ハンディエンジェルズ~くりの実*そして「戯曲作品集」への進化

2015年5月20日 at 3:25 PMCategory:お知らせ

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水曜日事務局は、野海さんがいろんな風を運んで来る。バックパックから出てきたのは宮崎県立芸術劇場の企画冊子「2014年度脚本講座の成果本」、下書き完成の段階で拾い読みさせてもらったやつが、6名の受講者と三股編の作品に混ざり4番手として掲載されている。「君は歌うことができる」というメッセージは、あなたへわたしへ送られる応援歌のような出来栄え。戯曲自体が完成しているわけではない分、読み手でどうにでも状況は考えて読み進められる。
とある喫茶店、なぜか古い建物にしてはスロープや手すりが便利に出来ている。マスターや店員もやさしい。そこを舞台に主人公が失神するという筋立て。初作のハンディエンジェルズは障がい者探偵が主人公で難事件をコナンのように解決するシリーズだったから、自立生活の長さがよりリアルな心理に迫るがどこかほのぼのとした障がい者ライフ流を醸し出している。この戯曲化された光景をあなたのわたしの街角に当てはめてみると行ってみたい街の生活が見えてくる。生きる時間の意味さえも解明へとほどきはじめる。
すでに、まあるい劇場用に短編「ipadよりすごいもの」を書き下ろし上演され、他の高校生演劇部に劣らぬキャピキャピさでさわやかな印象を残している。ボランティア協会内でもふれあいの旅を率いて人との係わり方探求そのものが作者の人生にもなっている。ある時は助け合わないで良い場合もある、それは脱皮する時、悲し過ぎる時、そんな時も何かしら対照は必ずある。向き合うべきものひと、その輪郭をはっきりと描きながら人は生きねばならない。描き方がうまく行かないときはいっしょに目をこらして先を見据えよう。
作品を書き上げるごとに、野海さんの生き方の方向性は定まりつつあるようだ。

*くりの実は、県ボラ木曜教室から派生した文芸サークルが松浦哲也さん主宰で出版した刊行本。

言葉にならないけれど

2015年5月20日 at 10:48 AMCategory:お知らせ

かって一世風靡したアルバム「言葉にならないけれど」国富町三名のエデンの園で誕生したバンドになるものがある。
重複障がい者の施設からのメッセージはメロディと歌姫こずえさんの澄んだ言葉で全国を席巻し、バリアフリーの世界の到来を告げた。
高齢化したメンバーは静かな生活を続ける。
それぞれ県内からやって来た寮生を元気付けようと若い音楽好きの職員が盛り立て、賛美歌やらからスタートし、言葉にして訴える、主張する域に達した時、ようやく社会はその内容と表現力、何より赦しに溢れた演奏に驚いた。
メンバーの元気は他の寮生にも伝わり、自閉が開かれる奇跡をも巻き起こした。
そうして、高齢化の今何もすごいことなど忘れたように静かな生活がそこにある。
陶芸のろくろが回転するように、テープが回転して音を奏でるように。
ほとんど言葉にならない、訴求や喜び悲しみが脳を覆っている世界から一気に抜け出た瞬間に見せる表情は、音楽家の神をつかんだ瞬間のそれと同じようで、天使への憑依を観客は見逃さなかった。
抜群の記憶力など素養に気づいた職員は、好きな演奏で対等に協働しはじめてアートの完成を得たのであった。
言葉にならないけれどには、発声や意味の理解の言葉ではなく、自らの納得がポジティブに現れた。
言葉以外に、言葉に依らず、わたしがわたしであろうとするわたしなりの力があるのです。それは認めて欲しい。理解して欲しい。そのことが何故かならない世界への伝言。ノックであった。
1+1+1=3 ジョンレノンのカムツゲザーの歌詞、君と僕そして呼ばれたあなた、さあ一緒にハイキングにでも♪ そんなファンタジーさは、ハメルーンの笛吹き的な魅力も備えていた。
しかし、瞬間目覚めただけで、社会はまた言葉との格闘の世界へ戻っていってしまった。
そして、君と僕とあなたも高齢化になってゆくだけ。
そして、誰かがきっとまた覚醒のステージを運んでくる。
そのチャンスには、もっと言葉にならないことの意味を受け止められなければならない。
そんな約束を我々はグレープフルーツというバンドと交わしたはずだから。

