おひさまプロジェクトa.k.a.アザミ姫

2017年3月1日 at 1:07 PMCategory:お知らせ

梅子さんは興に乗ってきたと見え、シコをふんぢゃった。土曜日の午後、地域コンサート5月開催がおぼろげながらも見えてきた有料老人ホームおひさまにおいとまするタイミング。五嶌さんには納宏子さん紹介でぎっくり腰を診てもらった恩もあるが、現在は三ヶ所の介護サービスを手がけておられる。その場を地域密着型展開として、利用者の納さんが面目躍如で仕掛けを投げ会談はよいスタートをきった。

そもそも、一昨年の退院を機に病院主催で話し合いが持たれたとき、当事者の主張をバックアップするため五嶌さんと私も地域自立生活の応援者として顔をそろえて今がある。もはや介護保険制度の枠内での選択を余儀なくされ、あわや施設入所が先行し気色ばんだ空気も流れていた。40代後半からの家を開放し、自身で外出する力を得た納さんの存在アピールはわたぼうしコンサートをメインに失われた成長を一気に加速させ、ウサギに追いついた亀のように生活を展開して行った。そして多くの賛同者、後に続く自立生活者へ先行く仲間となった。

しかし、かってのようにはボランティアが寄ってはこない今と、老いへの階段が立ち塞がる現状に至っても、湧き上がる共生への欲求は枯れない。後見人制度で親身になる存在が増え、その彼女の趣味の楽器演奏を喜んだと同時に、施設改革案までも考え始めたのだった。

そこで毎週顔を合わせる利用者が梅子さん。うちとけるきっかけを互いに見計らうのか辰年の二人。他の男性らもサイモンとガーファンクルのブックエンドの歌詞のごとくポツンと座して日々を淡白に送る様子。その精神的沈黙空間を打ち破りたいとの秘策が納さんの頭脳では芽吹き、取り巻を動かし、気心の知れた経営者もけしかけ遂に決行日までが見えてきた。

思えば、いつもそうだった。激励しているつもりが知恵と勇気を吸収させてくれ、運び役のつもりが舞台の袖から役を果たせるまでに育てられた。今回も生死をかけるくらいのモチベーションが自然と移り、波及効果間違いなしのイベントへと力が集まりだした。一番ブレイクした還暦大パーティーから16年経った今年、相方の友井絹子さんが10年前に逝き、一周り若い菊永恵子さんが闘病の床にあるのに較べたら孤軍奮闘する姿は静かさと崇高さを増し続けている。改めて彼女の生き方にアザミ姫の冠を捧げる次第。

吉都線

2017年2月22日 at 6:22 PMCategory:お知らせ

明日になれば、鉄道で旅する車椅子たち。ファシリテーター講座の交流会で人気者だった坂本夏美さん。自立生活への虎の穴で半年過ごした野海さんの若い女性版となっている部屋に行ってみた。主目的は田中達昭会長の墓参だったが、元YAH!DO事務所、歴史的にはほうれん荘長屋はシークレットでアノニマスな団体事務所も連なっている。これ以上解説してはならないが、夏美さんには後ろにはかって「BARきぬこ」があって人つなぎに懸命な命を閉じた友井絹子さんが住まったことを知ったかぶりした。夏美ちゃんも「私が初参加したふれあいの旅、阿蘇でも二次会に出たのが自慢できる、今の飲み会では外交的になれる私っ!」とキラキラした目をまたたかせた。

そのふれあいの旅が当然の如く鉄路での旅だった頃。京町温泉へ繰り出した。武智秀之さんなど小学生の頃。そんな懐かしい、しかし、鉄道での旅という選択肢が車椅子利用者に難易をかける未来となってしまった。その暗雲をはねのけ、どしどし出現することで社会のあるべき姿を体現させようとこの4月1日でまる一年の法律の可能性をたぐりよせる活動が本年度の終わりを飾る。

差別解消に向け、1から10までの問答をまな板に載せる。率先してそれぞれの意見を出しやすい雰囲気、風をファシリテーターは起こし同じテーブルでの議論の広がりに身を任せる。知らされないことの何と多いことか。狭いタコツボの中でよくも生きられるものだ。その殻を車椅子の出現やこころの病や難病や、感覚が過敏すぎる知覚、キラリと流星を光らせる頭脳の持ち主やらが八百万の神様のように同時に同時代に存在することで開かれる可能性。

