下見の報告。皆、一足先に佐賀へのバス旅に!想像力を全開にして。
スライドショウを眼で追いながら、現場で直面するであろう段差とトイレ、温泉問題に真剣に聴き入った。私は、途中何度か「何だ!わたしのおんな版ぢゃわー」とチャチャを入れるが、下見で対応して下さったイケメン達の優しさに触れ、既に30回の佐賀への旅はスタートしていた。バリアーな階段を協力により乗り越えた先の秘宝は、宮崎の狭い視野に生活する我々を驚かせ元気をくれるのである。先方の社協の手伝いがある有田焼会場がメインになりそうである。辻ゼミ学生を中心に動く実行委員たちにあと7、8人のボランティアが、特に女性が増えて欲しい!!!!!!!人員構成も発表された。現在53名の参加者。あゆみの里の6人以外にはこの日曜日には事前に会える。その事前交流会までに飛び込みの申し込みがあることを祈りたい。表題にしたのは、山下達郎の名曲。「僕らはみんな掛け出しのダンサー」をもじってみた。段差に立ち向かうとき刻む「セーノ」のリズムは解放感に溢れ、温泉のぬるり感が互いの皮膚を通して身体を温める時、いのちの鼓動が際立つ。是非是非、あと7人のボランティアを!そして、無理のない旅を。
下見のお土産の菓子を頬張りながら、実行委員それぞれがわたしにできることをシュミレーションするのであった。車中ゲームの景品も大分揃ってきた。狭いニッポン、段差の社会、格差も!それを狭いながらも楽しいニッポンにシテイコウデハナイカ!今回は特に、(ダンサー気分の)ボランティアのための旅を力説する野海実行委員長も退院して来てくれた。
学生料金20000円は、財布には痛いかもしれないが。お金だって友だち気分で喜ぶこのチャンス!

アザミの唄・納宏子

2014年8月28日 at 1:51 PMCategory:お知らせ

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ボランティア協会は倉庫を自前で持つ。婦人の消費者団体が牛乳パックリサイクルの整理棚、あと半分は北海道~韓国へのふれあいの翼事業の遺産。その中からシャワーチェアー2台を引っ張り出した。なーんだ田野の学校にご面倒をお掛けした分、解散する頃には、寄附できるほど痛んで無いのである。ただ、歯付座金1枚がソウルのホテルの隅に転がっているはずだが。
いよいよ佐賀の旅も近い。組み立てて、最大の難関である温泉シーンをシュミレーションできるではないか!7日の事前交流会で使用してもらおう。もちろん着衣で。
さて、ここからは、回顧録で「アザミの唄.納宏子」を紹介する。
協会理事で月曜日事務局ボランティア担当の菊永恵子さんの受賞結果発表を待たず楽屋を後にした34回わたぼうしコンサートだったという。
協会とわたぼうしの連携を今も繋ぐ役割を果たしてくださっている納さん。協会初動期、彼女がかけた一本の電話がバタフライ効果となり、数多くの障害のある仲間とボランティア、家族、社会へとふれあいのさざなみが拡散していった。ぼっけもんの条件として人をビックリさせたい精神が必要だが、彼女のちょっといたずら少女感覚はスマートで、永遠のアンなのである。戦中派で長女として生を受けてから、伏しての障害生活はちょうど中年期に差し掛かる折り返し時点で第二の生に胎動をはじめる。もう一度、今度は社会という世界に生まれ落ちるために、握りしめた受話器は、たらい回しの末、29-2949に遂に繋がった。木曜教室を立ち上げたばかりの事務局関係者一同は、俄かに産院のナース体制で彼女の到着を待った。長机に毛布を掛けて寝た姿勢で教室に参加できるように。生後間もない40代の赤子は、それから20、30代くらいの家庭教師ボランティアにも囲まれ、もちろん同世代のおかあちゃん友達もできてドリームカムツルーのお姫様状態に。そんな解放感の躍動をかぼちゃ姫とステージで発表したわたぼうしコンサート。この楽しい家出感覚は共有化せねばと作詞投稿者の集合を呼び掛け、呼応も中途視覚障害の男性、松浦哲也氏らとつるんで開花した。その初回の組織内で得票が多かったのが「つくしんぼうの会」本人の心情からいえば、当然「アザミ」だったのだが。
当時の市民福祉文化シーンは、局アナの東治男氏をわたぼうし会会長に据えダイレクトに波及する勢いがあった。
具体的に新生、納宏子ただ目立ちたがりの夢は、ステージのみにとどまらず実生活にも改革は進んだ。バリアフリー化は、今となっては定年も近いが、バリバリの新人公務員岩浦厚信氏のアフター5の働きで排泄自立の改造、そしてイマセン号上下式電動車椅子の到着にいたった。
月日は流れ、一足先に後期高齢者になり、介護保険法との折り合いも新たな経験、賢母の他界で完全自立。
流石の猛者も、姉妹同居生活の今は、半分はひきこもり半分解放の数奇な人生を振り返り、にんまりと過ごす日々のようだ。
しかし、あざみの野に生きる精神性は彼女の紛れもない望んだとおりの生活。さだまさしや小椋佳の王子の歌に安らぐ静かな生活。
シャワーチェアーのエピソードに戻るが、あざみ姫も海を飛び越えた。
一緒に漢江やらの散策にはつきあえなかったが、まだこの先、何が待ち受けるか?とりあえずは12月7日に関係者大集合の還暦祝い倍返しは目論んでいらっしゃる。そうアザミ姫の白馬の王子様たちも、前髪薄く還暦となった。とほほ