癒しの処やってます

2015年5月18日 at 12:20 PMCategory:お知らせ

厚生労働省の資料「障害のある人に対する相談支援について」を手に第11回特定非営利活動法人癒しの里総会に出た。同席した会員は精神科医、施設卒業生と私の3男子。向かい合って代表の戸山、事務局女子2名のこじんまりした会であった。
もう、創設者コウさんの姿が消えて500日くらいは経て。すっかり室内装飾も完全DIYを超えたプロ級の出来栄えで気持ちが新たな総会を迎えた西池事務所。そうここが宮崎DARCとしてある時は薬物依存症者の悶念の修羅場と化しつつ20年を迎えた場所で在る事には目を見張る回復が伴っている。
NPO法人化にあたり癒しの里にしたよと聞いた時に、何と和風なと感じたものだった。理事にも誘われたが、当事者でもなく依存症者の自覚の意味で会員として参画した。
つい最近もこの場所を舞台に年明けに起きた窃盗侵入案件の裁判傍聴にも誘われ、相変わらず稀有な体験に驚かされる団体である。その時は単なる被害者側の傍聴だったが、薬物依存型精神障害者本人活動支援の現場には発達障害の側面から犯罪者へのフォローができる団体も絡んでいてまさに問題解決テーマ型NPOが活躍していた。
戸山代表は、職業訓練と大会参加をかねてタイ国から帰国したばかり、アセアン諸国でも薬物依存症者対応の歴史があって、その輪に日本人3人として加わり歓迎された国連系の情報にも驚かされもした。専門用語でいうエヌエーの九州福岡大会が夏には開かれ、11月には20周年を祝う宮崎ダルクがフォーラムを開催という。
さあ、仲間として受け入れてくれる依存症者グループをどう理解するかというと、ヒントとして聴覚障害者全国大会宮崎のエピソードを思う。いつもは手話通訳者という専門家を介して、また、要約筆記プロジェクターのある発表でなかなか身近に存在を感じられないあの隔たりは、まさに沈黙の壁が存在していることに考えが及ばないものだ。当然や必然さえ吸い込んでしまう沈黙や騒音の世界。そこに居続ける不快さは!それに寄り添えない無知さ。大変困難な少しの理解さえ。
そのことが衝撃で破られたことがあった。河畔ホテル街でも豪華な宴会場では全国の聾者が開放感に溢れたダンスに興じていた。大会会長さんが世界大会で目から鱗のダンスを本場ワルツかなんかを楽しめる当然さに開眼し、プログラムを出し、をどりどころの本県ならではのパーティーは盛り上がり過ぎてしまった。高鍋のナチュラルサウンズオケの生演奏は普段のストレスを解放して、焼酎キリマンジャロはテンションの閾値を越させた。ミラーボールのカラフルな光彩が駆け巡る天井めがけボトルが宙に舞った。混乱はすぐにおさまり、軽症の人が延岡の実行委員サイドだったことも怪我の功名。語り草ももう聴かなくなった。
あまりに社会に溶け込みすぎて見えない障がい、知らないのが通常になっていることの悲惨。精神障がい、薬物依存、聴覚障がいの仲間がすぐ隣で重荷を負わされている社会が普通であっては困る。困ることが解決できないのは困らせている社会も何だアイデア出せないのと困った存在だ。
当事者がこつこつと前進している姿に感心したり、驚いたりの風を吹かせるのはボランティアの十八番ではないか。
ところで、昨年夏から障害者(児)相談支援事業「癒しの処」が始まったと報告があった。そういえばどこの事業所も取り組んでいて、役員をしていたまほろば福祉会にも相談室ができていて、覗くと振り返る苅部所長は並んだカルテのようなファイルの概要をドクターのような感じで教えてくれたもんだ。
一番いやな思いをさせられる”たらいまわし”がなくなり連携が進み、やっと自分らしさにたどり着けるという声がたくさん上がることが期待できる。
そのたらいまわしがなくなる日が、協会のミッション到達点であろう。
癒しの里の事業計画の背後にはデリ部門やタイ古式マッサージといった競争必至の厳しいビジネス戦線への準備もこつこつされている。
会員のドクターが大和言葉のネーミングを褒めた。名つけからしてホスピタリティー溢れて、当事者の愛の深さと耐えてきた重圧トラウマの深さも響いている。
この扉のむこうに愛があります。この看板もこの施設の定番である。 
まだ、総会シーズンは続くが、来月には新しいテーマの学習会もある。注目したい。男女協働参画センター事業