そんなことを目指すタウンミーティングが今後3ヶ所で開催される。おためし企画で手ごたえを感じたファシリテーター諸氏と、都城(高崎)延岡、最後の日南(自宅)と旅の一座に加わるのが岩切秀樹さん。野海さんは自立生活のトイレ改造に向けて動き出したところ、彼曰く「いろいろある」。そして、差別解消へ向かわなければならない。

全身全霊

2017年2月22日 at 6:20 PMCategory:お知らせ

少し事務所入りが遅れた。待ちわびたのか野海さんはメールと指示。気分は稲ちゃん流にばかあー!!!!!だったかも。メールには本日の日付が入り、旅日記出版のことと、日本福祉大学通信制への一年間継続申請の手続きの用件が。PDFへの記入に手間取り、郵便局へとあせる気分の文豪をトイレ休憩の後、送り出した。しかし、ほどなく雨にたたられ帰還。ばかあ!!!!!な気分が深まったようだ。そのばかあ!!!!!にひるまず、稲ちゃんの後継者としてどしどし外出活動に励むように応える。タイミングよく飫肥の岩切秀樹さんよりFACETIMEがかかり、明日の都城(高崎)同行を打ち合わせた後、封筒に収まった継続願書を写し勉学ムードが広まることとなった。

さて、ボランティアセンターの印刷機器ブースが撤退した空間、ワーキングルーム入口に雛人形が飾られた。

ひとが発する全身全霊

不随運動がしょうがいと呼称され、差別の心に油を注ぐと考えがちだ。しかし、静観すると不随運動をうまく制御して、電動車を運転し、ちゃんと7000円也の車の保険にも入り活動する姿は全身全霊をかけている。一方で行動に慣れた大人たちは随意に身体を使っているようにもあるが、いつも真剣さを伴ってはいまい。加齢とともに眼は焦点をぼかし、排尿機能にも不随な兆候が出始める。これは実感する。元々不随なひとがたくみにそう、全身全霊で自分と機器をあやつる姿は学ぶべきである。全身運動こと健康維持のベースである。簡単にできてしまっていては積み重ねや改良、工夫の知恵も育たない。そんな流れで加齢に入れば危険なはず。

だから、みんなが求めているボランティアってやつをやってみるってのはいかが?それこそ全身全霊で取り組めば結果は安心につながる。手助けを求められている瞬間、全身全霊を傾けることで相互関係が成立しうまく行く。また、両者とも余計な怯えを消し去る全身全霊さこそが無我であるともいえ、限りない力を自らの中から発し、やさしささえ帯びる。誰とでも交信可能スキルを身に着けられる。意識しなければみんな同じ人形。そこに全身全霊を傾けることでひとらしさは身につく。対象に全身全霊を試みることで意外と真の自分も開きはしまいか。ボランティアは無償性を越えた全身全霊性を試す活動である。

板子乗降臨(2/15未掲載分)

2017年2月22日 at 6:09 PMCategory:お知らせ

今夜は観劇ということで、食事は帰宅後という野海さん。和田祥吾さんは帰宅してふれあいの旅の報告書編集ということで早めの退散。何かしら穏やかなオーラの女性が古切手を持参されていたが何やら見覚えのあるキャラクターの印刷の布カバンだった。記帳されて去られたが、アッと気づいた。西米良村のキャラクターだったのだ遠路社協関係の出張だったのだろう。野海さんは西米良、諸塚、椎葉には行ってないと口を挟む。同様に城戸さんも。私は2002年に椎葉神楽の洗礼を受けて以来、グリーンツーリズムの研修にも参加して諸塚へも、西米良の温泉を早朝に地元のボランティアが清掃するのが続いていることなど知ったかぶり。特に、2004年には、当時のJYVA365現役が集結して派遣先の諸塚村で年越しというイベントに竹内周作さんと藤元袈裟義さん(故人)と参加させてもらった記憶。何しろ第4回ふれあいの旅が米良の里という稀有な行先だったという逸話は、当時の事務局長野戸哲哉さん(故人)がかって国民保険の啓発に回った懐かしい地に回帰したいというアイデアが可能となった。原田恒夫さん(故人)は教え子から調達した運動会仕様の花火器具を持参して、名高い山並みの大轟音の花火を一発だけ上げて気勢を上げた。