猫の殺処分数減少を県との協働事業で目指してみよう、共に

2014年8月21日 at 3:02 PMCategory:お知らせ

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宮崎県NPOポータルサイトをご参照(という鶴島・県NPO活動支援センターからのおすすめより)すると愛猫家には他人事ではない内容。
かって、「死体運び屋」と朝日新聞地域版日曜コラムに記録作家川原一之氏が紹介記事を書いてくれた私は今や古家で11匹のネコに囲まれ、隣接地区には迷惑をかけている。社会全体を俯瞰する行政としても無軌道に繁殖し、特に衛生面上問題解決を迫られる動物愛護事業に地域と手をとりたいという主旨がわかりやすく示されている。協働が目指すウィンウィンでかつスマートなハンドメイドな地域づくりに手を上げよう!と賛意を送る。
 もう少し、作家の昔話に戻る。その頃送迎ボランティアだった私は、車椅子をたたみ、お姫様だっこや王子様支えで自家用車から昇降したナイスな友達を目的地へと走り降ろしまわった。そんな活動、実は降ろしてからヤンヤとイベントにも混ざるという目的があったから無償でできた訳で、人を掘り下げる作家には私の本質を言い当てる能力があるので、普段は新聞販売の仕事で走る途中、深夜に轢死した猫を埋葬している噂をスクープしたのだった。彼自身も土呂久鉱害訴訟で住友本社前で座り込む闘士だったので義を見てせざるは勇なきなりであって、生きてる仲間はもちろん死んだ猫さえ大事にする変わったわけもんとして描いてくれた。モータリーゼーションの功罪で撥ねたりぶつけたり、怪我を負わせたりの人間模様の中で、実は隠すことのほうが多いのだが賞賛はありがたく受け贖罪も忘れないようにしてきている。いのちそのものに視点を向けるそのうちに、事柄はたいせつに丁寧に扱うか、気持ちだけ寄せて余計な事には手出ししないという心鏡も曇らせないように気をつけるように道は続いてきた。一匹の死体にそうも立ち止まってはいられないので、その場の最良の選択で済ませるが、死体運び屋当時は、わざわざショベル持参で杉林へ埋める行為に奇異さを感じない程、思考が狭かった。多分カルトに走る若者にも似たこころばえだったかも。心理的抑圧との葛藤があったのだろう。狭い正当性で重い蓋を上から載せておくと充満したエネルギーは逃げ場を失い爆発する。そんな大迷惑を繰り返しながら徐々に人間性を会得しつつあった頃を忘れはしない。
 そんなタイミングでボランティア協会の事業中心に行動していった。嫁さんはボランティア365のOG。それまでとの異分野な活動は新鮮で、蓄えてきたエネルギーは存分に無償の世界に放出でき応分の貢献の手応えも決して小さくはなかった。社会が舵を切り替えたので、そのままNPOの世界にも移れた訳で、スタッフライターとして協会の今日を記録している。こうやって。
 話を本題に戻すと行政は段取りをつける!のが仕事で、地域の人を立ち上がらせるため協働を仕掛け、その仕組みをNPOが考え、まだ機運が盛り上がらないので少数者が取り掛かって波及効果までは及ばないのが現状。教育分野が得意とする手法に頼らず、できそうな事に手をつけ始める簡単性から動き出すヒント=いのち。いのちとは、「いのちそのものに視点を向けるそのうちに、事柄はたいせつに丁寧に扱うか、気持ちだけ寄せて余計な事には手出ししないという心鏡」のプロセス指向でいたほうがわかりやすいと今日の私は結論づける。
 動物愛護事業が、核心の人間同士の愛を深める哲学を含むことを願って、本日の作文は終わり。カムサハムニダ。
写真は、協会の湯呑じゃわんに書かれた「日本青年奉仕協会のプログラム一年間ボランティア参加者が陶芸で試作した寄贈品。通称さんろくご、は全国各地に青年協力隊や、森づくり若者事業、同様フルタイムボランティア制度を利用して活動家の卵として育った人々への」オマージュ。