セピア色活動に虹の橋

2015年5月17日 at 8:39 AMCategory:お知らせ

視覚障害者団体会員(盲導犬とヘルパーを従えた)にはどんな色彩が受け取っていただけただろうか?
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27年度総会振り返り
「へー昭和57年当時といえば、大学生時代をそばで野球だのに興じていたもんだった〜(当初連絡会時代)。そしてふれあいの旅に参加することでボランティアへの考え方も変わった。」
 三テーブルに分かれて、ランチを囲む交流会には親交を結ぶ時間を求める会員が残り食と回顧がすすんだ。
会員団体の焼きたてパンの店きゅーとが納品してくれた塩パンセットと炊きたての雑穀ごはんにオードブルをつまみ、高崎・海ちゃんの家さんらも湯茶の加勢をして下さり予定どおり深まる活動始めとなった。
 第一テーブルに付いたが、簡易たたみ桟敷では、募金・寄付も気遣う納宏子さんに上京したての元祖歌うボランティアの落合孝通氏がNHK渋谷に宮崎放送局赴任者を訪ねた共通知人の行く末を確かめ合ったり、事務所内で馴染みが深まってきたみやざき教育支援協議会の亀澤代表理事が自身の成長去来を常連のJ子さんに語りかけたり。
最古参の落合氏のテーブルでは、やや信憑性がファジーな展開も聴き及んだが、やや往時のトーンが落ちた同活動界古参、T部さんのテーブルを挟んで適度の風呂敷も膨らんだ昼食となった。
 新任理事2名を承認した議事では副会長役職の関原澄子さんが結の里営業化に専念ということで都城ユネスコ協会の有里泰徳理事に変わった他、質疑では全国手話通訳者問題研究会宮崎県支部の満平一夫氏からの平成元年の参加以来未体験のふれあいの旅佐賀の概要を山崎光代担当が有田焼ワークショップでの小失敗と有田市ボランティアとの交流を説明、イオンの黄色いレシートの認識を矢崎黎子理事が問われた。開会の挨拶でも辻利則会長が代理で授与式に並んだ菊永恵子理事の電動車椅子に揃うため全員が降壇しての記念撮影になった報告を目線効果として評価され、毎月11日のキャンペーンデーのボランティア寄付の盛り上がりへの呼び水が自然と湧いてくるようだった。地道さがきっかけとなり寄付やボランティア文化が醸成されていくその酵母役を担う意味が深化した総会および活動全体像を振り返る機会を得た。話題の主菊永さんからは、猫画家斎藤泉さんが今年の還暦男ということで、何やらどんこや中心のめでたい会の企画も耳に入り、昨年暮の4人を祝ったボランティア熟年年代もここ数年でピークを迎えそうで、時の流れの意味ではボランティア社会の目標達成が急がれるも、また、辻会長の弁ではあるが、今の公立大学生頼みの旅の実行委員会の様子は活動現象化が顕著な下りラインを再び上昇させるか、もしくは社会のボランティア化を社会が促進するかの佳境に入るタイミングであることが定点観測できる。そのような見地に立てる場、駆け込み寺的役割の協会はしばしの蛹の期間をへた羽化の時期になって来た模様。どんなメタモルフォーゼをみせるのかは、会員相互の活動の彩りの反応によることに違いはない。ここのところ補助金助成金事業をスリム化してきた部分の吸収力が好転反応を見せるためにも、事務所に吹き込む風待ちの帆船状態ではあるが・・・。スピード感覚のポテンシャルあってこそのボランティアたる活動である。ダイスは転がされた。