さて、旅も近い。うきは市社会福祉協議会から丁寧な確認とお願いの電話が入った。選択した分科会は、国連関連機関の講師が来たり、目を引いたホームレス自助活動「ビッグイッシュー」の事例だが、参加者からもレアな話題を提供してほしいという。すかさず宮崎DARCがこのセンター地域で展開している旨を伝えた。ボランティアプログラムのことをつっこんで確かめられたが、今は寄付や市民が物品購入で支援しているくらいと答えた。最後に、国連関連の多分フェアトレードのような茶菓を持ち寄るので、ぜひ、宮崎ならではの茶菓も持参をと絞められた。3月4、5日大野城市を会場に研修会も詰めに入ったようだ。前日企画へも「ひょうたん島」3/3(金)18:00~20:30にしようか。宿泊は鳥栖に取ったので、近場がよかろう。ひょうたん島はコピーによると宮崎から全国へ発信した「しんすけの店」一家を想像させる。しんすけさんご自身は、作業所の業務としてセンターにも顔を出される。はるかTV番組の感動を確かめに宮崎ならしんすけさん伝説は多分生き続けているだろう。

さて、表題の板子乗降臨にはあべゆう(こふく劇場)や実広健士(グループ連)といった馴染みの役者さんも出られる。板子とはサーフボードを指す、我が野海さんも板子の上で、旅日記を身体のバランスよく書き綴る水曜日のボランティア協会事務所。

初代板子乗りは和田祥吾さん

ふれあい編集

2017年2月15日 at 3:24 PMCategory:お知らせ

いきなりFBのチェックしはじめた野海さん、昨夜の関テレのドラマの会長と同姓の占い職の方が、逆に私が癒されたとの書き込みを見せてくれた。次に見せたメモは納宏子宅の完全バリアフリートイレの見学をしたい。流石年男気合が入った春の日々。

さて、ふれあいへの同封をする旅日記を編集する段。受取ったメール添付を開く。2段落目をコピペすると、3年前のまちの様子が活写されている。以下「野海靖治旅日記奏でる編5から先行掲載」

3月に入るか?入らないか?くらいに南宮崎駅にエレベーターが設置された。僕のアパートは南宮崎駅が近いので、今までは一応、南宮崎駅で乗り降りする方法があったけど、線路の上を渡らないといけなかったし、乗るときに一番、大事な切符を買わないといけないから、階段の上にある改札にいる駅員さんを呼ばないことには乗れなかったから、自分で電動車椅子を運転するか、送迎サービスを使って、宮崎駅まで行った方が早かった。僕にとっては、南宮崎駅にエレベーターがあることでだいぶ、楽になった!

本日は、この原町界隈、江平のPAみやざきでファシリテーター講座。明日はジャイアンツキャンプでにぎわっている武道館の研修室でファシリテーターなりたての面々によるワークが展開され。順じ県内で当事者意識を伝える力を育てる構想がスタートする。4月2日にパレードと銘打って祝賀会も盛り上がった「障がい者差別解消法」発布イヤーを年度として締めくくり次へと行進するチャンス。野海さんは別の団体の方に時間を割いているようで、本日はジパングを名乗る岩切秀樹さんはそろそろ東京からの講師を迎えるPAみやざきと合流する頃。電動車いす搭載のより負担の軽い大型機に搭乗する関係上、午後の便を迎える。自立生活支援的おもてなしといったところ、こだわり。

水曜日の相棒、野海さんの視点はメリハリを利かせ、かつドタバタ的にカフェにつどう人々との交流をポジティブに描く。その野海さんは福祉センターに掲示されているどのポスターにも障がい者の文字が並ぶことに本質的な違和感をもらす日々。的を得ている。障がい者、障がいのある人と規定した時点で抜け落ちてしまうことの多さ。誰でも、どなたでもというコピーが定着しない限り、もろもろ解消する道へ方向が定まらない。