ザ・ボランティア笑・夜明けは地球の笑顔と供に

2014年8月20日 at 11:52 AMCategory:お知らせ

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市街地から海岸線4、5㌔に平行して走る道路に建つ病院に、精神しょうがい手帳を持つT.M氏と同行で野海靖治さんを見舞った。317号室は手前にご老人が臥しておられた。椅子と車椅子を広げ漫談を始めたふたりに眼を細めてくれた入院患者としての実行委員長は、電動という銀翼を失った喪失感写メされた2枚に映った憔悴は抜けたようで、会話中に咳き込む事もない。
気になっていた事にも、スラスラと応答してくれ、イ行の凸音が苦手なところを繰り返して理解させる技も取り戻していた。ラジオ出演前夜に異変の自覚があったので、サンシャインFMへは行けない、欠場をメールで知らせたとのこと。優香のコンサートには代わりに行こうかと意地悪言うと、絢香には絶対行くと打ち消した。この正確なリターンが、勘が戻っている証拠。行動力で蓄えた引き出しの中味もキチンと整理されていて相手に好感をリターンできる。ドクターの回診と、痰の吸入にナースが訪れたが、我々同様自由な応対をされていてストレスを目立たせない病院のポリシーも垣間みた。
お盆入りから俎板の鯉状態であったろうに、今回が自立生活での初入院ではなかったことも幸いしたのだろう。
ブラインド越しには、南の市街地が広がっているが燃える太陽の時間にははばかられる。YAH!DO自立室跡青葉町54番地方面へも視線が届く。その当初、T.M氏が夜の尿意解消のため近いアパートから駆けつけるという場面もあった。そう、初心者マーク同士の路地での激突流血騒ぎなんていうのもYAH!DO時代。二十歳の若い女性と三十路の自立開始男子は自動車と電動で見事に激しすぎる出会いを、一度だけのをやっちゃった。
そんな風に伝説を作ってきた男が45歳の余裕を病室で展開している。
笑顔のドクターの退院の目処の良かったの弾む声に、臨月らしいナースの優しい仕事ぶりに、笑顔で応対する余裕。その余裕が醸し出す笑顔。笑顔が産む更なる余裕。
(写真:横になったままで、眺める夜明けはこんな感じだろう)
我が宮崎では毎朝、太平洋に向かい夜が開け、上機嫌のときは、笑顔の如く空が海空をピンクに染めて笑うしばし。
街へ出る電動が、ボランティア交流で笑顔を運ぶ日々の再開も近い。
60名の笑顔が塊になって佐賀に出かける10月。その予行ももうすぐ9月になれば。
下見の様子の次回実行委員会には復帰してるだろう実行委員長。笑顔をあびたい人は是非。