本日午前十時「総会」34年目ジェネシス

2015年5月16日 at 6:47 AMCategory:お知らせ

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地方創生の時代とちいき活性化が国策として脚光を浴びている。地域も地域なら、中央も中央。ちゃんと自立への道程を歩み続ける行動派であるボランティア旗印のみなさんには、板に付いた創生は生活そのものの当たり前の迷いなし。
そんな我々は本日2015年の今日も協会を引っ張ってカタツムリのように進むのであります。
本総会の司会担当としては、こんな前説で会員の議論をスタートしましょか。
県内各地からお越しの皆様には、無事にご到着下さい。センター2階会場でお待ち申し上げます。受付にてお会いしましょう。

美味しい活動-新年度総会16日

2015年5月14日 at 8:37 AMCategory:お知らせ

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以前、恒例の総会後のランチを準備してもらった綾のマクロビ弁当、MAMA Chilさんから頂戴したモロッコ胡椒、賞味期限が5/16。
おいしいには、旬と再生があり、その継続がわたしのあなたの活動人生でもある。
活動といえば元祖は活動写真、つまり映画界の夢のビジュアル化、具現化の創造の仕事。なんか遊びに満ちたようで、且つ切磋琢磨の未知の領域。
さて、わたしたちもボランティア「活動」を名乗る一団と取り巻きと、相互扶助の群れである。
そして、ここに34回目の組織更新の総会を迎える。会員総数は100を切らずに推移し、中核の障がい当事の案件は制度の波を見事にサーフィンしながら、各リーダーは施設長や理事長クラスに成功し、まだまだ休みを取るわけにはと専門性を高めている。
母体であった協会は、事務所が当初の五分の一にスリムになって、財政も逼迫し、めまいをしつつも若々しい会長の元、開放型を続けている。
話しが、のびた麺になるので再告知。
16日10:00には、ご出席か、委任状ご提出を。
なお、ランチにも出ていただき、旧交をあたためていただきたい。オードブルはブライトハウス。自前のエンドウご飯とお召し上がり下さい。そして、今年も美味しい活動にしましょうぜー。