旅日記執筆の合間に少し午睡。

人という字は支え合うという文字の由来を教えてくれたのは、阿羅こんしんこと大友慶次さん。JYVAボランティア研究集会に運営委員のパシリ役として時間を共有できた昭和末期、先のオリンピック選手村跡地を研修宿泊センターに活用していた昔話。まんだら国も名乗り福祉系公務員職の枠を越えたフットワークは77歳の今春も全国を行脚されている。近場では大隅横川駅の駅長室に滞在し交流をされる。高城町の後藤商家でもアートステイされる。彼の通信「むぎばたけ」によれば今年は縁のできた方との再会を期して東北をさながら奥の細道のようなドライブをされる。決め事は戦後の日にはかってはグランドゼロでもパフォーマンスをされ、国内でも支援者の11弦ギターの明石現、師匠の辻幹雄さんらが加わりイベントの質が深まる交流の場面も。日本人政治意識脳天気を嘆かれながらも今年も行く先々で知も愚もないよとの思いを深める行脚。

我が野海さんのつぶやき障がい者といってしまわない実践を、ふれあいは伝え続ける使命を持って続けましょう。

マーシャル風おもてなしとは

2017年2月8日 at 5:16 PMCategory:お知らせ

辻会長宛名の郵便物2通を公立大研究室にお届けした。直接顔を見せるのは珍しいことで驚かれた。先日顔見知りになったヒューニコル先生は退官されたまの勤務とのこと。念のため開封していただいたものは事務局に持ち帰った。そしてメールでの広報がこの国際交流講座。タトゥと記されたフライヤーを良く読み込まないと誤解するがなあとおもいつつもワールドワイドな考え方がいることは間違いない。

南太平洋への風

さて、本日の野海さんはメールでリストを送ってくれていた。何やら忙しいにもかかわらず副会長を安請け合いしたようで、県福祉総合センター本館の利用の仕方を教えてもらいたい一件もある。トイレ後に管理室の方から親切な説明をお聴きした。まず、使用団体の登録を済ませ、そのためには団体の規約等の提示がいること、その認証後は当館のサイトから空き状況を調べ、申し込みはメール等でも可ということ。多分どこのセンター利用も同様だろう。ただしふれあいサロン部分は少人数であれば開館時間内は自由に利用可。

そこで、マーシャル諸島のおもてなしと題された講演から期待できる考え方に考えをめぐらす。

我々がNPO的運営を学ぶ過程で非常に参考になったのが加藤哲夫さんからの発信だった。ボランティア初期には「わかる福祉」だったりJYVAからのグラスルーツ、現ウォロ(月間ボランティア)だったが、仙台市で開業する自然食品店の一隅でカタツムリ社を置き市民運動のノウハウ書的な出版を精力的に展開された。残念ながら震災が小康状態のころ数本の縦糸横糸を編みこんだ一大タペストリーを残し逝かれた。その出版の中でも注目を集めたのが「覚醒のネットワーク」上田紀行著であった。悪魔祓いというスリランカの風習をフィールドワークされて見えてきたものに近代と対峙する知恵があることがおぼろげながらも知らされた。

協会界隈でも、シェア団体がIT教育を得意とすることで今どんな悩みが世間に渦巻いているか福祉の枠を越えた解決策の数々が飛び交っている。そこでは「困っている」がキーワードのようで当事者が「困っている」ことをケアできなくて「困っている」という失礼だが滑稽な現象から抜けられない様相。それを解きほどく方法として、元来ネイティブな世界では魔術を使う。しかしそのプロセスは人間の根源の回復力を呼び覚ますことのようで。ひいては近代化と引き換えに失った力だと思われる。

もう少し、自然や原型というものに習う習慣をこそとりもどそうと文化ひいては経済そしてかじ取り役の司法行政にも変化をうながす思想の多様性を学び続けたい。

野海さんのかかわる団体しかり、これまでボランティア協会が知った活動しかりグループ運営の段階からビジョン到達までには当事者たちの知恵のみならず魔術的要素の必要性もありうる。沖縄から吹く風は進学当然ではない世界から多様性が育てる人の輝きらしい。さらに南の世界が染まることなく地場の常識を形作ってことを知ることとなろう。その魔術性に正義が問われなければならない。

水曜日の事務所は喧騒と混沌とわいわいがやがやで定時が過ぎようとしている。多分この異様な熱気が知らず癒し効果になっているはずだ。わいわいがやがやで行こう!これからもずっと。