弱さパワー・野海実行委員長緊急入院に寄せて

2014年8月14日 at 11:26 AMCategory:お知らせ

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咳き込みの激しさに、掛かり付けヘルパーどこドアの幹部に大島通線生協病院にERされたと、火曜日事務局ボランティア生駒氏から一報。さらにふれ旅にも個人参加するヘルパー黒木氏より詳報を聴く。
ところで、春夏秋冬を駅や福祉センターを中継しながら街の散歩を日常とする電動の人を想うに、我らそれぞれの持つ弱い部分こそが光を放つことを考える。弱く汚いと避けていては、とんだチャンスを逃す事になる。たまたま厳寒の駅前交差点で洟をたらし不快そうな氏とでっくわした時、駆け寄って首の手拭で顔をぬぐった時があった。氏はスッキリし、私は現れたハンサムな髭面にうっとりしたものだ。すぐに行き交ったが、わたしの方に美と云うものを識った気づきにごちたものだ。
自身を振り返っても、組織的にもぺーぺーでなさけなさばかりの頃に記憶をもどせば、もがいている自分の姿にこそリスペクトできることに確信を持つ。もーダメです。できません。と演技がかってるかにみえても底の底に近づく事ができると、そこに案外ぼんやりと光が発していて救われてきたものだ。そう、春や秋がゆっくりと自然の安心な成り立ちを操作してくれるが如く。
ベッドに居て、ナースや医師の適度な、もしや過剰な気持ちを込めたケアを受けているだろう野海さん。回復すれば再び街に出て風来坊として好奇心と勇気ある人々と交流を重ね、秋には本番の佐賀へ旅団を率いる。
常識的には情けないことが、ちょっとしたケア交流のきっかけとなることの実験台を認じながら。
もし、咳き込みが収まらぬ電動の人に遭遇することがあったら、気持ちだけでいいのである。少しポジションを整えてあげられれば、尚いいし、気持ちだけでもちろんいいのである。歩道でたたずんでいると、勝手に反対側に連れ去られたというおせっかいボラエピソードは、野海氏のリスペクトする松兼功氏の著書に出て来るし、よく甲斐聖二氏がライブのMCに言うものだ。
写真は、宮崎・国富でも公演して行った北欧のバンドEKO.弱さパワーを炸裂させて帰国して行った。

歴史は西橘通りナイトで作られる

2014年8月12日 at 8:52 AMCategory:お知らせ

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今夏、2回車椅子のシンガーソングライター甲斐聖二氏より無駄話の電話があった。老犬たちとの浅草雷門7階での生活も永い。池さんというボランティア活動家の名が黎明期のみやざき若者福祉シーンでは回顧されるが、元祖・宮崎大学学園生活のメッカ神宮西町に施設/整肢学園〜野菊の里からアパート紅葉荘の一室に舞い降りたのも彼らの尽力ありと聞く。80年代初頭である。同時期評価を受け始めた在宅の猫画家斉藤泉氏との相乗効果で彼の方は写実力を売り物にした二人展の勢いもあり、まだ新進画家の呼び声を受けた若干二十歳前後の脱施設生活の始まりだった。
口先にくわえ歯で固定し脳の指示のまま、あるいは頭と首の微妙な振動をカンバスにぶつけた点描を駆使し、質感までも正確ななぞりは若者の奔放さも明るく表現した。しかし、音楽の虜に若さは傾き、一気に全生活を自身の音楽活動と気晴らしに傾注する自家製自立生活に飛び込み、未だ泳ぎつづけている。
概要は以上のようだが、初回のNHK宮崎放送局の番組化以来、特にUMKテレビ宮崎、上阪後のTV朝日の番組、レポートなど話題に上る存在感の方が、秘めた(公言しすぎ)紅白出演のタレント性は諦め気味だが、先進医療の施術体験として果敢に手術台に乗る医療番組へも顔を出す事で、障がい者自身の発信は続けてくれている。
長い前置きになったが、自立支援法以前、おもに夜の西橘の行きつけのスナックのリラックスでデラックスな福祉放談が当事者主導でどこそこで行われた。元気すぎた者たちが自分で縁を築き、掛かり付けスナックを開拓し、友人を繋ぎ、客を確保する事でホステスらに貢献しながら経済にも参画した時代だった。財源が年金と細々と働き得た賃金を合わせた、(甲斐氏の場合、勘が良く銀鉄球技の報償加算も一時はあったかも)お宝であればなおさら、彼らはボランティアを引き連れ痛快に呑み謳い夢の中に居続けられた。
中置きも程々にして、甲斐氏の電話は、再び手術を東京女子医大で今月中に受ける予定と、手術日が早まったことだった。インターネットで知る旧友たちの様子で消化不良の分を、電話してくるところは術前の心細い心境なのだろう。うまく聴いてあげられなかったかもしれないが、無事と成功を祈ると応えて切り上げた。
写真は、甲斐氏ならずも行きつけの数件の広い時の花紋。松浦哲也さんや東治夫さんとの縁が始まり。当時現役の仲間の家一年間ボランティアや、稲垣政安氏、中村幸広氏などと。背筋が伸びたのが甲斐氏。