松兼功回顧

2015年5月13日 at 6:09 AMCategory:お知らせ

89、90年頃、恒例のオリンピックセンター詣での折、研修後しばしの時間を松兼功と過ごした。参宮橋駅から徒歩でというアクセスをニッポンの諸学習の分野リーダー予備軍は相当数が通った。当時は代々木練兵場付近が64年の東京オリンピック選手村にリニューアル後、体育局の名目の元研修施設として活用されて充分社会教育宿泊施設として活用済みの段階であった。宿泊棟には簡易シャワーが付いていて、ホテル並みとはいかないが、相部屋個室がオリンピック選手数分並んで体躯のアスリート仕様は物珍しくもあり、数年は古びさも乙なものでシンプルな場での熱い研修施設を成した。世界ボランティア会議の関連研修の席で旧交を暖めた私たちは女性とはなれ二人で午後の新宿に繰り出した。彼の下駄はタコゲルゲ仕様のガラガラ・「歩行器」。言語障害から鋭い評論を発するのと同様に、体重をバランス良くアルミのへりに載せて腕組みの格好のまま、下半身でキックしてわずかにスイングしながら練り歩く。名著「お酒はストローで、ラブレターは鼻で」はそれこそ顔面での執筆だったが、取材と称する町歩きはこのガラガラがロシナンテ役。癖っ毛の下からカメラである眼光を放射し、社会の通り人からのリフレクションから人間のものがたりを引き出す作家生活、文人。例えば、階段だらけの駅に当然のように向かい、自然発生的に巻き起こる、手助けを彼流にこう書く。困っていると、カップルが気付いてくれ、彼の方はおんぶしてくれ、彼女は見かけによらずテキパキと器具を上げてくれる。ありがとうという気持ちは伝わり、飛び出す唾も気にせず、デートの続きに去って行った。その後ろ姿には共同で難関を過ぎこした達成感さえオーラを出している。また、またキューピットをしてしまった。あとはあんじょうに。・・・てな具合な脇道にそれかけながらも作家は目的地に向かうのである。ある時は、三重苦に見えてレミゼラブルと勘違いされて、涙まで流した遭遇者もいたが、手助けしてもらったものの、先を急ぐ私はその日はたまのデートに向かうルンルン気分で、悲壮感はその過剰な同情の方だ。それが「時代遅れの涙たち」の作詞に繋がった。しかもヒットした。
 今や、作家作詞家の領域は、アプリ制作者とのコラボまでもに進化して、この前、野海さんに見せてもらったが「はんにゃしんきょう」松兼版として若者の心を打つなど現役で頼もしい。今震災や我が郷土での災禍でもキーワードとなって、みんなを励ましている「絆」は、元祖ボランティア活動テーマソングとして曲が付いてミラクルヒットの作品の題名であり、僕の額に流れる汗にあなたは何を思うでしょうか?生きる力に微笑みますか、同じ時を生きるあなた!感情を削ぎ落とした先に見えて来る希望の光が歌いこまれているのだから、レクイエムでも賛歌でもなく、ブルーズとしてそれぞれの活動家に沁みるのであった。そんな代弁者を我々は得たのだ。
 なんでまた、この総会時期の活動繁茂期に思い出して回顧しているかというと、某施設の理事長席にむかっていたら、三冊の読みかけの本が積んであり、病院院長が連載したエッセイ集2冊とNHKが集めた障がい者の生き方集で、後者に当然のように松兼の名を探し、最初の数行を拾い読みしたのだった。彼の息遣いが饒舌に語り始めた。タイトルは驚き!うんぬんで、彼の手法である、自らを触媒として好反応を巻き起こすことこそが、存在意義という理念をある程度年季の入った目を通した一編のようだ。書店の立ち読みみたいな状況だったので読み耽る訳にもいかず用事を済ませ席を立ったが、数行で意図は、松兼節は読み取れる。彼には実弟がいるのは未知だったが、伝説の母の運転で実家に連れられた弟夫婦から預かった甥との話が伏線として引かれていた。さあ、どんな驚きを三歳児は反応するのかな、彼の人生はこの相手の驚きこそがそれぞれの生きる力を喚起することを究めてきたのであった。即席に早合点するのがこの文の責任者の私の特徴ではあるが、そう結論づけているはず。
 ここで、冒頭の新宿駅へタイムスリップしないと終われない。結論は盲導犬という演劇の大看板の前でそれぞれの帰途に着くまで、彼はガラガラで馴染みのサウナにいくから一杯やって行こう、おごるぜ、宮崎での一宿一飯の義理も返すからという展開であった。もちろん野海さんと同じ、というかえらく感動してビールの飲みっぷりをコピーしたのが野海さん、紀行文旅日記を真似て作家修行で後を追っているのも野海さんというのが本当のところだが。
 余談で、激怒されるのは必至だが、FBで日本福祉大学通信入学の話題があと嬉しい悲鳴を上げている野海さんは名古屋行きののち上京してくる来月の旅を控えている。その真意は、学生生活での福祉探求と本格的失恋体験が待ち受けていても、先駆者松兼功の歩みに続きたいとの意思が大きいのである。そして我々は、まだまだ両人からもたらされる驚き!を仕掛けられている。そして敬意を払うとともに、怖さを超えた驚きというポジティブ到達点を目指す生き方を見習おうではないか!