NATIONAL JAMS

2017年2月8日 at 3:03 PMCategory:お知らせ

宮崎市浮田(生目中の南)岡田整形外科のデーサービスを会場に、楽団が大分、ここ、綾(本日/今夜)と旅演奏にやって来た。前日の朝からそわそわと愛犬の散歩に下見した会場は、野球のキャンプ地のドームがすぐにある田園をぬう大谷川沿い。お目当てはスティールパン奏者の山村誠一さん。雷小僧型の髪型の容姿は一昔前パリャーソのツアーの時と不変で全体的にふんわか。唄無しと銘打つが佳境に達したときにベース奏者と歌った南アメリカ国家には底知れぬ抵抗のソウルを爆発させ、ほとんどが車椅子か療法士衣のデーサービスの老若男女を圧倒した。

抵抗と夢の実現を歌う

珍しい楽器の数々は、ドラム缶を改造したスティールパンをはじめとして、カリンバ、太鼓類、「この世で一番受けたい授業」のようなレクチャーつきのMCで厳寒なれどポカポカの田園から一瞬にしてアフリカ、つまり人類の故郷へ雛人形の並びを合わせると百人の観客を連れ去り、無事デーサービスの日常へと連れ戻す魔術のような時間だった。一ファンではあるが、このアフリカン楽団としてのメッツセージは考えさせられた。自然とともにあった人類が、横のネットワークから逸脱したような進化をとげ、とげ過ぎた感のある今にこそ真理に聴こえた。もういいかげん戻ろうあの日に。人類が安心で安全でいられるあの日に。「黒い髪」というキーワードも出た。天国を望む霊歌の数々は、奴隷制度への抵抗、そして開放への道を示しているがその「哀しさ」そのものが美しいことも楽曲として表現される。つまりは人の尊厳は至高である、それを神は支えてくれている。そんな壮大な物語を続けて来たアフリカならではの風に吹かれた。

オーガナイザーの南へ

2017年2月1日 at 7:01 PMCategory:お知らせ

キャンプインより四日早く、日南線をゆく。是非動いてもらうための使者二人は、訪問入浴上がりの岩切秀樹邸へ。時間のロス復旧と列車の趣向見聞もかね噂の高い特別急行に乗車。自由席に必然的に入る電動車椅子は新幹線同様。何と32年のタイムスリップを還暦越えたトータル124歳のふたりが感じた、め ま い。降車する際、前輪の幅と主たる後輪の幅の目測を誤った女性駅長さんをひやりとさせた。しかし、退場はぬかりなく駐車場口へ誘導された。別の一件で改札口を抜けられなかった事例があったようだ。だが、イマセン社製の電動の車幅は再入場時には抜けられた。もちろん当事者側からの合理的配慮で空気が乱れることは無かった。

オーガナイザー役へと目論む岩切秀樹さんはすでにジパングの名乗りを揚げ、障がいがあっても情報ネットワークの網の目こそがセーフティーネットであることを実行に移している。家族一丸となって。

もう、2週と迫った2/15「ファシリテーター養成講座受講」経費はずいぶんと掛かるタクシー移動を、公共交通を利用してかつあらゆる相乗効果を体現すべく、介護ヘルプ、移動ヘルプそしてもしもの隣人の手助けを得る千手観音のような展開の主役を果たしてもらう。支援法の枠を使い、適度に隣人の手を借りる生活がもちろん大理想。そのためには個として個と向き合わなければ始まらない。

初回ふれあいの旅回帰

その荒療治にも通じるファシリテーター養成は家を出るまでの計画立案から始まる。自分ですべてを決める覚悟さえあれば、怯えはいつしか去ってゆく。計画性と根性があればどれくらいの幸福感に達しうるか、48歳までに到達し流星のごとく去ったオーガナイザーは、今回の飫肥より二山川越えた南郷に出現した。日南大学を名乗った。我々が最初に実験を開始した32年前からその存在に注目して来た岩切秀樹氏はジパングを名乗り始めた。そして、具体的な「ショートステイから見えてくる施設あるいは病院入所と言う運命的単一選択肢への抗う」声も集める。そして、それは作り上げれれば最高の人生である目標も。そうなってくるとまったく障がい有無の問題ではないことも。