ボランティア身の丈論(写真は、第1回ふれあいの旅。飫肥へ大盛況)

2014年8月11日 at 10:15 AMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

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NPO法に参画する前に、協会のビジョンを描くのに「身の丈」にあった現実的歩みをという見識があり、しかしそれを現実に出来ないまま走り抜けた経緯を記憶する。今となっては世の中にも許容範囲というものがあり、そぐわぬものははみ出してしまうという教訓を言われていたのだと良く理解できるのだが、ペースを保つ知恵が回らなかったようだ。数百人規模のふれあいの旅人気もその筆頭なのだ。福祉から世界を変えようと大きく出たのは確かに良かった。しかし、経済発展の力に振り落とされたか、便利さは得たものの、貧困や規格外視される側がちりじりにばらけた自由社会というところまで物語は進んできたようだ。あげくに頼りの経済が破綻中という見識も嘘とは言えないかも。世の中自体が全体の身の丈論に知恵を注がなかったとも。
今、60人規模でそれほど波及効果も目立たないかもしれないが、淡々と実行委員の手で進捗するふれあいの旅は、次年度の募金助成のプレゼンも控えている。まさに身の丈にあったふれ旅をしばらく継続出来ている。母胎のボランティア協会の方は相当スリム化されて事務所維持に徹する。
福祉を変えようビジョンは写真の第1回の飫肥に置き忘れたままに近い。ボランティアは参加する福祉と訳され進展し、災害時の貢献は定番となっているが、目の前の気づきに動く学びの本能的実感は便利さと引き換えに薄れる。それぞれの生活レベルで助け合える自己完結型社会を構築するなら、身の丈を測る心配以前に、どう変身したいかデザインの愉しみを試行錯誤できる。案外、若草通り界隈でもごく一部の若けもんが履いたロンドンブーツなる、所謂下駄があった。そんな奇抜な意思表示が硬質した社会の柔軟許容範囲を広げる。身体をくねらせた電動車椅子の人が行き交う社会づくりの仕舞い込んだままの旗を、ふれ旅の時ぐらいは降りながら佐賀に行こう!

30回ふれあいの旅・メディア情報

2014年8月7日 at 3:27 PMCategory:「ふれあいの旅」エッセイ | お知らせ

ふれ旅30th2
務所に初めての参加者から友達の申込み用紙も取りに来ると嬉しい電話。ここのところ、台風ばかりなので参加者の襲来は大歓迎!そして、メディアを通じ一番訴えたいところは!ボランティアを増やすこと。人間として生まれたからには、大いに楽しんでボランティアしよう。毎日がどこかでボランティアが生まれている日。障がいのある人がその活動の仕掛け人。さあ、新聞記事で一人のボランティアをゲット、今日8月7日からは、ケーブルTVの番組内でも告知が始まる。下見や広報も猛暑の中動いている。
恒例のラジオ出演も8月12日(火)朝の生。車椅子が3階のスタジオに入るというので紹介者の活動センターのコーディネーターをヤキモキさせたが、トラブルが無ければ活動じゃない!と言い切る実行委員長はじめ場慣れしたメンバーは毎日の生活の楽しさを説くことだろう。おせっかいでも良い。昔はほとんど婚活シーンだったボランティア。下心ありありでもそんな小さな動機から知的に人間は成長する。あと、34人くらいの定員枠のようだ、さあ、申込用紙に手を掛けよう。佐賀で美味しい旅が待っている!そして、メディアやポスターの力にも注目!一番不思議で底力を持つ何かが通じ合うボランティアシーン。