定例総会への出欠は13日(水)まで

2015年5月10日 at 6:32 PMCategory:お知らせ

出水監事に続き永山昌彦(マッチ)監事にも会計監査をしていただき、資料作りも山場を迎えております。
承認していただく新役員案も継続、新任の理事承諾がまとめられております。
すでに、ふれあいの旅実行委員会もスタートし31回の旅は始まりました。
会計上は、予算立案の上で、委託事業がないまま推移しておりますので会費収入の確保が本命ですが、
会員のお手元に届ける情報誌ふれあいの発行回数減が、会費回収に現れ窮状のまま総会に至りました。
個人会員、グループ会費とも年2,000円を回収した上で、賛助会員、特別賛助会員、活動支援金、10円募金等
に支えられております。
みやざき教育支援協議会との事務所シェアがはじまり、以前にまして人の出入りが増え、協働の現場にも
なりましたので、是非、総会ウィークに限らずお立ち寄りくだされば幸いです。
今週は県ボランティア協会定例総会
5月16日(土)原町2-22 県福祉総合センター本館2階セミナールームⅢ
受付9:30
開会10:00
閉会13:00
駐車場は来訪者用、障がい者スペースへ。
アクセス
宮崎交通原町バス停、橘通5丁目バス停
お問合せは、電話FAX0985-29-2949 Eメールmiyakenvora@kind.ocn.ne.jp

祝!ボランティア米寿となる

2015年5月9日 at 5:44 AMCategory:お知らせ

 今や、V活動それぞれの拠点は拡散しオルブライトホール上階3Fに事務所を得て婦人の消費者運動の一翼を担った消団連も解散。自らの晩年を残された個人活動に費やされていらっしゃるボランティアリーダー出水さんの回顧を傾聴できる幸運を得た。
 思えば、みやざきに根付いた活動は各分野に二分化が成り立っていた層と幅の広いものである。米寿になられる出水(でみず)さんは語られることで清武に生を受け米寿になるまでの自己のメロディを目の前に広げて下さる稀有な表現力の持ち主であることに驚嘆しながら居合わせた数人で戦中から戦後70年の女性史に聴き惚れた。
 男性陣が一歩先に鬼籍に入られたり、進退窮まる晩年になりやすい状況は元気な活動家界では際立つようである。お話からして、あの南京玉簾芸の名人は最近先立たれたご主人様だった。学生ボランティアが嬉々として余興などまでに弟子入りして軽い気持ちで知ったつもりであったが、もっと敬意を持つべきだった旦那様の余生として盛り上がった一面と細かな気遣いを同窓会へ注がれた緻密性が、発揮する場を喪失して行くに連れ認知症へと向かわれたボランティア街道を冷静に語って下さった。そこには、つい一週前に婦人活動の双璧をなした生活学校の矢崎理事から伝え聞いた調査性という活動原理が同じくあったことにも驚かされる。我々の情報をどう使うか以前に、問題解決には先ず、調査ありというのがボランティアのいろはのいであったことを思い知らされる。多分ボランティア2世世代の我々は勝手に先ず動いてみること思い込んだようだ。否、民主主義とともに始まったボランティアは調査し、その問題責務者と対話しという構図があった。我々は何時しか、分析力を欠き和を尊しと成す賢人になりたがったようだ。特に80年代からの経験である新リーダーの私などは当てはまる。
 さて、米寿の出水夫人の日常は、今回の県ボラ協の監事会計監査を昌彦さんと精査していただき感謝だったが、それこそ調査した上でリハビリのデイサービスを受ける自分で選び、ご主人の介護の過程では、ケア・医療サービス事業者へも問いかけを積極的にされ提言で場を改善していかれた。対等性をうたった活動者の面目躍如である。
 そして、同窓会なども解散せざるをえぬ今は、もう一度少女時代からの八十八年の歩みを繰り返し辿られて私史の語り部を上手にして下さった。それも、地元月見ヶ丘でのサロン活動に音楽教師のスキルを注ぐなど団体の長の裃を脱いで楽しまれているからこそである。
 監事をお願いしている関係で、とくに厳しいお顔の印象を感じていた後輩ボランティアの私たちには、もう一夫人としてやさしく接してくださる自由さには、少女の輝きさえ感じさせて下さった。コツコツと社会を変えてこられたそのままにコツコツと自分を快適に維持する体現こそ極意のようだ。小椋佳のメロディが聴こえてくるような米寿のボランティア。それも美空ひばりとのコラボより、さらば青春が似合うと一人語りの聴き手はごちた。
 

「お待たせしました」おはよう!イェーイ!

2015年5月8日 at 7:50 PMCategory:お知らせ

再来週に迫った映画とミニライブの前売り券入荷しました。オハイエ!2上映スケジュール