あらゆる手立てを駆使するすべを持っていたオーガナイザーから学び取り、やがては自身が後継のオーガナイザーへと。

我々は、たまには宣言してみないと頭はぼやけるばかり。こころをしびれさせる計画をたてることとだけヒントを残してくれている。

ただ、次々と効果的訓練はかかせない。当協会も3月12日と3月18日には貧困シンポとふれあいアート報告会へと細やかにフォローしていく。

ふたりののうみ

2017年2月1日 at 5:46 PMCategory:お知らせ

もう 春を歌う  ふるさと料理 杉の子DM

能見さんという名が宮崎東病院から聞こえていた頃。数々のエピソードが生まれボランティアたちもその輪の中にあった。筋ジス病棟は子供たちの便宜をはかるために通学路にもなる運動場の空間に接する松林から吹く風とサナトリウムの雰囲気を陽光が照らし出していた。思うだけでノスタルジックになる。そして短い運命を燃やして去った名前たちと同じで、建造物としての病院自体がビルディングになっているという。空港だって赤江飛行場から宮崎空港、そしてブーゲンビリアと名も全体像も様変わりして来た。そこを少しスルーすれば行き着く場所にボランティアは記憶の層を残している。そこで働いていた能見さん。思春期の若者らに生活の多様性を選択させる病気との付き合い方を模索されていた。例えば、ファン心理にとどまらせないバンド結成。すでに成人し病気の進行の度合いで入院された患者さんらにもモチベーション上昇のネットワークは広がった。その様子はボランティアたちに学びを与えた。定年されていると思われるがその仕事から得られた哲学は学習させてもらいたいものだ。

さて、我が野海さんは先週の体調不良を脱し元気にやって来てくれた。観劇の一番の趣味も2月末には「カントリーのロード」を主演女優の千春さんにじきじきチケット手配して待つばかり。千春さんといえば故今朝市さんがファン熱中していた分フォローしたいものだ。木内里美さん以来のブレイクを見せてほしい。「君は歌うことができる1.2」の台本は限りなく実生活からのスピンアウト。まだ現役の学生気分の頃の著「ハンディエンジェルズ」で描いたメンバーが進化した時代とは?現実はipadをツールとしなくては生活が豊かにならない世界。まるでゲームのように世界は回転を続ける。一方ふたりののうみのテーマは「歌うこと」。ネットすることから人生を「歌うこと」。病棟で歌うことを刺激した大人の仕事。身体障がいや言語障害にもめげず歌わせようとする希望的自伝。そのふたりの思いがクロスする場から次の一手が必ず生まれてくる。

古来からあった様々な歌うこと。生はあらゆるリズムを刻む。生きることは刻むこと。そのヒントがいかに生を豊かさをかもしだすか。

ランチ会というグループの打ち上げにベルエポックへと早めに退室した野海さん。行動こそが歌うことのよう。

前日企画

2017年1月25日 at 5:12 PMCategory:お知らせ

実行委員会事務局(総合福祉センター・大野城市社会福祉協議会内)から3月4、5日開催のJVCC2017福岡・大野城の受理通知が届き、参加費振込も済んだ。76のナンバーが割り当てられた。

募集定員は250名、総計25コマの受講項目から希望分科会を6つに絞りワクワク鶴首して待つだけにする。3/3の前日企画もお見逃しなく!とのことなので物色してみよう。

気の早い人向けで、地域に潜入して社会的ロケーションまで探ることが楽しめる。一昨年の大阪で釜ヶ崎~味園まで大阪ボラ協の面々と探検し尽くした前日企画。集合場所の新今宮駅改札口で横浜からの参加者らとの出会いがあった。すぐ横を路面電車風の線路も横切り、まさに人生のクロスロード。自販機の値付けが50円均一。建ち並ぶビジネスホテル化したドヤ街。公園に設置された街頭テレビは、ちゃんとデジタル化の際には慈善者から寄付されたもの。これからもどう転落してそこに棲むやもという自らの襟を糺す緊張感。そんな稀有な体験だった。一年置いて横浜の実話も旧知の人から聴きたいものだ。

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さて、福岡といえば親不孝通りとか、照和、果ては昨年のふれ旅でのキャナルシティが記憶にある。さあ2017参加すれば何か斬新な体験間違いない。ちなみにひょうたん島、大名町カトリック教会、福岡NPO共同事務所びおとーぷの三ヶ所がヴォランティアを待ってくれている。多分被災地に馳せ参じたヴォランティアたちも出会いや、体験の非日常性における何かに学ばされるのだ。

そして、このような企画を宮崎で開催するとしたら前日企画できる特別な場が展開しているだろうことを信じている。知らされないことがいかに多いか、出会わない人がいかに多いか、ほとんどが出会わないまま過ぎるのだろうが。ボランティアの一歩は筋斗雲に乗った如しなのだから。動こうとしよう。